ぱっちりと開いたシイの瞳は、まるで洒落たカフェーで初めてプリンア・ラ・モードを前にした少女のように輝いていた。黒目の中にきらきらと銀河が浮かんでいる。
しかし彼女ははっとして、顔を引き締めた。
「こ、こんな高価なもの、頂けません」
「別に、余りものだと言っただろう」
「ご学友の方にお渡しすれば……」
「甘味など軟弱だと言う粗野な奴らだ。俺も先ほど食ってきたし。要らないなら猫にでもやれ」
投げやりに言うと、シイは繊細な手つきで包み紙からどら焼きを取り出し、小さく割ってそれを傍で寝ていた猫の鼻に差し出した。
猫はピンと耳を立てて丸い目を開け、ハグッとそれに噛りついた。
勢いよく食べるさまを見守って、シイがまたどら焼きを割ってやる。
侃爾はそのさまに下瞼を引くつかせて、「おい」と低く唸った。
「まさか全部そいつにやるわけじゃああるまいな」
「あ、え……」
「何だ、嫌いなのか?」
「き、嫌いでは、ないですが、そ、その――――私には、……勿体ないです」
シイは身の置き所が無さそうに体を揺らして俯いた。
猫はその間もあんこを舐め取っている。侃爾は食べているものも無いのに喉が詰まった。
シイを虐めたいのは、侃爾や他人だけでは無いのだ。
――――シイも、自分など無価値だと、自身を虐めたいのだ。
それを知ったところで何を変えるわけでも、変わるわけでも無い。
しかし別に、受け取れるものくらいは素直に受け取ればいいのにと、そう思ったのだ。
おもむろに、侃爾は包まれていたどら焼きを二つに割って、その片方を己の口に放り込んだ。
そして残った大きい方をシイに押しつける。
「お前が食わないなら捨てる。俺は腹がいっぱいだし、残飯だからな。どうする?」
侃爾の意地悪な言い方にシイは困ったように視線を巡らせる。
泣きそうに歪んでいく顔に侃爾が困惑し始めた頃、「い、た、だ、だき、ます……」とシイはようやく手を伸ばした。
それを口に運んだ瞬間、シイの表情がくしゃりと歪んだ。
口に合わなかったか。
侃爾が無意識に歯がゆさを感じていると、彼女の口角が僅かに上がったのが見えた。大事そうに噛みしめ、ぎゅっと狭まる肩とたまに跳ねる尻が、喜びを表す反応にしてはあまりに幼稚で――。
「何だ、好きなんじゃないか」
平静なふりをして侃爾は言ったが、腹筋が震えるのを堪えていた。
シイははっとして唇を拭い、「み、みっともないところを……、すすすみません……」と慌てて頭を下げた。
「別に。……顔のガーゼは汚れてないな。次に来たときに傷の具合を見る。では俺はこれで」
シイは手に残ったものを急いで口の中に詰め込んで、立ち上がった侃爾の背後で何度も礼を言った。何となく振り返ると、思いのほか近くにいた彼女のつむじがよく見えて、自分とシイの体格の違いを改めて理解した。こんな小さな女が大の男に手を出されたひとたまりも無いだろう。
――――ひどことをした、と思う。
侃爾は土間に下り、ほとんど同じ高さになったシイの顔を見つめた。いまだに額の傷は開いたままだ。本当であれば縫合しなくてはいけないような傷をつけた。
シイは落ち着かなそうに体を揺らして、「あ、あの、な、何か」と侃爾とは目を合わさずに言った。
「いや……また、来る」
ひどく心臓が痛んだ。
引き戸を閉めるとき一瞬だけ振り返ると、彼女はまだ侃爾を見ていた。
視線を逃がして地面に踏み出す。
暫く商店の立ち並ぶ通りを歩いてから、風呂敷を忘れて来たことに気づいた。しかし、遠からずまた訪ねるのだ。侃爾は外套の裾を蹴りながら歩く。
シイの身投げを止めてから十日が経っていた。
山の稜線が夕日の赤と山の影を分断している。決して交わらないその対比が侃爾にはひどく物悲しいものに見えた。