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第2話 異形の者たち

 すぐにでも逃げ出そうと歩みを止めたと同時に、その人影が彼へと振り向く。

 彼はその異様な姿を見た瞬間、振り返ろうとした身体が金縛りにあったかのように硬直した。


 その顔は皮だけ残した骸骨の様に痩せており、落ち窪んだ眼窩がんかから飛び出さんばかりに突き出した大きな眼球が二つ。

 そしてあばら骨まではっきりと浮き出た細い体。しかしその腹部だけはまるで妊婦の様に膨らんでいる。


「ギャギャ!」


 その異形の者は彼の姿を認識すると、嬉しそうに高い声で叫んだ。


「ヒィ!!」


 その声に腰が抜けたようにその場にへたり込んでしまう。

 立ち上がらなければ。

 そして今すぐにこの場から逃げなければ。

 頭の中で危険を知らせる警鐘が鳴り響く。

 しかし両足はまるで神経が通っていないかのように動かすことが出来ない。

 身体を支えている両手も地面に張り付いてしまったかのように動かない。

 全身がガクガクと震える。

 奥歯がガタガタと震える。

 叫ぼうにも喉の奥からはひゅぅと息が漏れるだけで声を上げて助けを求めることも出来ない。


 彼が動けないことに気付いたのか、その異形の者はゆっくりとした足取りで近づいてくる。

 まるで獲物に恐怖をわざと与えようとしているかのように。

 その怯える姿を見て楽しんでいるかのように。


 そしてついには彼の目の前まできた。


 彼の両まなこからは自然と涙が溢れていた。

 それでも瞬きする事も出来ず異形の姿を映し出す。


 何かが腐ったような異臭がする。

 あまりの恐怖に鼻水が大量に流れ出ていたが臭いは感じた。


「やめ……や……め……」


 それだけ発するのがやっとだった彼の肩に骨ばった異形の手が伸びる。


「――ガアッ!」


 その細い見た目からは想像だにしなかった猛烈な力で肩を掴まれた。

 細い指がスーツ越しに肩の皮膚を裂いて肉に食い込む。

 酔いなど吹き飛んでしまうほどの激痛。

 そして本能的に察する。

 もうコレから逃げる事は出来ないのだと。

 自分は人が抗う事の出来ないナニカと遭遇してしまったのだと。


「たす……け――」


 異形の者の大きく開いた口が彼の首元へ――


――ぐじゅ


――ぐちゃ ぐちゃ ぐちゃ


――ばき! ばり!


――ぐちゃ ぐちゃ ぐちゃ





 この日を境に世界は一変した。

 全国各地で獣の様なナニカに食い荒らされたような死体が次々と発見された。

 そして事件を見た者が現れ出したことでその正体が人の形をした異形のナニカであることが発覚する。


 この緊急事態に警察はすぐにパトロールを強化し、自衛隊も銃器を装備した状態でそれに協力した。

 それはまるでどこかの紛争地域のような光景。

 少し前までの平和だった日本からは想像もつかない光景。


 しかしそれは無駄なことだったのだと、全ての人がすぐに思い知る事になる。



 住宅街を巡回していた自衛隊の小隊が異形の者と遭遇、そして戦闘になった。


――パーン!


「ギャ?」


「――なっ!?弾が弾かれた!?」


「ギャギャギャギャ!!」


「撃てー!」


――パン!パン!パン!パン!


「ギャギャギャギャギャギャ!!」


「駄目です!全く効いていません!!」


 彼らの装備する89式5.56mm小銃の弾は、その全てが異形の者の体に傷一つ付けることなく弾かれていく。


「くそっ!撤収だ!全員撤収しろ!!――ぐあっ!!」


 指揮を執っていた小隊長に塀越しに潜んでいたであろう異形の者が襲い掛かった。


「小隊長!!」


「があぁぁぁ!!離せ!くそっ!!」


 倒されて異形の者に馬乗りにされる。

 その見た目のサイズからは考えられないほどの力と重さ。

 普段から厳しい訓練を受けていた小隊長だったが、その小さな身体を払いのけることは叶わなかった。


「離れろ!!化物め!!」


 隊員の一人が小隊長を襲っていた異形の者の顔面を銃の肩当の部分で殴りつける。


――ガン!ガン!ガン!


「離れろ!離れろ!離れろ!」


 しかしこれも全くダメージを与えているようには思えず、ただ恐ろしく硬い何かを殴りつけているのような感触が銃を握る腕に伝わってきていた。


「もういい!俺を置いて早く逃げろ!!」


「駄目です!そんなことは出来ません!!」


「馬鹿野郎!敵はこいつだけじゃないだろうが!!」


 小隊長の言葉にはっとして顔を上げる。

 すると、目の前には先ほど射撃していたと思われる異形の者がすぐ目の前まで迫っていた。


「うわあ!!」


 そして目が合ったような気がした瞬間、それは隊員目掛けて飛び掛かってきた。


――ドン


「ぼさっとしてる場合じゃない!早く逃げるぞ!!」


 別の隊員が飛び掛かってきた異形に向かって体当たりをしたことでギリギリのところで進路が変わり、異形の者はそのまま民家の塀を擦るように通り過ぎていった。


「小隊長!これまでお世話になりました!ありがとうございました!!」


 そう言って小隊長に敬礼をすると、助けた隊員の腕を掴んで立たせ、他の隊員と両脇を掴むようにしてその場から走り出した。


「待って!まだ小隊長が!」


「黙って走れ!小隊長の気持ちを無駄にするな!!」


「嫌だ!嫌だ!小隊長!!囮田おとりだ小隊長ー!!」


 走り去る彼らの背後からは、異形の者の狂気を含んだ歓喜の叫び声と、囮田小隊長の断末魔のような悲鳴が響いてきていた。





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