仁太郎の叫ぶ声がどんどんと遠くなっていく。
山道を全力で下っていく団員たちの姿はすでに肉眼では見えなくなっていた。
彼らが逃げていく間、がしゃどくろは動くことなく愛と猫野瀬を凝視し続けていた。
「何故かは分からんが、あいつらを追うつもりはないようだな」
「うちらの方が旨そうに見えるんちゃいます?お肌とかぴちぴちやし」
――ガシャ!
そんな軽口を叩いていると、ようやくがしゃどくろが動き出した。
樹木を越えて巨大な骨の手が二人へと伸びてくる。
「奥に抜けるぞ!!」
二人は弾かれたように前方へと走り出す。
その瞬間それまで二人の立っていた場所に恐ろしい程の質量をもった手が振り下ろされた。
周囲の木々は押し潰され、叩きつけられた際の風圧が二人の背中を押し飛ばす。
そしてその勢いのまま森を抜けた先にあった開けた場所に辿り着いた。
そこは山中にあって不自然なまでの平地。
まるで誰かが整地したかのように百メートル四方ほどに整えられていた。
しかし今の二人にはその不自然さを訝しむ余裕はない。むしろ戦いやすい場所があったことを幸運にすら感じていた。
その空き地にしゃがんだ体勢でいたがしゃどくろ。
二人はそこで初めて敵の全貌を見る事が出来た。
巨大な身体をゆっくりと起こしながら二人の方へと振り返る。
全長は10メートルほど。
骨格標本のような見事な骸骨の体に、不安定なまでの巨大なしゃれこうべ。
岩戸隠れ以降、全国でも数度しか確認されていない危険度1級指定の妖魔である。
「猫野瀬。こいつの目的が私たちなのだとしたら」
「時間稼いだいうても逃げるわけにはいきませんなあ」
おそらくこいつはどこまでも追いかけてくるだろう。
前に進めば人が住んでいるかもしれない村。後ろに戻れば仲間たちがいる。そのどちらにもこんな化物を連れていくわけにはいかない。
それが二人の共通認識だった。
「ここで倒して生きて帰るぞ」
「最初から死ぬつもりはあらへん!――ほないくでえー!!」
猫野瀬が左腕を前に突きだす。
その拳から光が上下に伸び、その光は弓の形となった。
右手で矢をつがえる仕草をし、弦を弾くとその手には光の矢が現れる。
「先手必勝!!破邪連弾!!」
限界まで引き延ばされた弦。その力はつがえられた矢へと伝えられる。
そして狙いすまして弓から放たれる光の矢。
それは一度の動作で十の矢となってがしゃどくろへと向かった。
神力を退魔の矢に変え放つ能力。
それが
高速で放たれた退魔の矢はがしゃどくろの左足首辺りに命中する。
動き出そうとしていたがしゃどくろはその衝撃でバランスを崩し、二人のいる方へと倒れかける。
「ちっ!砕けへんのかい!」
「絵馬召喚!神獣
絵馬から白い大蛇が現れ、地面を這うようにがしゃどくろへと向かう。そしてその全身巻き付くと、一気にその身体を締め上げる。
腕ごと巻き付かれたがしゃどくろは手を地面に突くことが出来ないまま激しく身体を打ちつける。
「絵馬召喚!神獣
「全部持ってけ!!破魔調伏!!」
召喚された巨大な白い猪が、猫野瀬の神力全てを込めた光の破魔矢が、倒れたがしゃどくろの頭部へ目掛けて放たれた。
着弾と同時に激しい閃光が起こり、爆発音と共に衝撃波が土塊を巻き込みながら周囲へと拡散された。
「やったか!?」
「愛さん、それはフラグやねん……」
二人とも神力のほとんどを使い切り、すでに立っているのもギリギリの状態。
特に愛は負担の大きい2頭同時の召喚を行った為、その反動のダメージが肉体にも及んでいた。
「ゴアァァァァァ!!!」
耳を劈くような雄叫びと同時に砂煙を突き抜けて骨の手が愛目掛けて伸びてきた。
「――グッ!!」
愛を掴もうとしていただろう巨大な手の平は、砂塵によって視界が悪かったことが功を奏したか、手を握りこむよりも先に触れた愛の体を勢いよく弾き飛ばした。
「愛さん!!」
「グオォォォォォ!!!」
掴むことに失敗したがしゃどくろはすぐさま立ち上がり、遥か上空から二人の姿を探した。
その巨体を拘束していた白蛇の姿はすでに無く、白猪で攻撃した頭部も無傷のままだった。
無防備な状態で攻撃を受けた愛の身体は何度となく地面に打ちつけられ、水面を斬って飛ぶ小石の様に弾みながら十メートル程吹き飛ばされていた。
すでに立ち上がるだけの体力すら尽きた愛は、辛うじて繋ぎ止めた意識の中、僅かに顔を上げてがしゃどくろを見る。
無表情なしゃれこうべ。
しかし愛には動けない自分を見て、いやらしく笑っているように見えた。
「こっちや!バケモン!!」
がしゃどくろが愛をターゲットに選んだことに気付いた猫野瀬が、自分に注意を向けさせようと叫ぶ。
猫野瀬自身も立っているのがやっとの状態で、攻撃するどころか逃げ出す体力すら残っていない。
それでも愛を守ろうと反射的に叫んでいた。
しかし、がしゃどくろはその声に何の反応も示さず、
その巨大な顎を大きく開き、
愛に喰らいつかんばかりに襲い掛かった。
ぼんやりとした視界の中、愛は確かに見た。
自分に向かってくる巨大な骨の口。
その奥は深淵に繋がっているかのような暗黒が広がり、その色は絶望を感じさせる。
そしてその絶望と自分との間、
そこに立つ誰かの姿を。
霞ががった視界でも分かるほどの大男。
上半身は裸で、薄い茶色のズボンを穿いているように見える。
「にげ……ろ……」
愛の必死で絞り出した声は呟き程度。
彼が誰かは知らない。
しかし彼が自分を助けようとしているのだというのは分かる。
そんな気遣いは不要。
神力が尽き、戦う術を失った自分に庇われる価値などすでに無い。
そして誰かを巻き添えにした最期なんて愛はまっぴらごめんだった。
だが彼は動かない。
まるで勝算があるかのように悠然とした態度のように思えた。
「グオォ……」
がしゃどくろが戸惑うような声を上げ、ほんの一瞬その動きを止める。
刹那――目の前の男は地面を蹴り、人の身では不可能と思われるほどの跳躍を見せる。
その跳躍の到達地点はがしゃどくろの目と鼻の先。
それは言葉の例えではなく、真にその巨大なしゃれこうべの目前に迫っていた。
「おりゃあぁぁぁ!!」
まるで子供が喧嘩をする時のような迫力の無い声。
それと同時に繰り出される右拳。
その拳ががしゃどくろの鼻骨の辺りに命中すると――
――ガシャアァァァァァァン!!!
陶器が粉々に砕け散るような音が鳴り響いた。
「なんやあぁぁぁ!?」
その一部始終をはっきりと見ていた猫野瀬が驚愕したかのように叫ぶ。
男の一撃で頭部を粉々に吹き飛ばされたがしゃどくろ。
その巨体は力なく崩れていき、地面に接する前に光の粒子となって消滅した。