「なんやいうねん……」
腰が抜けてしまった猫野瀬は、地面にへたり込んだまま呟く。
彼女は愛から目を離す事は一瞬たりともなかった。その上で男の乱入には全く気付かなかったのだ。
がしゃどくろが愛を襲おうと動き出した時、まるで瞬間移動してきたかのようにその場に立っていた。
二メートルはあろうかという大男は、その鍛え上げられた上半身を露出し、薄茶色の作業服のようなズボンを履いていた。
そして向かってきていたがしゃどくろに向かって跳躍し、ただの一発のパンチで斃してしまったのだ。
ただの物理攻撃が通用しないことは今や全ての日本国民が知っている。ならばあの攻撃は神力をもって放たれた一撃であることは間違いない。しかし危険度が一級指定されているがしゃどくろをただの一撃で屠ることの出来る者がいるなど聞いたことがなかった。
退魔団の応援だろうか?
自分たちにすらその存在を隠していた秘密兵器?
そんな考えが脳裏を過った。
「大丈夫か?どこか怪我してないか?」
大男は倒れたままで呆然としていた愛に声をかけた。
筋骨隆々な肉体に、やや目尻の垂れ下がった穏やかそうな容姿。
無造作に伸びた頭髪と、顎のあたりに無精ひげが伸びている。
体格のことを無視すれば、どこにでもいそうな中年男性だった。
「……あ、ああ。神力が尽きただけで大きな怪我はない」
愛は状況が把握出来ずに混乱していたが、とりあえず男に敵意はなさそうだと判断した。
「そっちの姉ちゃんも無事かー!」
猫野瀬に向かって男は叫ぶ。
――こくこく。
突然自分に話しかけられた猫野瀬は、反射的に頷くことしか出来なかった。
「そうか。それなら良かった」
「こんな体勢で申し訳ないが、まずは礼を言わせてもらいたい。あなたのお陰で助かった。ありがとう」
懸命に身体を起こした愛だったが、とても立ち上がれる程の体力は残っておらず、地面にをかくような体勢でそう言って頭を下げた。
「ああ、別に感謝されるようなことじゃない。これが俺の仕事だからな」
男はそう言うと、自分も愛の前に胡坐をかいて座った。
「……仕事?じゃあやはりあなたも退魔団の――」
「あ、そうそう!」
何かを思いついたのか、男は愛の言葉を遮るように口を開いた。
「なあ、あんたたちって外の人なんだろ?」
「え?外の……?」
「そう、父ちゃんたちが言ってたんだよ!この村の外にはすげえたくさんの人が住んでるって!昔は外の人たちも村にも来てたんだけど、俺が生まれてからは誰一人として来たことがないらしい」
「村……!?。あんたまさか翠ヶ林村の住民か!!」
「ん?そりゃそうだろ?ここは村の祭儀場なんだから、そこにいる俺は当然村のもんに決まってるだろ?」
「え?祭儀場?」
「ああ、ここは翠ヶ林村の外れにある祭儀場だ。冠婚葬祭の全てはここで行ってるんだ。とは言っても、実際はほとんどが葬式だけどな」
愛は改めて周囲を見回す。
綺麗に整地された平らな広場。
明らかに人の手によって造られたものだとは思っていたが、ここがすでに目的地の翠ヶ林村だとは想像していなかった。
「……本当にあったんだな。なあ、村にはあんたの他にも住人がいるのか?」
「そりゃあいるさ。ほとんどが老人だけど全部で八十人……ああ、吉田の爺ちゃんが昨日死んだから七十九人いるぞ」
「この山奥でそれだけの人が無事に……」
それは奇跡のようなことであった。
愛自身も本当に生存者のいる村があるとは信じていなかった。
ただ任務だからそれを表に出していないだけ。
廃村を確認してすぐに帰還するつもりでいたのだ。
「愛さん!大丈夫なんか!」
よろよろとした足取りで猫野瀬が二人の下へ歩いてきた。
その目に浮かぶ男に対する警戒心を隠そうともせずに。
「ああ、大丈夫だ。この人のお陰で命拾いした」
「……そうか。それやったらええんやけどな」
「ああ、そういえば助けてもらったのに挨拶がまだだったな。私は退魔団関西支部第8師団の師団長を務めている
「……」
「おい猫野瀬。助けてもらったんだからちゃんと挨拶くらいしろ」
「……猫野瀬です。助けてもろてすいません」
「いや、さっきも言ったが、これが俺の仕事だから助けたとか気にすることはないぞ」
「仕事?」
「なあ、あんたはさっきもそう言ったが、あんたの仕事って何だ?いや、言えないことなんだったら良いんだが」
「別に言えないことじゃない。俺はこの村を守る為にここにいるんだ。生まれた時からずっとな」
男の言葉に、愛は先程の光景を思い出す。
自分たちが手も足も出なかった化物を一撃で倒す力。
なるほど、この村がこれまで無事なのはこの男の存在があったからなのかと腑に落ちた。
「あんた一人で村を守ってきたいうんか?岩戸隠れから四十年も?そりゃあさっきの見たら信じとうもなるけどな、そうやとしたらあんた一体歳なんぼなんや?」
「今年で四十になる」
「え?」
愛は男の年齢を聞いて驚く。
「それやったらおかしいやろ?四十年前にあんたが生まれて、その年に岩戸隠れが起こっとるんや。その時の村の人口がなんぼおったか知らんけど、あんたが強なるまでに全滅せん方がおかしいやん」
猫野瀬が愛の疑問を代弁するかのように話す。
今の男の強さを考えれば、幼い頃からそれなりの強さにはあったと想像出来る。しかし、いくらなんでも生まれたばかりの赤子が村を守ることなど出来ようはずがない。
しかし別の考え方もある。
「猫野瀬、この人が育つまでの間に他の村人たちの中に強い神力を授かった者がいたのかもしれない。いや、今の時点でもそういう人が複数人いるのかもしれない」
それならば山間の小さな村がこれまで生き残っていたことにも合点がいった。
「それはそうですけどね。さっきこの人は産まれた時からずっとこの村を守っていはるみたいなことを言うてたんですよ。まるで一人で使命を受けて生まれてきたみたいに」
それは言葉のあやだろうと愛は思う。
他にも戦える人がいて、男も村を守る為に子供の頃から戦っていた。そんな責任感からの言葉だろうと。
しかし――
「いや、言ったとおりだ。俺は産まれてからずっと一人でこの村を守っている。そういう約束だからな」