目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

9 短い夜と遠い山


外交都市マトシリカでの会談を終えたその日の夕暮れ。

その陽の名残に照らされながら、灯生は高台から街を見下ろしていた。

中央にそびえる双塔が、どこか名残惜しげに揺れているようだった。


重い風が吹く中、灯生はケルバの長老・ライザンと静かに向き合っていた。


「……すまないな、こんなふうに急に呼び寄せてしまって。」


「気にするな、若き英雄よ。我らの進む道が重なるなら、歩幅を合わせるだけだ。」


そう言って、ライザンは山のような体をわずかに傾け、礼の代わりとした。


「ええ。カンタレラ公爵は、まだ王国の中に“言葉の通じる人間”が残っていると教えてくれました。」


「それは良い話じゃ。だが……この先に何が待つのかまでは、見通せん。」


灯生は一歩、ライザンに近づくと、言いにくそうに視線を下ろした。


「……実は、次に向かう先があります。」


「ほう?」


「龍人族の里です。ドラゴン山脈の向こう側にある古い集落を、訪ねるつもりです。」


その言葉に、ライザンの耳がピクリと動いた。


「……なんと? 龍人族、じゃと……?」


「はい。できれば。同盟を結びたいと考えています。」


その一言に、ライザンの顔つきが変わった。

眉が鋭くなり、目が細くなる。


「灯生殿……お主、それがどれほど難しいことか分かっておるのか?」


「話には聞いています。彼らは孤高を貫いてきた。人とも魔とも交わらず、ただ山を護り続けていると。」


「それだけではない。龍人族は、長きにわたり獣の王である我らにすら干渉を許さぬ種族。

 そもそも、彼らが他種族と盟を結ぶなど……。」


ライザンの語気が重くなる。灯生は静かにうなずいた。


「でも、今は違う。王国は“聖戦”を掲げて、魔人や獣人だけでなく、異端とされた全てに牙を剥こうとしている。」


「……。」


「龍人族がこのまま閉ざされた山にいれば、最初の矢が届かないとは限らない。」


沈黙が流れる。

やがて、ライザンは重く息を吐いた。


「……そうじゃな。お主の言葉は理にかなっておる。」


「それでも反対ですか?」


「否。反対はせぬ。……だが、あの者らは簡単には首を縦に振らぬぞ。」


灯生は小さく笑った。


「だからこそ、行ってみたいんです。話すことで変えられることもある。そう思っているから。」


「ふむ……お主は、若いのに妙に老成しておる。」


「……よく言われます。」


二人の間に、ふっと微笑が生まれた。


「では、ケルバに戻るとするか。さすがにここで老骨を遊ばせておる暇はない。」


「それではテレポートしますね。」


灯生は手を掲げた。


「……灯生よ。」


テレポートする前、ライザンがもう一度声をかけた。


「お主のような人間が、もっと多ければ、この世界も、少しは平穏だったかもしれんな。」


「ありがとうございます。……でも、まだ足りません。だから、行ってきます。」


次の瞬間には、テレポートによって、ライザンの巨体が吸い込まれるようにかき消えた。。

残された空間に、風が吹き込んでくる。


「さて……帰りましょうか。」


残されたのは、灯生、サルビア、そして魔王。

マトシリカの塔の陰に差す夕日が、長い影を彼らに落としていた。


——ミンチェスター邸。


「おかえりなさいませ、サルビア様、灯生様、魔王様。」


出迎えてくれたのロータスだった。


「ロータス、また察しがいいね。」


「いえ。会議はいかがでしたか?」


「なんとかまとまったよ。予想外のことを起きたが。」


「それじゃあ、次は山越えというわけですね。」


「ベジハイドを経由して行こう。龍人族の山は、サリヴァンからも見える。

 あの連なる山、ドラゴン山脈の向こうに、希望が眠ってる。」


魔王がわずかに目を細める。


「昔の友が、まだ生きていればな。」


「きっといるさ。俺たちには、まだ話すべきことがある。」


灯生の言葉に、夕日が最後の輝きを投げかける。

そうして、彼らは次なる目的地であるバザール都市ベジハイドへの旅支度を始めたのだった。


マトシリカから帰還した一行を、ミンチェスター邸は温かな灯で迎えていた。

ロータスたちの手によって紅茶と焼き菓子が振る舞われ、重苦しかった会談の空気が、徐々に解かれていく。


「ま、あれだけ堅物そうな公爵が、娘の話題で崩れるとはねぇ。」


ソファに腰を落とした魔王が、紅茶を口にしながらぼやいた。

その隣で、ルーナとリアがやや緊張した面持ちのまま座っている。


「でも……“聖戦”って、やっぱり本気なんだよね?」


ルーナが心配そうに尋ねる。


「うん。第二王子が教会と動き始めた。

 あれはもう、ただの戦争じゃない。」


灯生の言葉に、一同の表情が陰る。


「だからこそ、次だ。」


灯生は立ち上がり、魔王に視線を向ける。


「魔王さん、以前、龍人族の里に行ったことがあるって言ってたよね?」


「ふん、まぁ昔な。あの頃はまだ語る龍が何頭かいたものだ……今はどうか知らんが。」


「場所はわかる?」


魔王は手元のナプキンに即興で地図を描き始める。

複雑にうねる山脈の線、その向こうにぽつりと描かれた印。


「このドラゴン山脈の奥だ。サリヴァンから見えるが、真っ向から突っ切るのは無理だろうな。

 結界のような自然障壁がある。」


灯生はそれを見てうなずいた。


「じゃあ、南回りでバザール都市ベジハイドを経由するルートが現実的だな。

 街道が整ってるし、道中で情報も拾える。」


「おー、あそこか。出店のごちゃごちゃした街だったな。」


魔王が鼻を鳴らす。


サルビアが静かに口を挟む。


「ベジハイドには、母がいます。ギルドの長をしているので、何か協力が得られるかもしれません。」


灯生は微妙な顔をした。


「あの人にまた会うのか……。」



その夜、話し合いが行われた。


「出発は明朝。ベジハイドを経由して、そこから山を越えるルートを取る。」


灯生の言葉に、全員が静かにうなずいた。


「同行するのは、俺、魔王、リア、ルーナ、アルファス、あとカメ吉かな。」


「……ん? 私も連れてくのか?」


アルファスが意外そうに言った。


「山岳戦や初見の種族との対話になる可能性がある。君の頭脳と観察眼が欲しい。」


「なるほど、承知した。」


ルーナとリアも軽く頷く。


「じゃあ、私はセリーヌと留守番ね?」


アーロが言うと、セリーヌが手を挙げた。


「私がアポロンの世話を続けます。彼も……まだ心が不安定ですし。」


「ありがとう、セリーヌ。」


勇者アポロンとロータスも今回は留守番組に回る。

ロータスは寂しげに微笑んだ。


「灯生様。……どうか、お気をつけて。」


「うん。必ず、手がかりを持って帰るよ。」


灯生の言葉に、一同の視線が集まった。


「では、明日出発です。各自、準備を。」



その夜。灯生は、一人、邸内の廊下を歩いていた。

カーテンの隙間から覗く月は、山脈の方角を淡く照らしていた。


「……龍人族。神話を抱える種族。」


ふと、魔王から聞いた巨龍の山を守る龍人族の話が、記憶の奥から甦る。


「もし、彼らが語る守護が今も生きているのなら……。」


そこに、まだ誰も知らぬ真実があるかもしれない。

灯生は静かに拳を握った。


そして翌朝。

ドラゴン山脈の向こうに眠る真実を目指し、彼らは旅立つこととなる。


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?