外交都市マトシリカでの会談を終えたその日の夕暮れ。
その陽の名残に照らされながら、灯生は高台から街を見下ろしていた。
中央にそびえる双塔が、どこか名残惜しげに揺れているようだった。
重い風が吹く中、灯生はケルバの長老・ライザンと静かに向き合っていた。
「……すまないな、こんなふうに急に呼び寄せてしまって。」
「気にするな、若き英雄よ。我らの進む道が重なるなら、歩幅を合わせるだけだ。」
そう言って、ライザンは山のような体をわずかに傾け、礼の代わりとした。
「ええ。カンタレラ公爵は、まだ王国の中に“言葉の通じる人間”が残っていると教えてくれました。」
「それは良い話じゃ。だが……この先に何が待つのかまでは、見通せん。」
灯生は一歩、ライザンに近づくと、言いにくそうに視線を下ろした。
「……実は、次に向かう先があります。」
「ほう?」
「龍人族の里です。ドラゴン山脈の向こう側にある古い集落を、訪ねるつもりです。」
その言葉に、ライザンの耳がピクリと動いた。
「……なんと? 龍人族、じゃと……?」
「はい。できれば。同盟を結びたいと考えています。」
その一言に、ライザンの顔つきが変わった。
眉が鋭くなり、目が細くなる。
「灯生殿……お主、それがどれほど難しいことか分かっておるのか?」
「話には聞いています。彼らは孤高を貫いてきた。人とも魔とも交わらず、ただ山を護り続けていると。」
「それだけではない。龍人族は、長きにわたり獣の王である我らにすら干渉を許さぬ種族。
そもそも、彼らが他種族と盟を結ぶなど……。」
ライザンの語気が重くなる。灯生は静かにうなずいた。
「でも、今は違う。王国は“聖戦”を掲げて、魔人や獣人だけでなく、異端とされた全てに牙を剥こうとしている。」
「……。」
「龍人族がこのまま閉ざされた山にいれば、最初の矢が届かないとは限らない。」
沈黙が流れる。
やがて、ライザンは重く息を吐いた。
「……そうじゃな。お主の言葉は理にかなっておる。」
「それでも反対ですか?」
「否。反対はせぬ。……だが、あの者らは簡単には首を縦に振らぬぞ。」
灯生は小さく笑った。
「だからこそ、行ってみたいんです。話すことで変えられることもある。そう思っているから。」
「ふむ……お主は、若いのに妙に老成しておる。」
「……よく言われます。」
二人の間に、ふっと微笑が生まれた。
「では、ケルバに戻るとするか。さすがにここで老骨を遊ばせておる暇はない。」
「それではテレポートしますね。」
灯生は手を掲げた。
「……灯生よ。」
テレポートする前、ライザンがもう一度声をかけた。
「お主のような人間が、もっと多ければ、この世界も、少しは平穏だったかもしれんな。」
「ありがとうございます。……でも、まだ足りません。だから、行ってきます。」
次の瞬間には、テレポートによって、ライザンの巨体が吸い込まれるようにかき消えた。。
残された空間に、風が吹き込んでくる。
「さて……帰りましょうか。」
残されたのは、灯生、サルビア、そして魔王。
マトシリカの塔の陰に差す夕日が、長い影を彼らに落としていた。
——ミンチェスター邸。
「おかえりなさいませ、サルビア様、灯生様、魔王様。」
出迎えてくれたのロータスだった。
「ロータス、また察しがいいね。」
「いえ。会議はいかがでしたか?」
「なんとかまとまったよ。予想外のことを起きたが。」
「それじゃあ、次は山越えというわけですね。」
「ベジハイドを経由して行こう。龍人族の山は、サリヴァンからも見える。
あの連なる山、ドラゴン山脈の向こうに、希望が眠ってる。」
魔王がわずかに目を細める。
「昔の友が、まだ生きていればな。」
「きっといるさ。俺たちには、まだ話すべきことがある。」
灯生の言葉に、夕日が最後の輝きを投げかける。
そうして、彼らは次なる目的地であるバザール都市ベジハイドへの旅支度を始めたのだった。
マトシリカから帰還した一行を、ミンチェスター邸は温かな灯で迎えていた。
ロータスたちの手によって紅茶と焼き菓子が振る舞われ、重苦しかった会談の空気が、徐々に解かれていく。
「ま、あれだけ堅物そうな公爵が、娘の話題で崩れるとはねぇ。」
ソファに腰を落とした魔王が、紅茶を口にしながらぼやいた。
その隣で、ルーナとリアがやや緊張した面持ちのまま座っている。
「でも……“聖戦”って、やっぱり本気なんだよね?」
ルーナが心配そうに尋ねる。
「うん。第二王子が教会と動き始めた。
あれはもう、ただの戦争じゃない。」
灯生の言葉に、一同の表情が陰る。
「だからこそ、次だ。」
灯生は立ち上がり、魔王に視線を向ける。
「魔王さん、以前、龍人族の里に行ったことがあるって言ってたよね?」
「ふん、まぁ昔な。あの頃はまだ語る龍が何頭かいたものだ……今はどうか知らんが。」
「場所はわかる?」
魔王は手元のナプキンに即興で地図を描き始める。
複雑にうねる山脈の線、その向こうにぽつりと描かれた印。
「このドラゴン山脈の奥だ。サリヴァンから見えるが、真っ向から突っ切るのは無理だろうな。
結界のような自然障壁がある。」
灯生はそれを見てうなずいた。
「じゃあ、南回りでバザール都市ベジハイドを経由するルートが現実的だな。
街道が整ってるし、道中で情報も拾える。」
「おー、あそこか。出店のごちゃごちゃした街だったな。」
魔王が鼻を鳴らす。
サルビアが静かに口を挟む。
「ベジハイドには、母がいます。ギルドの長をしているので、何か協力が得られるかもしれません。」
灯生は微妙な顔をした。
「あの人にまた会うのか……。」
その夜、話し合いが行われた。
「出発は明朝。ベジハイドを経由して、そこから山を越えるルートを取る。」
灯生の言葉に、全員が静かにうなずいた。
「同行するのは、俺、魔王、リア、ルーナ、アルファス、あとカメ吉かな。」
「……ん? 私も連れてくのか?」
アルファスが意外そうに言った。
「山岳戦や初見の種族との対話になる可能性がある。君の頭脳と観察眼が欲しい。」
「なるほど、承知した。」
ルーナとリアも軽く頷く。
「じゃあ、私はセリーヌと留守番ね?」
アーロが言うと、セリーヌが手を挙げた。
「私がアポロンの世話を続けます。彼も……まだ心が不安定ですし。」
「ありがとう、セリーヌ。」
勇者アポロンとロータスも今回は留守番組に回る。
ロータスは寂しげに微笑んだ。
「灯生様。……どうか、お気をつけて。」
「うん。必ず、手がかりを持って帰るよ。」
灯生の言葉に、一同の視線が集まった。
「では、明日出発です。各自、準備を。」
その夜。灯生は、一人、邸内の廊下を歩いていた。
カーテンの隙間から覗く月は、山脈の方角を淡く照らしていた。
「……龍人族。神話を抱える種族。」
ふと、魔王から聞いた巨龍の山を守る龍人族の話が、記憶の奥から甦る。
「もし、彼らが語る守護が今も生きているのなら……。」
そこに、まだ誰も知らぬ真実があるかもしれない。
灯生は静かに拳を握った。
そして翌朝。
ドラゴン山脈の向こうに眠る真実を目指し、彼らは旅立つこととなる。