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8 交わらぬ道の前にて


――外交都市マトシリカ。


風を切るように立ち尽くす二つの影。

灯生と、そして獣人国ケルバが長老ライザンが立っていた。

念話で連絡し、テレポートさせたばかりだった。


「随分と、文明の匂いが濃い街だの。」


「魔道具と商人が集まる街です。ここなら、言葉よりも取引のほうが通じやすいかもしれません。」


とそこへやってきたサルビアと魔王。


「これはお久しぶりでございます、ケルバの長老ライザン殿。」


「久しぶりだミンチェスターの当主よ。」


2人には面識があったのか。


「そちらの従者の方は?」


「あ、それは……。」


「我は魔王である!!」


その人間の姿で魔王と言われても……。


「魔王殿であったか。人間の従者で潜入ですかな?」


「ま、そのようなものだ。」


言葉を交わす間に、4人は目的の建物へと歩みを進める。

中央区、マトシリカの象徴とも言える左右に並ぶ双塔。

王国と魔人国のはざまにある平和の象徴である。

その二つの尖塔を連結する空中建築の中心に、今回の会談で訪れる双塔接議堂が存在している。


双塔接議堂に到着すると、公爵の従者が待っていた。


「お待ちしておりました、サルビア・ミンチェスター様、灯生様。そちらの方々は?」


「獣人国ケルバの長老ライザン殿と私の従者です。お気になさらず……。」


「承知いたしました。中で公爵様がお待ちです。」


公爵の従者が扉の前に立つ。


「さて、行きましょう。」


サルビアが頷き、公爵の従者がその扉を静かに開けた。

厳かな響きを立てながら、会談の場がその姿を現した。


双塔接議堂その中枢部、中央議場にはすでに緊張した空気が張り詰めていた。


「マリフ公爵様、お客様が到着されました。」


室内には重厚な調度と冷たい光の中で、ひときわ存在感を放つ男が座していた。

銀の髪を後ろで束ね、渋い紅茶を傾けているカンタレラ・マリフ公爵がいた。

外交都市マトシリカの領主にしてランドベルク王国五代貴族が一人。

初対面の灯生を見て、くすっと皮肉めいた笑みを浮かべた。


「……なるほど。君が灯生くんか。なるほどなるほど。

 噂よりずっと真面目そうな顔をしている。」


灯生が軽く頭を下げた。


「はじめまして。お目にかかれて光栄です。」


「そうかい? 私はそれほど光栄じゃないね。政治の場に出るのは、胃が痛むんだ。」


カンタレラは軽口を叩きながらも、その目は一切の油断を見せなかった。


「……それでも、娘が君に世話になったと聞いては、礼の一つも言わねばなるまい。

 スベトラーナ、あれは手のかかる娘だ。サリヴァン魔術学校の話は、娘から何度か聞いているよ。」


その名を聞いて、灯生は一瞬、言葉を失った。

サリヴァン魔術学院で臨時教師をしていた頃の記憶が脳裏をよぎる。

スベトラーナ、気の強い少女だったな。その父親が公爵だったのか。

それと気の弱いララという従者も。ララは元気にしているだろうか。暴発していないとよいが。


「スベトラーナさん、ですね。まさか、あの方が閣下のご息女だったとは……。

 彼女とその従者のララは元気にしていますか?」


カンタレラは微苦笑した。


「ララ……あの真面目な従者か。ふむ。二人とも元気だよ。

 世の中、狭いとはこういうことだ。だが、私はそれを“運命”と呼ぶことにしている。」


軽く皮肉を交えながらも、その声には確かな温度があった。

一瞬だけカンタレラの眉が動く。


「……いや、まぁいい。本題に入ろう。」


カンタレラは椅子から立ち、窓際へと歩いた。

その背には、公爵付きの従者が静かに控えている。


「……サルビアさん、そして灯生君。君たちは、王国がいかに恐れているか、理解しているだろうか?」


「恐れている……何をでしょう?」


「魔法そのものさ。いや、もっと正確に言おうか。」


カンタレラはくるりと振り向き、窓越しに見えるマトシリカの塔を指差した。


「この都市、中立を掲げながら、王国と魔法国家サリヴァン、いや、魔人国の橋渡しをするこの地。

 王国はここをただの商都として見るふりをしているが、本音ではこう呼んでいる。砦とね。」


灯生の眉がわずかに動いた。


「魔人国が獣人国と組むのでは、と恐れているのですか?」


「当然。だが問題はもっと根が深い。“獣神の石碑”の名は聞いたことがあるか?」


灯生とライザンは目を見合わせる。


「それが破壊されたことで、王と獣人の契約は形骸化した。

 信仰を支える礎が砕かれた時、王たちは神罰を恐れた。

 だが……君たちは、信仰など関係ないと言うのか?」


「いいえ。信じています。だからこそ、手を取りたいと思っている。」


その一言に、カンタレラの目が細くなった。


「……ふむ。君が信じているなら、話は進めやすい。」


「本来、王国とケルバは盟約を結んでいた。だが半年ほど前。

 ドカチリチのやつが“獣神の石碑”を破壊したことで、王国はその協定を破棄した。」


ライザンが静かに頷いた。


「王国は神との契約を物に依存していた。……誤りだ。」


「問題は、彼らが“原初の徴”を得た者を神の敵と見なしている点だ。」


カンタレラの声は冷静だったが、その奥には激しい怒りが潜んでいた。


「分かっているさ。だが、王家にとってはそうではない。民の中に神の証が芽吹けば、正統の根が問われる。 神の代理である王たちは、それを恐れる。ゆえに、あなたを敵と定める。」


ライザンは拳を握りしめた。誰かが定めた正しさの名の下で、どれだけの命が奪われるのか。



その時、双塔の衛兵が扉を押し開けた。


「緊急の報告です。王都より、信書にて!」


カンタレラが目配せで従者にそれを受け取らせ、封を開き、公爵に耳打ちした。

苦々しい表情のままカンタレラは皆に向き直る。


「……予想より早い。ヴェルセリア第二王子が議場に現れ、イヴアダ教会の大司教ザラディオと共に、“聖戦”を宣言したそうだ。」


灯生たちの間に緊張が走った。


「……そうか、第二王子が動いたか。」


カンタレラの顔から笑みが消える。


「どうやら、王城では私の不在を好機と見たようだ。第二王子と、ザラディオにしてやられたな。」


その言葉に、灯生たちの表情が硬くなる。


「……聖戦、ですか……。」


サルビアが静かに息を吐く。


「戦を、神の名で……。」


「君たちはどう受け取る? “聖戦”とはつまり、異端への全面戦争という意味だ。」


灯生は、しばし黙してから、まっすぐに言葉を紡いだ。


「それは、もう対話をやめるという宣言と、同じだと思います。」


カンタレラは静かに頷いた。


「私もそう思っている。だから、私は今ここで覚悟を問いたい。」



そして、しばしの沈黙のあとに言った。


「君たちの中に、“勇者”と呼ばれた者はいないかね?」


静まり返った空気に、まるで氷が落ちるような硬質な響きだった。

灯生は一瞬迷う。だが、嘘をつく意味はないと判断し、正直に答える。


「……はい。王城の地下で奴隷として囚われていた獣人たちを助けた際、勇者と呼ばれる者もいました。」


「そうか。それはよかった。なにせ召喚されたのが十代ほどの子どもだったからな。

 しかも奴隷の首輪をして地下牢に閉じ込めおった。見るに堪えん光景だった。」


「それ以来、彼は私たちの側にいます。」


カンタレラは意外そうな顔はせず、むしろ納得したように頷いた。


「そのまま君のところで面倒を見てくれないか。」


灯生は顔を上げる。


「……よろしいのですか?」


「無用な軋轢を生むだけだ。私の派閥では、そうした存在を受け入れきれない。

 君たちに託したほうが理がある。」


カンタレラの言葉は冷静だったが、その裏には決断があった。

人を信じ、信じられる者に託す、それが彼の選んだ戦わぬ知将としての道だった。


「我が家は、決して無謀な戦を望まぬ。

 もはや対話は果たされぬとするならば、備えねばならぬ時が来る。」


重い言葉だった。

だが、その言葉を遮るようにサルビアが一歩前に出る。


「ならば、私たち魔人国と獣人国とで新たな同盟の火を灯しましょう。」


サルビアの視線を受け、ケルバの長老ライザンも頷く。


「神の代理を名乗る王に、信仰の名を借りて殺戮を始める教会。

 それに抗うには、今こそ新たな契りが必要だ。」


それを聞いたカンタレラは、ふと遠くを見るような目で言った。


「王も、教会も、正義を語るが……。それに抗えるのは、信仰ではなく、覚悟と行動だ。

 君たちの手に、希望があるなら、私もまた剣ではなく言葉で戦おう。」


その言葉に、灯生は静かに頷いた。


こうして長い会談は終幕したのだった。

そして龍人族の存在が、彼の中で現実味を帯び始める。



会談が終わり、灯生たちが部屋を後にする時。

カンタレラは最後にぽつりとつぶやいた。


「君の人柄は、あの娘が気に入るのも分かるよ。

 どうか、命を無駄にするな。戦わずに勝つ術を、探してくれ。」


誰かが定めた正しさの名の下で、どれだけの命が奪われるのか。

交わらぬ道の前で、互いの信念を交わしたのだ。


こうして、灯生たちは龍人族との接触へと、次なる歩みを進めることになる。


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