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7 血告げの声


――王国会議、終局の空気の中。


大会議室に、重く冷たい足音が響き、扉が二度、ゆっくりと開かれる。

次第に重苦しい空気が漂っていく。


「失礼いたします。王命により、ヴェルセリア第二王子殿下、ご臨席です!」


騎士団長の号令と共に、その姿を現した。

現れたのは、蒼黒の外套を翻し歩く王国第二王子、ヴェルセリア・ランドベルク。

彼の姿が現れた瞬間、貴族たちの間に緊張が走る。


軍略の才を持つ弟アステッドとは異なり、ヴェルセリアは宗教と学術の分野でその名を知られている。

その立ち居振る舞いは静謐で、一歩ごとに空気が変わるかのようだった。

王の第二子にして、宗教勢力との関係を取りまとめる調停官でもある。


彼の背後にいたもう一人の男が、場をさらに凍らせる。

白装束、首にかけられた神紋、そして禍々しさすら漂う微笑。

イヴアダ教会の最高権威、大司教ザラディオ・アルカルロ。

その登場に、空気が張り詰める。


「……まだ、会議は終わっておりませんようですな?」


その声は冷たく、まるで氷が割れる音のようだった。


「王命により、第二王子アルベルト殿下およびイヴアダ大司教ザラディオ・アルカルロの臨席を許可する」


国王ゴルザスタインが沈痛な面持ちで言葉を発する。

重く、誰も逆らえない威厳のこもった声だった。


まるで儀式でも始めるかのように、ザラディオは壇の前へと進む。

彼は懐から聖典を取り出し、一節を詠む。


「ここに、神より授かりし啓示の言葉を伝えましょう。」


その調子は、まるで聖堂での朗読のようだった。


「皆々様。イヴアダの光、祝福と審判をもたらす神の御声が、この地に届きました。」


   原初の火は、今ふたたび燃え上がる。

   血と炎により、浄化の時が訪れる。

   選ばれし者よ、剣を取り、汚れし者を打ち払え。

   神の赦しは、紅き戦火の先に在り

   やがてその地に、光は戻らん

   されど光は、涙と祈りによりてのみ成る


読み終えたザラディオは、会議卓を見渡す。

その瞳は、まるで哀れむかのような色を帯びていた。


「イヴアダ教会は、ここに宣言いたします。これは聖戦であります。」


その一言が、爆発のようなざわめきを呼んだ。


「ば、ばかな……!」


「聖戦? 教会が……我々の頭越しに……!」


メディシス侯爵が声を荒げる。


「宗教が戦を始めるというのか!?」


だがザラディオは揺るがない。

むしろ、その静けさが狂気めいていた。


「神は、掲げられました。この戦を“聖戦”と定められたのです。」


会議室がざわつく。


グゼレー伯爵が眉をしかめる。


「……つまり、信仰の名のもとに全面戦争を望むと?」


「これは、神の意志。神の御名の下、我らは剣を掲げる。」


ザラディオの笑みが深まる。


国王ゴルザスタインが口を開く。


「貴様は、王国に宣戦布告をしているつもりか」


「いえ、王よ。我らは王国と共に在らんと願っております。

 ゆえに、共に戦い、共に赦しを受けることを望むのです。」


言葉だけを取れば平伏に等しい。

だが、その笑みはまるで、燭台の下で歪む影のように、不自然に、滑らかだった。

どこか、すべてを見下ろしていた。

国王は沈黙し、深く息を吐いた。



だがヴェルセリア王子が、それを断ち切った。


「父上。今こそ決断の時です。」


彼は毅然と立ち、言葉を続ける。


「魔人国と獣人たちは、我らが民に牙を剥いた。神の声を疑う余地はない。

 王国は、この聖戦を受け入れるべきです。」


メディシス侯爵が立ち上がり、王子に同調する。


「我が家も同意します。これは、国の正義と誇りを守る戦いです。」


アステッド王子は沈黙を保った。

彼の眼前には、ケルバで見た“力”の記憶が焼きついていた。

あれは、ただの異形か。神の敵か。

それとも、我らが傲慢が呼び込んだ報いか──。


カンタレラ公爵は既に不在。

彼の沈黙が、場の均衡をさらに不安定にさせていた。


ザラディオが最後に一言だけ残す。


「神の御心はすでに動かれております。血が流れることを恐れるなかれ。血は、救いの予兆なれば。」


そして、白き影が王宮を去る。その場に、静寂が戻る。

だがその静寂には、血の匂いがあった。



月明かりが差し込む回廊。

その背に、従者がそっと囁いた。


「ザラディオ様。血の用意は、整っております。」


聖戦は、始まりの鐘を鳴らした。


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