「現在、偵察用ドローンにダンジョン内の事象を観測させております」
ユイがドローンから回収してきた情報をシスは今までずっと並行で解析していた。
「そのデータにはフォトンやレプトン、ミュオン、クォークなどの量子も含まれております」
ドローンに様々な角度から観測させており、その中には色んな場面でのエネルギーや素粒子の動きなどの計測も含まれている。
「近年提唱された『テトラグラマトン』と呼ばれる量子をご存じでしょうか。実は観測の結果、その素粒子がダンジョン内で多量に検出されております」
「ちょっと待って。テトラグラマトンってあれだろ、他の量子を作り変えてしまう神の量子ってやつ」
アルト達の時代において理論的に提唱された夢の素粒子。フォトン、レプトン、ミュオン、クォーク……あらゆる量子を作り変え、様々な現象を引き起こす言われる科学の錬金術理論。
「あれってまだ仮説だったんじゃないの?」
しかし、あくまで理論は理論。その存在は確認されておらず、よって計測などできようはずもない。
「これは機密情報ですが、実は軍部では既にテトラグラマトンの存在を確認しております」
「待って待って、それってかなりの重要機密だよね!?」
無表情でさらっとぶっちゃけるシスにアルトは慌てた。当然である。どう考えてもテトラグラマトンは兵器開発などにも転用されそうな軍のマル秘としか思えない。
「俺の権限で開示できる情報とは思えないんだけど?」
中尉でしかない自分に漏らしていい内容とは考えられず、知ってしまえば後が恐い。
「ノープロブレムです。現在のマスターの権限は准将相当ですので」
「はい?」
ところが、シスは更にとんでもない情報をぶっ込んできた。
「協議の結果、マスターがこの時代における連合宇宙軍の総司令官であると私達
「だけど、司令官に任じられるのは将官以上からだよね?」
「はい、ですのでアリアドネのメインフレームの権限でマスターは暫定准将の扱いとなっております」
「何それ、初耳なんですけど!?」
あまりの展開にさすがのアルトも真っ青だ。
チラッとユイを見れば誤魔化すようにそっぽを向いてヒューヒューと下手な口笛を吹いている。どうやらアルトはいつの間にかAIにはめられていたらしい。
なんとなく責任を押し付けられたようでアルトはげんなりした。未来に帰還できても軍の暗部から消されたりしないか不安でもある。
「ご安心くださいマスター。軍でもテトラグラマトンは計測が可能となったばかりで、実用段階にはありません」
「それじゃあ俺が知っても問題はないんだね?」
「はい、この情報を知った事でマスターが軍から排除される確率は17.28%です」
「えっ、待って、それって微妙に確率高くない!?」
やっぱり知りたくなかった。
「だいたい、何でそんな不明瞭な量子の観測までしてたの?」
「実はエネミーの残したダンジョンからも、テトラグラマトンが高い濃度で検出されていたのです。そこで、重点的に観測しておりました」
しかし、シスの口から次々と事もなげに機密情報が飛び出し、アルトは耳を塞ぎたくなった。未来に帰還できない方が良いのではないかとさえ思えてくる。
「読み通りでした。冒険者がスキルや魔法を使用したり、モンスターを討伐した時などにテトラグラマトンの変動を観測しております」
そんなアルトをよそにシスは淡々と続ける。表情筋が1ミリも動いていないのに、どこかドヤ顔っぽい。
「あー、これは浮かれまくってるねぇ」
そんなシスの様子にユイが苦笑を漏らす。
「浮かれてる? シスが?」
「うん、アルトがマスターになってくれて張り切っているんだよ。シスってば表情に乏しいから冷静沈着なデキるAIドールに見えるけど、意外とおっちょこちょいだからね」
コソコソっとユイがアルトに耳打ちした。それを目敏く見つけたシスがむっと険のある目を向ける。
「マスター、聞いていますか?」
「はい!」
シスの声音にはどこか棘がある。どうやら嫉妬深くもあるようだ。
「測定によればダンジョンの奥からテトラグラマトンが発生しています。冒険者はそれを体内に取り込む事で身体が強化されるようです」
体内に取り込まれたテトラグラマトンが、冒険者達の身体能力と物理耐性を異常なまでに向上させている。それがアリアドネのメインフレームが出した結論だった。
「そして、それはダンジョン内のモンスターも同様でした」
「なるほど、ダンジョンから離れるとテトラグラマトンの供給は絶たれてしまう。だから、モンスターに通常兵器が通用するようになるし、冒険者はステータスの恩恵もなくなるってわけか」
「さらにスキルや魔法もテトラグラマトンによるもののようです」
モニターのデータが切り替わる。それは冒険者やモンスターが含有するテトラグラマトンの推移で、スキルや魔法を使用した時に減少していた。
「スキルや魔法とはテトラグラマトンで量子を変換した結果に引き起こされる超常現象であると推察されます」
「そうか、だからスキルや魔法には使用回数制限があるし、ダンジョン内で休息していればそれが回復するのか」
言い換えればテトラグラマトンはゲームにおける
「それじゃあさ、レベルアップってどういう現象なの?」
ユイが人差し指を頬に当てながら小首を傾げた。
「まだ検証段階ですが、それもテトラグラマトンで説明がつきます」
モニターのグラフが切り替わる。次に出てきたのは冒険者やモンスターごとのテトラグラマトンの総量のようだ。
「これを見て分かるように、冒険者はレベルが、モンスターは強さが増すほど体内に貯めているテトラグラマトンの総量が多くなっています」
「なるほど、テトラグラマトンを取り入れる量が多ければ多いほど強くなれる。つまり、ステータスが高くなるのか」
「だけどそれっておかしくない?」
シスの説明にユイは眉根を寄せた。
「それなら長くダンジョンにいるほどステータスが高くなるはずでしょ。それに同じ時間滞在している冒険者同士でもレベルによってテトラグラマトンに差異が出るのはどうして?」
グラフを読んでいたユイは矛盾点を指摘した。
「それはレベルごとで取り込める総量に差があるからです」
「レベルが高い者ほどテトラグラマトンを多く保有できるってわけか」
「はい、その取り込める最大値が上昇する現象がレベルアップなのです」
ナノモニターにまた新たなデータが投影される。それは冒険者のちょうどレベルアップした時の前後におけるテトラグラマトン量を経時的にグラフ化したものだ。
「スキルや魔法の使用で消費され多少の変動はありますが、テトラグラマトン量は一定値以上にはならずプラトーになっております」
「ところがレベルアップと同時に最大値が上昇したってわけか」
シスの説明通り、ずっと頭打ちだったテトラグラマトンがレベルアップした後、より多く取り込まれていた。
「ここからは推測ですが、テトラグラマトンに接触し続けていると、ある段階で保有できる枠組みが大きくなるのではないでしょうか」
「だから戦闘経験のない愛華さんの様なダンジョン職員達も長く滞在する事でレベルアップしてるのか」
シスの説明を吟味するようにアルトは少し考え込んだ。確かに辻褄は合うように思える。
「この推測が正しければ、効率的にレベルアップする為により高濃度のテトラグラマトンに接触しなければなりません」
「そうするとダンジョンの奥ほどレベルは上がりやすくなるって事か」
「それとモンスターを討伐するほど、です」
シスから追加のデータが送られてくる。そこにはモンスター撃破時における周囲のテトラグラマトンの濃度変化が表示されていた。
「強力なモンスターほど死亡時に周囲へ大量のテトラグラマトンを放出するようです」
「まあ、強い奴ほどテトラグラマトンを多く持っているんだから当然だな」
テトラグラマトンはMPであると同時に経験値ってわけだと、アルトは妙に納得してしまった。ますますゲームじみてきている。
「なんだかテトラグラマトンって冒険者の間で言われている
どうやらユイも同じ感想を抱いたようだ。
「なあ、テトラグラマトンって名前が長過ぎないか」
そこでアルトは先程から思っていた事に同意を求めようと話題を振った。
「まあ、それはボクも思ってたよ」
「では呼称を改めますか?」
「ああ、テトラグラマトンは冒険者でいうところの
「とても良い名称だと思います」
「そう思うだろ」
にやりと自慢げに笑うアルトにシスも頷いて同意した。
「イエスマスター、これからテトラグラマトンを魔粒子『マノン』と呼称いたします」
「えっ、二人とも本気!?」
こうして戦艦アリアドネのクルーの間ではテトラグラマトンの正式名称は
「ところでさ、魔粒子がレベルやスキルなんかに関与するのは分かったけど、それじゃあボクらがレベルアップできないのはなんでなのさ」
シスの推論が正しいならば、アルトとユイがレベルアップできないのはおかしい。多数のゴブリンを屠って大量の魔粒子を浴びたはずなのだから。
「それはマスターもユイも魔粒子を取り込めていないからです」
今度はモニターにアルトとユイのダンジョン内における魔粒子の経時的測定結果が表示された。しかし、線はフラット。しかも、時間軸に重なっている状態で、魔粒子が全く増えていない。
「ダンジョンに入ってから出るまで、二人から魔粒子を検出できませんでした」
「これってボクもアルトも体内の魔粒子がゼロって事?」
「正確には検出限界ですが、まあそう言っても差し支えありません」
グラフを睨みながらアルトは考え込んだ。
これらのデータからシスの推論は大きく外れていないだろう。アルトの直感がそう告げている。自分達がスキルや魔法を習得できず、レベルも上がらないのにも説明がつく。
だが、原因が分からない。
「どうして俺達は
この問題さえ解決できれば、アルトは未来の科学力と魔粒子の二つの力を行使できる。これは他の冒険者やモンスター、何よりエネミーに対し、かなりのアドバンテージとなる。
「まだはっきりしておりませんが、同じ人類である現地人とマスターに相違点はそれほど多くはありません」
シスの口ぶりからするに、彼女はもう原因に当たりをつけているのだろう。果たしてシスは断言するように言い放った。
「恐らくその原因はナノマシンです」