店のガラス戸を開けて店内に入る。
「いらっしゃいませ」
大きくなく、それでいて小さくもないいつもの声が響く。
そしてカウンターにいる彼女がにこりと僕に微笑みかけてくれる。
相変わらずの大きな目と整った顔立ちを吹っ飛ばすかのような大きな黒縁の眼鏡がトレードマークのここの店長。星野つぐみさんだ。
あの日、ここで模型を買ってからというものちょこちょこ僕はここに顔を出すようになった。
ちょっとした道具や塗料なんかを買う必要があったり、模型製作の相談をしたりと用事があったからだが、まぁ彼女に会いたいという欲求もあったりする。
それで今日はこの前買った模型が完成したから、次に作るやつをどれにするか物色するために仕事帰りに寄ってみた。
「こんにちわ」
そう挨拶して、ふと気がついた。
カウンターの前に50センチ四方の四角っぽい袋がある。
袋の色は黒色のため、中に何か入っているのかわからない。
少し興味があったので思わず聞いてみる。
「それ、何です?」
すると彼女はニコニコしながら答える。
「見たいですか?」
「えっと……」
彼女の表情から見せたくて仕方ないという雰囲気が出ている以上、この場合の選択は一択しかありえない。
「ええ。すごく見たいです」
「ふふふっ。まだ飾る前だけど見せてあげましょう」
そう言って彼女は袋から大事に大事に四角い箱を取り出した。
そこの部分はきちんとした木で作られ、磨かれてニスが濡れこんであり、それ以外の部分は、透明なプラスチックで囲ってある。
そして、その中にはまるで戦争映画のワンシーンのようなジオラマがあった。
下の床の部分は飛行甲板のように表現され、折ってあった翼を元の位置に戻しかけている艦載機と数人のいろんなポーズをした整備員と機体のパイロットらしい人物。それに爆弾を取り付けた台車や機材が配置されている。
まさに出撃準備を再現しているといってもいい。
「すごいな……」
それ以上言葉が出ず思わず見入ってしまう。
もちろんメインの艦載機の出来もすごいが、何より表情さえも見えそうなほど丁寧に塗られた整備員やパイロットのポーズ、それに配置された位置の微妙なさじ加減がすばらしい。
緊張感あるシーンをうまく切り取っている。
まさにプロと言ってもいいレベルの出来だ。
「すごいな……、本当に……」
何度もすごいなと言ってしまっているが、それ以外にいう言葉か見当たらない。
自分の表現力のなさにうんざりしそうになる。
「うふふふ。すごいでしよう」
まるで自分の手柄のように胸を張ってそういい切る彼女に思わず聞いた。
「もしかして、星野店長の作品?」
その言葉に彼女は苦笑して頭をかく。
その態度で、ああこれは違う人のだとわかってしまう。
まぁ、自慢したくなるほどの出来なのは認めるけどね。
そう思いながら再度視線を彼女から模型に移す。
よく見ると下の台の所にプレートが張ってありタイトルと作者名が書いてあった。
『出撃10分前…… 製作:星野悟』
星野悟?
もしかして星野店長の親戚かなんかだろうか。
「あのう、もしかして……」
「はい。私の祖父の作品なんです」
僕がプレートから視線を彼女に移しつつ聞くと、待ってましたとばかりに答えが返ってくる。
「すごいですね、店長のおじいちゃんは……」
「へっへっへ……」
祖父を褒められたのがよほどうれしかったのだろう。
笑顔を浮かべで胸を張る。
「祖父は、ここ、星野模型店の初代店長だったんですよ。すごかったんですから」
「へぇ」
そう返事をしつつ視線をジオラマに向ける。
本当に丁寧で、うまく世界観を引き出していると思う。
「模型が大好きだったんですね。これ見てたらそう感じます……」
呟くようにそう言うと、彼女も頷く。
「ええ、祖父は本当に模型が大好きで、それ以上に模型を作ってくれるお客さんとの交流も大好きでした。だから本当は死ぬまで店長をしていたかったと思います」
そう言って少し彼女の顔が曇る。
「でも足を交通事故で痛めて、立ち仕事や物を運んだりといった仕事が出来なくなって……」
確かに模型の重さはそれほどではないかもしれないが、店内の清掃や商品の入れ替えなとで何度も立ったり座ったりしなければならないだろうし、なにより道具なんかは重いものもあったりする。あと、以外かもしれないが、本なんかの紙の束も量が多いと結構な重さになる。
つまり、結構な仕事量となるのだから、どうしても足が悪いと仕事にならないだろう。
「残念ですね。会ってみたかったなぁ……」
僕がそういうと「多分その打ち合えると思いますよ」と言って彼女はくすりと笑った。
「そういえば、今日はどうされたんですか?」
思い出したかのように彼女が聞いてきた。
ここに来るのは何か必要なものがあったり、相談したりすることがあったときだけだから多分そう思ったんだろう。
あなたに会いに来ました。
なんて言えたらかっこいいんだろうけどそこまでの勇気はないし、今の関係は結構気に入っている。
だから、壊したくない。
そんな思いが強い。
だから今はこのままでいいのかなとも思う。
「前のが完成したから、今日は次の作るやつを探しに来たんだ」
その言葉に、彼女はずーっと僕の方に身体を寄せて聞いてきた。
いきなり顔を近づけないで欲しい。
少しどきりとしてしまう。
「完成したんですね。写真見せてくれますよね」
わくわくした表情でそう聞かれる。
前回相談してもらった時、そういう約束をしていたのだが、今のジオラマの後に見てもなぁというか比べられたらたまらない。
どうしても怖気づいてしまう。
「えーっと……、出来よくないですよ……」
思わずそう言い訳をする。
しかし、彼女はそんなことは関係ないとばかりにキラキラした目でこっちを見ていた。
で、結局、負けてスマートフォンに撮っていた写真を見せる。
見せたくないなら撮らなきゃいいのにと言われそうだが、やっぱり久々の模型製作にテンションが上がりまくり、誰に見せるわけでもないが結構な枚数写真を撮ってしまっていた。
「わー、丁寧に作ってありますね」
つたない出来ではあったが、彼女は実に楽しそうに写真を見ている。
「それに楽しく作ったのかわかります」
写真からどうしてそこまでわかるのかよくわからなかったが、確かに言われてみれば、大変だったけどすごく楽しんでいたように思う。
何度も何度も塗りなおしたり、固定しなおしたり、修正してみたりと手間は確実にかかっている。
しかし、それに対して自分自身、出来は決してよくないのはわかっていた。
でも、なんか楽しいのだ。
「ふふっ。今、すごくいい笑顔されてました」
覗き込むように僕を見て彼女が言う。
そんなことを言う彼女だって、すごく楽しそうだ。
「あ、ありがとう……」
慌ててそう言って視線を店内に移す。
もしかしたら、顔が赤くなってしまっているのかもしれないが、それはスルーしておくことにする。
「次はどれ作ろうかな……」
店内をそう言って見回し、再びカウンターにおいてあるジオラマで目が留まる。
そうだ。飛行機なんかいいかもしれない。
昔は、1/100や1/72の飛行機を何機も作ったし…。
でも、小さいのを作ってもな。
とうせなら、当時作れなかった(価格が高くて)少し大きめのサイズを作ってみようかな。
よし、そうするか。
「ねぇ、店長。この飛行機の縮尺はどれくらいかわかります?」
「えっと、1/48ですね。翼を収納時用に折れるキットですから、T社のやつかな……」
そう言って、飛行機のモデルが置いてあるコーナーに移動する。
僕も後ろからついていく。
そこには、縮尺にあわせて各メーカーの飛行機が並んでいる。
「あ、あったあった…。これですね」
そう言って彼女は一つの箱を取り出した。
『T社 1/48 ヴォートF4U-1D コルセア』
と箱には書かれている。
「このキットは、コルセアのキットの中でもベストといわれるほど出来がいいんです」
そう言いながらキットを僕に渡してくれる。
それを受け取って箱の中を確認する。
かなり細かいところまで作りこまれているのだろう。僕の知っている飛行機のプラモデルと比べると部品点数が多いようだ。
「すごい細かいですね……」
「でしょう?翼を収納時の折りたたんだ状態にも出来るし、かなり細かいところまで丁寧に作ってあるんです。でもその分、作る時大変かも……」
彼女はそう言うと僕の方に目を向ける。
少し難しいかなと僕が思ってしまったのに気がついたのかもしれない。
「そうですね。ここまで細かい飛行機は作ったことないから…。昔は、1/100とか、1/72ぐらいだったからなぁ……」
その言葉に少し考え込むと今度は隣の棚から一つの箱を取り出した。
「こっちはどうでしょう?」
どうやら違うメーカーのもののようだ。
別に同じ機種じゃなくてもいいんだが、せっかく出してくれたのだ。
ちょっと見てみることにする。
T社のものに比べるとこっちは部品点数は少なく作りやすそうだ。
「こっちはH社のヴォートF4U-4コルセアです。古いキットですけど、合いも悪くないし、何より部品点数は少なくてもいい感じになりますよ」
そう言って入り口横のガラス棚を指さす。
そこの飛行機の並んでいる中にこの模型が飾ってあった。
やはり同じ機種でもメーカーによって雰囲気が違うのが感じられる。
しかし、まだまだ復帰中の自分としてはこれで腕試しをしてもいいのかもしれない。
それに、昔はH社の1/72飛行機模型には大変お世話になったし。
「よしっ。これにするか。でも塗料はどうするかな」
そう言いながら説明書の塗料指示を見てみる。
うーん、結構またいろいろ用意しなきゃいけないみたいだ。
そう思っていたら、ニコニコしながら彼女が僕の前にすーっと小さな2つの箱を出してきた。
「最近は、こういうのもあるんですよ」
その箱には、それぞれ『アメリカ海軍機標準塗装色』、『アメリカ陸海軍イギリス空軍インテリア塗装色』と書かれている。
どうやら飛行機モデルでよく使う色をセットで出しているようだ。
それぞれ3色入っている。
「へぇ、便利だねぇ」
「ええ、このセット1つ持ってると同じような機体作るとき重宝しますよ」
確かに。
基本、使う色は軍によって決められていたりするからあると便利なのは間違いない。
「あとは、これもあるといいかな」
そう言って出されたのは、茶色の細いテープ。
「マスキングテープです。塗りわけなんかに使うやつですね。まだエアブラシなんかは使われてないと思いますけど、筆塗りでもあったら便利ですよ」
そう言って、プロペラの先の部分を指差す。
確かに、先の部分だけ黄色になっていた。
フリーハンドで塗ると歪みそうな気がするのですごく助かる。
「じゃあ、それももらおうかな」
そう言って、カウンターに模型の箱を置く。
「お買い上げありがとうございます」
うれしそうにそういう彼女の姿は、自分が進めたものをお客様に買ってもらったという喜びがあふれ出しているという感じに見えた。
そして、清算が終わり、商品を受け取った僕に彼女は極上の笑顔で言った。
「完成したらまた見せてくださいね」
その笑顔は反則だと思ったが、僕は頷き返したのだった。