「よし。つぐみさんの話はわかった。じゃあ、僕の話をしなきゃね」
僕はそう言ってつぐみさんに微笑むと後ろに手をやって上半身を仰け反らせて空を見上げた。
本当は思い出したくない過去。
僕の心の枷となっている出来事。
それを話す事は抵抗がある。
しかし、つぐみさんは、自分の過去の事を話してくれた。
多分、彼女にとっては掘り返したくない過去。
本当なら話さなくてもいい事だった。
誤魔化そうと思えば誤魔化せると思う。
なのに、僕を傷つけてしまったという理由で全てを話してくれた。
だからこそ、僕も話さなければならないと思う。
彼女の真剣な心に答えるためにも……。
「実はね、僕は逃げ帰ってきたんだ」
空を見上げながら話す。
彼女の反応は怖くて見れない。
だから、空を見上げている。
「大学から県外に出て、就職もそこそこいいところに就職した。仕事は大変だったけど、やりがいのある仕事だった。最初の二年は仕事の事しか考えられなかった。だけど、二年の経つと仕事に慣れてきてある程度の余裕が出てきた。そんなときにね、ある一人の女性と出会ったんだ」
女性と出会ったと言うところでつぐみさんの身体が少し揺れるのが目の隅に入る。
しかし、僕はそれを見なかった事にして話を続けた。
「営業先の会社で出会った人ですごく綺麗な人だった。まさに高嶺の花って感じだったよ。駄目元でもいいからアタックしてみたよ。まぁ、いい友人程度にしか思われなかったけどね。でもね、その人が本当に好きなのは僕と同期の友人だった。その友人はすごくいいやつだ。人望もあるし、仕事も出来る。僕なんかよりずっとすごいやつだった。僕にはもったいない友達だった。いやあれは、友達というよりも親友と言ったほうがいいのかもしれないな。それほど仲が良かった。だから、その自慢の友人が好きだって相談を受けた時、素直にうれしかった。だから、僕は諦めるつもりだったんだ」
そこまで一気に言って僕は空から視線をつぐみさんに向けた。
つぐみさんは真剣な表情で僕を見ている。
そんなつぐみさんに向って僕は苦笑いを浮かべる。
「でもね、諦め切れなかった。ドラマや小説のように大逆転があるとは思えなかったし、僕自身、その友人に勝てるとも思わない。でもね、それでもね、諦め切れなかった。だから、素直に彼らを祝福できなかった」
はぁ……。
息を吐き出す。
そして軽い口調で言う。
「まるで自分の思い通りにならないとわかったら癇癪起こす子供のようだろう?」
僕のその言葉に、つぐみさんは首を横に振る。
その瞳には、真剣な熱意があった。
「そんな事ないです。それだけ、あなたがその女性を……す、好きだったってことなんだと思います」
多分、彼女としてはそんな事は言いたくなかったに違いない。
好きという言葉に戸惑いが感じられる。
でも、僕を励ますため、あえて口にしたのだろう。
それが彼女の優しさだ。
「ありがとう、つぐみさん……」
僕はそう感謝の言葉を言ってたものの、彼女の視線に耐え切れなくて横を向く。
「結局、二人は付き合い始めてね。二人共通の友人として互いの相談なんかを受けてたりしたんだ。心の中では分かれろと二人をののしりながら、表ではすました顔してさ。いい友人を演じ続けていたよ。でもね……」
そこで息を整える。
「そんな事も疲れてしまったんだ。心がね、壊れそうで必死に押さえこんでいくとね、段々と感情が麻痺していくのよう感覚になっていくだ。もう、周りのことも自分のこともどうでもいいって感じだね。そして、そんな状況で身体を気にする事もできなくなって体調を崩して入院してしまったんだ。二人ともとても心配したさ。まるで自分のことのようにね。それはそうだろう。彼らの中では僕は最高の友人で、二人のキューピット役だったから。だけど、僕はね、もう自暴自棄になってたからね。見舞いに来た二人をののしってしまったんだ。『こんなになってしまったのはお前達のせいだ』ってさ」
あははは……。
自然と呆れたような笑いが口から漏れる。
「そんな権利なんてないのに、諦め切れない自分が悪いのに。それなのに二人を罵倒したさ。二人は固まっていたよ。彼女は泣いていたな。友人も真っ青な顔をしていた。それはそうだろう。二人共通の一番の友人だと思っていただろう人物にお前達のせいだって罵倒されたんだから。そして、僕は言ってしまったんだ。『もう二度と顔も見たくない。さっさと出て行ってくれ』ってね。二人は何も言わずにそのまま出て行ったよ。そして、僕はそのまま逃げてきたんだ。会社も辞め、二人に謝罪も何もせずに……。そして、あの男の人がつぐみさんの目の前に現れたとき、僕は前の時と同じように逃げ出したんだ」
そして、ため息を吐き出す。
まるで魂が抜き出そうなほど、深いため息だった。
そして、横に向けていた視線をつぐみさんに向ける。
それはどんな表情で彼女が僕を見ているのか知りたかったためだ。
多分、呆れられているだろう。
それとも、或いは嫌悪の色に染まっているだろうか。
そんな思いから、視線を戻しつつ言葉が漏れる。
「ひどい男だろ?」
しかし、つぐみさんの表情は予想したものとは違っていた。
彼女は泣いていた。
そしてすーっと自然につぐみさんは僕を抱きしめ、耳元で囁くように言った。
「そんな事ないです。私だって周りの人をたくさん傷つけてしまいました。それなら、私もひどい女になってしまいます」
「いや、つぐみさんは違うでしょ?」
「ううん、違いませんよ。もし私がひどい女じゃないと言うのなら、あなたもひどい男ではありません」
つぐみさんは、そう言って僕を包み込んでくれる。
これは互いの傷を舐めあうだけの行為なのかもしれないが、それでもいいんじゃないかと思った。
なにより、彼女といる事によって僕は嫌な自分を忘れる事ができたのだから……。
人によっては、それは逃げにしかならないとか言われるかもしれない。
でも、逃げの何が悪いんだ?
別に逃げたっていいじゃないか。
それに、互いを支えあうという関係。
それはそれでおかしいとは思わない。
だって、出会って、惹かれたのは事実だから……。
強く強く惹かれたのは事実だから……。
ここではっきりと拒絶されるかもしれない。
でも、グダグダにするよりはいい。
今までの自分にけじめをつける。
それを含めて……。
だから、僕は……。
「つぐみさん、僕は……あなたが好きです」
そう囁いていた。