「聞いたわよぉ。元許婚相手に大立ち回りやったんだって?」
店に来た秋穂さんは私の傍に近寄ってくると実に楽しそうな表情でそう聞いてくる。
その言葉に驚いて何もいえないまま固まってしまう。
おかしい…喫茶店のマスターには口止めしたはず。
あのマスターはそんなにいろいろ話したりしない人だし。
では、いったい誰が……。
私が黙っている事をいい事に、秋穂さんがべらべらと喋り続ける。
「しかし、彼もなかなか言うわよねぇ。『彼女にあなたは相応しくない。帰ってママの乳でも吸ってろ』でしたっけ?かっこいいわねぇ」
確かにあの時の彼の台詞と表情は痺れるものがあった。
普段は見せない彼のドヤ顔はなかなか味があり、見ててぞくぞくした。
もしチャンスがあるなら、あのシーンは動画で保存しておけばよかったと思ったほどだ。
もっとも、彼は真っ赤になって消してくれって頼み込むかもしれないが。
ああ、その場面が脳裏に浮かぶ。
いやいや。今はそれどころじゃない。今優先すべきは、どこから情報が漏れたかを知る事だ。
まさか彼は言いふらすはずもないし。
他に心当たりあるのは……。
そんな風に考えていると
「いやねぇ、うちの旦那がトイレに行って戻ってきてみたらあんな大立ち回りがあったなんてねぇ、本当に、うらやましいわ。私も生で見たかったわ」
と実に簡単に情報漏れの先を教えてくれる。
南雲さん。あなたですかっ。
今度とっちめてやらないといけないみたいですね。
さてどうしてやろうかしら。
そんな事を思っていたら、状況はより最悪の場面へと移っていた。
「えっ、その場面、南雲さん見てたんですか?」
妹の美紀ちゃんの声である。
裏の倉庫整理が終わって戻ってきたらしい。
「そうなのよ。まるで映画のワンシーンみたいだったって。すごい迫力あってね、もうね見ごたえたっぷりで……」
「えーっ。いいなぁ。じゃあ私が見たのはその後のシーンなのか」
えっ……。私が見たのは、って。
もしかして……。
さーっと血の気か引く。
あの場面を見られていたの?
やばい。
「何々、その後のシーンって?」
「いやね、そこの駐車場で、つぐねぇが彼に抱きついてね……」
いかん止めねば。
私は慌てて美紀ちゃんの口を塞ごうとしましたが、まるでそれを予想していたかのように秋穂さんに羽交い絞めされてしまいました。
いやーっ。
やめてーっ。
言わないでぇーーーっ。
そう叫ぼうとさえしましたが、秋穂さんの手が私の口を塞ぎ、叫ぶ事さえ敵いません。
そんな私を美紀ちゃんはニタリと意味ありげな視線で見た後…
「つぐねぇ、何か囁いた後ね、頬にキスしてたんだよぉ」
言い切りやがりました。
あーーっ。やめてーっ。
顔が熱くなって、真っ赤になっているのがわかります。
「ほほう。つぐみさんもやるじゃないの」
開放されたものの、その場に崩れ落ちるかのようにカウンターに身体を預けてなんとか立っているのがやっとです。
まさかあれを見られていたとは。
不覚……。
不覚ですっ。
うらめしそうな視線で美紀ちゃんを見て「裏切り者っ」とののしるぐらいしか出来ません。
「いいじゃん、幸せそうでさ」
とか言いつつ美紀ちゃんは、楽しそうに裏の方に戻っていきました。
秋穂さんは秋穂さんで、「いいわよ、つぐみさんっ。そう。そうよ。押して押して押しまくって陥落させちゃいなさいよ」なんて無責任な事を言って帰っていきました。
もう、あなたは何しに来たんですかっ。
そう思っていたら、5分もしないうちに秋穂さん、戻ってきました。
どうやら、私をいじって満足してしまって帰りかけたみたいです。
ふんっ。ざまーみろっ。
心の中でそんな風に思ってみましたが、敗北感が半端ありません。
いつか、南雲さんとの馴れ初め聞いていじってやり返すと決心することでこの敗北感を相殺する事にしました。
「えっと、風流なプラモデルですか?」
戻ってきた秋穂さんの質問を聞き返す。
「そう。風流なプラモデルってないかしら?」
「どんな感じのでしょう?」
そう聞き返すと、少し苦笑しつつも、「ほらさ、私、旦那の影響で模型製作始めたじゃない?」と聞いてきます。
「ええ。そう聞いてますけど、それが……」
「実はね、今まで作ってたのは、旦那が結構お勧めしてくれるやつばかりだったのよ。作り易かったり、私の作風にあったやつとか」
「でも、この前の『烈風』は癖のあるキットでしたよね?」
そう、この前、彼に対抗して作った『FM社の1/48烈風』は、よく出来ていたが翼と本体の合わせ目に隙間ができる為、工作が必要だったりと癖のあるキットだった。
「ああ、あれは、旦那がこうすればいいってアドバイスしていろいろしてくれたから……」
それで納得した。
確か、秋穂さんは、模型製作を始めてまた2年も経っていない。それなのに見事なまでの隙間対策がされていたから不思議だなと思った記憶がある。
「なるほど。そういうわけですね。どうりでうまい処理してあるなと思ったんですよ」
私がそう言うと、少し苦笑しつつ「わかります?」と聞いてくる。
「ええ。わかります。結構その人の癖が出ますからね」
「そっかー」
納得した表情で、そう頷くと言葉を続ける。
「まぁ、そういう感じでいつも旦那のチョイスしてくれるのばかりじゃなくてね。たまには変わったものも作ってみたくてね」
「なるほど、なるほど。そういうことですか」
今、秋穂さんは自分の作りたいものを模索し始めているんだと思い、彼女の言葉に私は納得した。
「何かいいのないかしら?旦那を驚かせたいのよ」
悪戯っ子みたいな表情をして目を輝かせる秋穂さん。
ふふふっ。もう立派なモデラーさんですね。
「そうですねぇ。風流というなら、お城とかどうです?」
「うーん。お城か……」
どうも反応がイマイチのようですね。
「なら、動物とか、鎧とかは?」
「風流って感じじゃないわ」
うむ、なかなか難しい。
そんな事を思っているとこの前入荷したキットの事を思い出した。
そんなにたくさん売れるものではないので1~2個程度しか入荷していないが、まだあったはず。
「ちょっと待ってくださいね」
私はそう断って、商品棚を探すと、あった。あった。ありました。
「こういうのはどうでしょう?」
そう言って出したのは、
『D社 1/30 レトロ屋形船』
と名前が印刷された模型だ。
「へぇ……」
驚いた表情で、秋穂さんは箱を受け取る。
かなり意表を突かれたらしい。
「これなら風流だし、部品点数が少ない分、塗装とかに力を入れられますよ」
多分だが、私の読みでは、秋穂さんの今までの作品から作るよりも塗装する方が好みだと思ったのだ。
秋穂さんは、考え込むように箱を見た後、「中身見てもいい?」と聞いてくる。
「もちろんいいですよ」
私はそう答え、秋穂さんの様子を観察する。
箱の中身を見ながらどうやら頭の中でどう塗装するかとか考えているのだろう。
ぶつぶつとなにやら言った後、箱を閉める。
「いただくわ。さすがね。ナイスチョイスよ」
秋穂さんは、実にうれしそうにそう言うとぐっと親指を立てる。
「それはよかったです。あと……」
「あと?」
「よかったら完成品、写真でいいので見せてくださいね」
私の言葉に、彼女は極上の笑顔で答えた。
「もちろんっ!」と。