ここは模型店の近くの喫茶店だ。
そう。この前、つぐみさんが大立ち回りを演じた場所でもある。
入りづらかったが、ここ以外いい待合場所が思いつかず、結局ここにするしかなかった。
諦めて入店すると、マスターは「よう」と言ったっきり反応はない。
ああ、そういえば、つぐみさんも言ってたっけ。
ここのマスターは口が堅いし、信用できるって。
そんなわけで、いつものコーヒーを注文し、テーブルに座って本を読んでいた。
からんっ鈴が鳴り、新しいお客が入ってきたのを知らせる。
この前、この鈴の音に気がつかないほど、白熱してたんだという事を思いつつ、入ってきた目的の人物に手を上げて場所を知らせる。
「よう。FMのヨンパチ彗星作ってるんだって?」
そう言いつつ僕に近寄ってきたのは南雲さんだ。
「ええ。苦戦してますよ」
苦笑して事実を伝える。
マスターに注文をしてこっちを向くと
「ああ、ありゃ、悪いキットではないんだけどなぁ」
そう言って言葉を濁す南雲さん。
僕も何が言いたいのか作ってみてよくわかる。
全体的なフォルムや雰囲気はかなりいい感じだし、モールドもシャープでかっこいい。
しかし……。
そう、しかしが続くのだ。
部品と部品の合いがあまりにもよくない。
隙間が出来るのは当たり前と言う感じで、それを埋めるためにパテや溶きパテを使い削る。
するとせっかくのシャープなモールドが消えてしまって彫りなおすなり何なりしなくてはならない。
実際に、胴体だけでなく、主翼と胴体の貼り付けでも隙間が空いてしまい、溶きパテのお世話になってしまった。
つまり、胴体だけでなく、翼の付け根も削る必要が出来たわけだ。
作業が進む分、その都度手間が増えていくというパターンである。
「わかります。悪いキットではないんですよねぇ」
僕も同意する。そして、言葉を続ける。
「でも、初心者やパーッと一気に作りたい人にはお勧めできませんよねぇ」
「そうなんだよなぁ。あの日本機としては珍しい水冷式の独特のデザインは好きなやつが多いんだけどな。いかんせんかなヨンパチは鬼門になってるな」
うーん、もったいないんだよなぁ。
合いさえよければ結構いいキットだと薦められるんだが…。
「でもな……」
それでも南雲さんはニタリと笑う。
「自分の腕試しにはもってこいのキットではある」
多分、それは正しい判断だ。
それがあったから、つぐみさんのおじいさんは僕の試験にこのキットを選んだんだろう。
「そうですね。おかげで自分の腕のレベルがよくわかります」
僕は苦笑しながらそう言った。
「俺も2回作ったが、作るたびに自分のテクニックのレベルの確認が出来たよ」
そう言って、ふと思い出したように言う。
「ところで、俺に会いたいってのはそれだけじゃないんだろう?」
そうなのだ。
今日は、南雲さんに相談したい事があってわざわざ来てもらったのだ。
「実は彗星にかかりっきりで、同好会のお題のプラモ作る暇ないんですよ。どうしたらいいですかね」
模型同好会に入った僕としては、そっちの方もしっかりやりたいのだが、運が悪い事に、同好会の1ヶ月に1回行われるお題を決めての評論会に提出する作品の提出時期とつぐみさんのおじいさんの試験の提出時期が重なってしまったのだ。
多分、どっちも同時にやっていたらどっちも間に合わないだろう。
あるいは、どっちも半端なものになってしまうに違いない。
だから、同好会の会長であり、つぐみさんのおじいさんと親しい南雲さんに相談したのだ。
「そうか。そうだったな。ならさ、その彗星を出せばいいんじゃねぇか?」
予想しない言葉に「えっ?」と驚く。
そんな僕を見て、南雲さんは苦笑し、言葉を続けた。
「確か、今月のお題は『チャレンジ』だったよな」
「ええ。だから以前買ってた10式戦車作りかけてます。戦車なんて中学以来作ってませんからね。久々に戦車の模型にチャレンジしてるって感じです」
僕の言葉に、南雲さんは「なんだ。戦車か?どうせ作るならチャレンジャーにすれば笑いも取れて面白いのにな」とか言っている。
「いいじゃないですか。そういう南雲さんは、何作ってるんですか?」
「俺は大物キットを作ってるよ。はじめて手を出すやつでな。H社の1/72の二式大艇だよ」
「えっ?」
確かに、大型キットだが、結構組みやすくて評判のいいキットと言う話だった。
今回のお題は『チャレンジ』だが、いくら始めて作るとはいえそれはお題にあわないのでは……。
多分、僕の口から出た驚きの声と表情でわかったのだろう。
「おいおい。新規の方じゃねぇよ。ツテでな、古いほうが手に入ったのでそいつを作ってる。確か昭和40年代のプラモだったかな」
「昭和40年代って……」
「まぁ、金型60年以上前のやつだな」
「うわー。それってすごくないですか?」
思わず、そう言葉が出る。
「ああ、すごいぞ。まともに合う事の方が珍しいほど修正が必要だからな。まぁ、修正しなくていいパーツなんてほとんどないと思っていいぞ」
その言葉にあきれ返る。
僕の彗星の比ではない。
まさにチャレンジにぴったりの作品だ。
「参りました」
「はははは。そうだろう、そうだろう」
そう言って笑う南雲さん。
この人はすごい人だと再度実感する。
模型に対しての愛情と熱意と挑戦し続ける心。
まだまだ頑張りが足りないなと実感させられる。
「そんなわけで、彗星一本に絞ってやってみろよ」
「はい。わかりました。そうします」
そう言って僕は頭を下げる。
南雲さんのような先輩を持ててよかったと思う。
しかし、そう思ったのも一瞬だった。
「なぁに、お前がつぐみちゃん絡みで親父さんからいろいろやらされているっていうのは、同好会では全員知ってるからな」
南雲さんの言葉に顔が引きつる。
ちょっと待て。
今、なんとおっしゃいましたか?
ゆっくりと顔を上げて、南雲さんを見つつ、言葉を紡ぐ。
「今、同好会全員って言いましたか?」
「ああ、言った……けど……」
僕の顔を見て南雲さんの表情が強張る。
「まさか、南雲さん……言いまわってませんよね?」
僕の言葉にずりっと後ろに下がる南雲さん。
「い、言いまわってないぞ。でもさ、聞かれると……」
「言ったんですね」
しばしの沈黙の後……。
「すまんっ」
テーブルに手をついて謝る南雲さん。
それを冷ややかな目で見下す僕。
そして、その構図を、カウンターから見ているマスター。
そしてマスターの口がぼそぼそと動く。
「いやはや、こういうのが見れるのはこの仕事の役得だよなぁ…」
そう言ってたのだが、声が小さい上に、目の前の南雲さんに気が集中していた僕が気がつくことはなかった。