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第52話 誕生日 その1

「すごいね、これ」

私のすぐ後ろから声がします。

もちろん、彼です。

「そ、そうですね…」

そう返事をしつつもドキドキが止まりません。

ここは、『2018年新作模型見本市』の会場で、私と彼は会場を回っている最中です。

有名な日本の模型メーカーやカスタムパーツのメーカー、それにガレージキットを出している会社や個人、さらに海外メーカーを輸入している業者の新作の見本の完成品だけでなく、ランナーに付いた状態(プラスチックの枠に付いたままの部品の状態)のままでの展示、さらに新作予定など実に見ごたえのある内容がずらりと並んでいます。

模型店の店長としてはしっかりと見て今後の仕入れの参考にしないと駄目なのですが、どうも集中できないでいます。

そうです。

あの美紀ちゃんの「この前彼が来た時に聞かれたから、つぐねぇの誕生日教えたからね。今度の日曜日、期待していいんじゃないかな…」の発言のおかげでドキドキが止まらないんです。

それだけではありません。

付き合う宣言初のデート……。

そして、会場の人ごみの為、私達は普段よりも寄り添って行動しています。

元々展示数の多さの割りに部屋が狭く、その上かなりの人たちがいるのですから仕方ありません。

でもですね、私の耳元で彼の声が囁くようにいきなり聞こえるのは反則だと思うのです。

心臓によくありません。

「あ、これなんかいいね。かっこいいし、塗装しやすそうな構成してるよ」

彼の指差す先にはT社の1/48サイズのF14があります。

翼が後ハメできるため、可変翼であるトムキャットなんかは確かに塗装しやすいでしょう。

でもね、彼の息が……体温が感じられちゃいます。

うわーうわーっ。

一気に身体の熱が上昇してクラクラしそうです。

あ、返事しないと……。

「そ、そうですね。で、出来もいいみたいですし、さすがですよね」

最近、飛行機模型をよく買っている彼だけにチェックしているみたいです。

「あ、ごめんっ」

多分、後ろから押されたのでしょう。

彼の手が私の肩にかかり、背中に彼の身体が一瞬だけですが当たります。

そうですね、後ろから抱き付かれるといったほうが近いかもしれません。

あー…彼の体温が背中に感じられるっ…彼の吐息が首筋に当たる~っ…。

「す、少し、休憩しませんか?」

このままでは、倒れそうです。

クールダウンが必要です。

「そ、そうだね。人が増えてきたみたいだから、少し休憩しょうか」

そう言って、彼は私の手を取って、人ごみの中から私を誘導してくれます。

手が熱を持っています。

あっあっあっ、手汗かいてないかしら。

そんな変なことばかり気になります。

ともかく、人ごみから離れ、近くの自販機コーナーに移動しました。

そこは人はまばらで、人ごみの中にいた身としては、ほっとできる空間となっていました。

ガシャンっ。

「ほいっ。確かつぐみさんは、C社のブラックのコーヒーでいいよね?」

「はいっ。ありがとうございます」

私は冷たい缶コーヒーを受け取ります。

あーっ。冷たくで気持ちいいっ。

熱を持っていた思考が冴えてくると今度は別の事に気がついてしまいました。

あ、最近、私がハマっているコーヒー缶の銘柄までチェックされて知られてる。

会場に着く前に食べた昼食の時もそうでした。

私の好きな料理をうまくチョイスしていて、どう考えても好みが把握されているとしか思えません。

誕生日なんかも知られているし……。

うーっ、なのに私は彼の食べ物の好みも誕生日も知りません。

なんか、いつもリードされっぱなしです。

これはこれでいいんですけど、なんか私としては不完全燃焼です。

やっぱり、互いの事を知って、互いに助け合い、支えあうっていうのが大切なんじゃないでしょうか。

でも、私は尽くされてばかりです。

そんなことが気になってしまって、手が止まっていたのに気がついたのでしょう。

「えっと、美紀ちゃんから最近はこの缶コーヒーが好きみたいよって聞いてたんだけど……。違ったかな?」

「い、いえっ。今、この缶コーヒーにハマってますよ」

私は慌ててプルタブを引き出して戻すとコーヒー缶を口に寄せます。

あー、冷えたコーヒーが実に心地よいですっ。

「ふぅっ……」

「しかし、こんなに人が多いとは思わなかったよねぇ……」

彼も同じコーヒーを飲みながら、展示物のある方を見て苦笑しています。

「そうですねぇ。こういうのがあると私達としても仕入れの時に目安が立てやすくなりますね」

そんな事を話していたときでした。

「ああっ、星野さん。星野さんじゃないですかっ」

そう声をかけられ、私は声の方を向きました。

そこには同じように休憩しているスーツ姿の中年の男性が立っていました。

「ああ、どうもお久しぶりです」

私がそういいつつ頭を下げると、私の横で彼も同じように頭を下げています。

「今日は、悟さんが来ていると思ったんですけど、つぐみさんが来ているとは…。いやはや、爺よりも若い女性のほうがやっぱり華があっていいですな」

そう言われ、私は苦笑する。

「佐藤さんこそ、相変わらずですね。その言い方だと、若い女性なら誰でもいいって取れますよ」

私の言葉に右手で自分の頭をぽんっと叩き、「これは一本とられましたな」といってカラカラと笑う佐藤さん。

私も釣られてクスクスと笑う。

「しかし……」

笑いが収まり、佐藤さんは観察するように私と彼を見る。

「しかし?」

思わず聞き返すと、予想通りの事を言われてしまいました。

「いやぁ…彼氏とデートを兼ねるとは…さすが抜け目ないですね」

「や、やめでくださいっ。私がいかにもってみたいに言うのはっ」

「何を言ってるんですか」

佐藤さんはそう言って彼のほうに視線を向ける。

「星野さんは実にやり手ですよ。何よりお客の為のお店と言う自分の信念を持ってお店されています。今の大型小売店やインターネットではどうしてもできない事を彼女は実践していますよ。それになかなかの美人さんですしね」

笑いながら彼にそう言うと、名刺を出して彼に渡す。

さすがは元営業らしく、両手で名刺を受け取って目を通す彼の様子は実にかっこいい。

「佐藤、幸光様でよろしいでしょうか?」

「はい。お名前頬伺いしても?」

「これは失礼しました。残念ながら名刺の持ち合わせがありませんので、口頭のみとはなりますがご了承ください」

彼はそう言って自己紹介をする。

そして最後に「つぐみさんとお付き合いさせてもらってます」という一言を付け加えた。

その言葉が出た瞬間、私の中で冷めていた熱気がぶり返してきたようだった。

頬の辺りが熱い。

「ほほう。なら将来は星野模型店を次がれるので?」

「いえ。それはまだ。ですが、必要となったらそれもいいかもしれませんけど……」

彼はそう言って私を見る。

その目は、優しい光に満ちていた。

「お店のカウンターで笑っている彼女が好きなので、今のままが一番かなと思っています」

彼は照れたようにそう言うと頭をかく。

彼の顔が少し紅色に染まっている。

そして多分、私も……。

「これは惚気られましたな。はははは……」

佐藤さんは豪快に笑うと、彼の肩をぽんぽんと叩く。

「それにあなたがお店をついでもなかなか手ごわそうだ。覚えておきますよ」

「ありがとうございます」

彼はそう言うと頭を下げた。

「では、デートの邪魔ばかりをしてはいけませんから」

佐藤さんは、そう言って手を振ると展示会場に戻っていった。

「ごめんなさい」

私がそう言うと、彼は苦笑して言う。

「なかなかやり手の人のようだね」

「ええ。おじいちゃんのころからの出入の業者さんで、卸業者としては抜きん出ているわ。すごい人よ」

「やっぱりか……」

「あれだけのやり取りでわかるの?」

私が聞くと、「こう見えても営業やってたんだよ」と言って苦笑する。

「しれっと僕とのつなぎを作ろうとしてたし、抜け目ない人だとは思ったね」

なんか、私の知らない彼の顔を見たような気がした。

営業の時の彼はこんな感じで仕事をしていたんだろうか。

そう思って、再度彼の顔を見る。

普段とは違い、真剣な眼差しに引き締まった表情。

だけど……。

私の視線に気がついたのだろう。

「そろそろ続きを見に行こうか?」

いつもの微笑みの顔に戻って私にそう聞いてくる。

ああ、やっぱりだ。

私は思う。

やっぱり、私、この笑顔が一番好きだと。

私を見てくれるこの優しい笑顔が。

だから、私も最高の笑顔を浮かべて返事をする。

「はい。行きましょう」

そして、今度は私が彼の手を取る。

私だってリードできるんだから。

そういう意地もあったりするし。

私の中でさっきまでのドキドキはもうない。

いや、なくなったわけではない。

別のものに置き換わったのだ。

今の彼の時間を楽しもうというドキドキに。



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