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第73話 恋 その5

午後の応援からは、私も徹くんの母親も緊張が解けたみたいに打ち解けていた。

互いに笑って楽しそうに話して、徹くんを応援する。

それを少しおどろいた表情で見ていた徹くんの父親だったが、母親が席は外した時に私に話しかけてきた。

「星野さん、妻が何か失礼な事をしたのではないでしょうか?」

その言葉には、私に対して申し訳ない思いが満ちている。

多分、母親が何かやらかしており、それを私が受け止めたと思ったらしい。

事実、その通りだったが、それがなんとなくわかるのはすごいと思う。

「いえ、そんな事は……」

そう言う私に、父親は優しそうな笑顔を向ける。

「星野さん、ありがとう」

「いえだから……」

私は慌ててそう言いかけるが、それを徹くんの父親は首を振って否定し微笑む。

「長い間、連れ添ったのです。妻がどういう性格かはよくわかっています。そして、あれがどけだけ徹の事を考えているかも。だから、貴方に失礼な事をした事は想像できます。そして、そんなことがありながら、貴方は、妻を受け入れてくれた。本当に、ありがとう」

そして頭を下げる。

ゆっくりと下げられる動作に、私はこの人の感謝の大きさを感じることが出来た。

この人もまた、奥さんや徹くんを愛しているのだとわかる。

その強い思いに圧倒されそうになる。

慌てて、「いや、止めてください」と言うと、やっと徹くんの父親は頭を上げた。

そして、微笑みながら聞いてくる。

「しかし、さすがは悟さんのお孫さんですね。悟さんは元気ですか?」

「えっと、うちのおじいちゃん知ってるんですか?」

そう聞き返すと、少し昔を思い出すような表情を浮かべて、徹くんの父親は答える。

「昔、車とかバイクのプラモデル作っていたことがあってね。その時に、大変お世話になったんですよ。まだお店におられるんですか?」

「いえ。今はお店をうちの姉に譲って、今は悠々自適な生活をしてます」

「そうですか。よかったら今度挨拶に伺いたいのですが……」

「なら、お店のほうにでもいらしてください。時間帯にもよりますが、ほぼ毎日来ていますし」

「そうですか。なら、今度お邪魔しますが……」

そう言いかけて、徹くんの父親は悪戯小僧のような笑みを浮かべる。

「私の事は、黙っていておいてくださいよ。驚かせたいし、私の事を覚えておられるか試したいので」

その様子は実に楽しそうだった。

だから、私も頷く。

「わかりました。黙っておきます。それでですね……」

私は、徹くんの父親に祖父がよくいる時間帯を教える。

それを真剣な表情で聞いた後、徹くんの父親は楽しそうに笑った。

「はははは。星野さん。貴方は実に気持ちのいい人だ。そんな貴方が、徹の傍にいてくれるのなら、すごく安心できます。これからも徹の事をよろしくお願いします」

そして頭を下げる徹くんの父親。

「や、止めてください」

私は慌てて、頭を上げるようにいう。

ちょうど徹くんの試合が始まるようで、徹くんが防具をつけて試合のあるところに歩いて行くのが目に入る。

「あっ、徹くんの試合が始まるみたいですよ。よかったら、いろいろ解説してください。私、剣道のこと、よく知らないので」

そう言うと、徹くんの父親は慌てて頭を上げて会場に視線を送る。

「わかりました。私でよければ解説しますよ」

その声はすごく弾んでおり、嬉しそうだった。


結局、徹くんは残念ながらベスト10にはいることは出来なかった。

悔しそうな表情の彼の表情は始めてみる。

いつもとは違う表情にドキドキしてしまう。

なんか今まで知らなかった部分を知ることが出来た満足感と言ったほうがいいのだろうか。

「美紀さん、せっかく来てもらったのに、お弁当まで作ってもらったのに。ごめん」

そんな事を言う徹くんに、私は笑いかける。

「何いってるのよ。普段とは違う徹くんの事を知れてうれしかったわ」

私の言葉に、今まで悔しそうにしょげていた徹くんの顔がぱーっと明るくなる。

「本当?!ねぇねぇ惚れ直した?」

あまりの急激な変化に私は苦笑する。

「なんかさ、慰めがいがないなぁ……」

私の言葉に、徹くんは慌ててしまったという顔をするがもう遅い。

「残念ね。せっかくお姉さんが優しく甘えさせてあげたかもしれないのに」

「えーっ、それはないよーっ。やり直しするからさ。なぐさめてーっ」

そんな私たちの会話を楽しそうに見ていたご両親は笑いつつ言う。

「徹、気持ちの切り替えが早いのはいい事だが、それだと駄目だぞ」

「そうよ。女性をきゅんきゅんさせたかったら、もう少し恋の駆け引きを覚えなさい」

「そうだぞ。なぁ」

「ええ。そうですわよね、あなた」

なんかお互いに見詰め合って二人の世界になりつつある。

その様子をまたかって表情で見ている徹くん。

私は、彼とつぐねぇの未来を見たような感覚に襲われていた。

「まただよ。あれ、近くにいるときついんだよなぁ……」

「そうね。私も経験あるけど、きついわよねぇ……」

「でもさ、仲がいい事はいいんじゃないかって思う。まぁ、あそこまでラブラブなのは問題外としてさ」

「そんな事は言わないの。あなたのご両親は、まだ恋をし続けているんだから」

私はそう言って少し羨ましいと思う。

すると徹くんが真っ赤になりながらも私の手を握る。

「ぼ、僕らだって、まだ恋は始まったばかりなんだから」

なんて言うが、実に様になっていない。

うれしさもあったが、それ以上におかしくなって思わず笑ってしまう。

「ひどいですっ、美紀さんっ。こっちは真剣なのにっ」

徹くんが拗ねたような顔で私を見て言う。

もっとそんな事を言いつつも手を離さないのはなかなかがんばっているのではないだろうか。

「ごめん。ごめん。でも、まだ徹くんは仮採用中だしね…」

「いつになったらその仮採用は終わって本採用になるんですか?」

少し拗ねたような表情のまま、そう聞いてくる徹くん。

「そうねぇ。せめて高校卒業してからかな」

「えーっ、まだ先じゃないですか」

ぶーぶー言う徹くんに、にこりと笑って「なんなら今すぐ採用を取りやめてもいいんだけど……」と言うと、びくっと反射して慌てて「いえ。それで結構ですから本採用の方を前向きに善処してください」と返事を返してくる。

なかなかかわいくて、私好みの反応だ。

だからだろうか。

私はご褒美ぐらいはあげたほうがいいのかなと思ってしまう。

多分そんな事を思ったのは、ご両親の気持ちにに触れ、また二人の熱々イチャイチャに即発されてしまったのかもしれない。

だから、私は徹くんの頬に軽くキスをしていた。

「えっ?!」

驚いた表情の徹くん。

そんな徹くんを見て笑いつつ私は言う。

「今のは今日がんばった分のご褒美だよ。じゃあね」

私は一気にそう言うと、バッグを肩にかけて走り出す。

ご両親の傍を通り抜ける時に会釈をしておく。

それでわかったのだろう。

ご両親は頷いていた。

徹くんが呼び止めようとした声が聞こえたが、私は聞こえない振りをしてその場を離れた。

だって、今の私を見られたら、すでに仮採用期間は終わり、自動的に本採用期間になってしまっているのを知られそうだったから。

それを知られることで今までの関係が崩れるのが怖かったから。

だから、私はその場を離れた。

しかし、この関係が崩れてしまった後の事を想像するとドキドキが止まらない。

徹くんと私の関係はどうなっているのだろうか。

不安と期待がごちゃ混ぜとなって、身体の奥からゾクゾクした刺激が全身に広がっているようだ。

多分、体中が熱を持ち、多分顔は真っ赤になっていることだろう。

そして、歩きながら思う。

これが恋というものなんだろうかと…

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