「なかなかいい感じじゃないですか」
コックピットに収まっているパイロットのフィギュアはかなりいい感じに塗られており、かなりいい雰囲気を出している。
「そうですか。よかった……」
少しほっとした表情を浮かべる東山さん。
最初こそトラブルはあったものの、やはり素質があったのだろう。
ちよっとした指導でここまでなるとは思いもしなかった。
「東山さん、模型作りの素質ありますよ」
僕がそう言うと、少し照れて頭をかく。
最初に見た第一印象の、上から目線のいやな成金野郎というイメージはもうない。
僕の中では今やただの模型を楽しむおじさんというイメージになりつつあった。
「これでコックピット周りはほとんど完成ですね。次は、説明書とは違いますけど、足回りとエンジンを作りましょうか」
「はい。ご指導御願いします」
「いえ。こちらこそわからないことがあったら聞いてください」
「はい、わかりました」
そう言って、作業を始める東山さん。
すでに基礎的な事はほぼクリアしているので、聞かれない限りは横からいろいろ言わないようにしている。
その方が本人の技術の向上にもなるし、模型に対しての思い込みにもなる。
特におじいさんに見せるという目的があるため、かなり気合が入っている。
そして、何より、東山さん自身が模型製作を楽しんでいる様子がわかるから、できる限り自分で作って欲しいと思う。
だから、最初こそいろいろ指導したが、今のところはちょっとしたアドバイスだけでうまく進んでいた。
「しかし、久々に作ってみて、模型製作って大変だと思いましたよ」
作業をしつつそう言う東山さんだが、その表情は大変と言うよりも楽しそうだ。
「でも、楽しいでしょう?」
「ええ。本当に。こういう機会をくれた星野模型店に感謝しますよ」
そして思い出したのだろう。
「以前言った『こんな寂れたくだらない店』というのは撤回します。本当にすみませんでした」
そう言って頭を下げる。
「いえ。いいんですよ。気にしないでください」
僕はそう言って苦笑する。
そんな時だった。
「あなたっ、こんなところで何をしてるのっ」
甲高い声が響く。
声の方を向くと、カウンターにいた年配の女性がこっちを睨んでいた。
髪はパーマをかけて茶髪に染め、かなり高価な服に貴金属を身につけ、ブランド物のバッグを持つ、まさに典型的な成金女性といった感じだ。
ちなみに、カウンターにいたつぐみさんはびっくりして固まっている。
そして、その声に驚いた顔で振り向いた東山さんは、苦痛に満ちた表情を浮かべた。
「お、お前、なんで……ここに……」
その声には怯えがあり、それがわかったのだろう。
年配の女性が肉食獣のような笑みを浮かべてこっちに来る。
そして、乱暴にドアを開けてしゃべり始める。
「何やってるんですかっ。ここ最近、そわそわして時間を気にするわ、ちょくちょく家を出るわで浮気かと思えば……」
そう言って、東山さんが作りかけていたものをひっくり返した。
まさにそのやり方はヒステリックな婆そのものだ。
「こんなくだらないものを作りに来てただなんてっ。馬鹿じゃないのっ」
床に転がったコックピットの部分。
東山さんがこつこつ作ってきてやっと形になった部分。
それを靴で踏みにじる。
出来上がりかけていたものがあっけないほど簡単に壊され粉々になる。
その様子に唖然とする東山さん。
あまりにも理不尽で、あまりにも自己中心的な考え、そして、その態度に僕はキレた。
「いい加減にしろっ。彼がここで模型を作っているのはお前のせいだろうがっ」
睨みつけて言い返す。
知らない人に怒鳴りつけられ、年配の女性は狼狽するが、すぐに態度を元に戻す。
「何が、私のせいなんですかっ。だいたいね、貴方みたいな薄汚い男に色々言われる筋合いはありません。大体、こんなくだらない店なんて潰れてしまえばいいんだわ。その方が清々する。さぁ、あなた、帰るわよっ」
僕が言い返そうとするとすーっとつぐみさんが来て僕の前に立った。
「あなたは、人に対しての思いやりがない人なんですね。可哀想な人です」
「何を言うのよ。あなたにも関係ないでしょ」
そういう女性に、つぐみさんは静かに言い切る。
「関係はあります。東山さんは、私達に相談し、私達はそれに答えた。そういう関係です」
「それがどうしたって言うのよ」
「貴方は、東山さんの奥さんですよね。ではなぜ、貴方に相談しなかったんでしょうね。一番近くにいるはずの貴方に。だって、夫婦なんでしょう?」
淡々と話すつぐみさん。
その表情は静かで、まるでいう事を聞かない子供を諭すような言い方だが、その目に宿るのはとてつもなく強い怒りだった。
多分、つぐみさんはものすごく怒っている。
東山さんがおじいさんの為に大切に作っていた模型を、思いを壊され踏みにじられた事に……。
彼女はそういう人だ。
その周りを包み込むような威圧とそれとは正反対の静かな言葉に女性は圧倒されていた。
「そ、そうよ。夫婦よっ。それがどうしたのよっ」
「なら夫婦なのになぜ一方的に自分の事ばかり相手に押し付けるんですか?」
「そ、それはっ、この人は私がいないと何も出来ない人だからっ。私が決めてあげないと……」
「なら、そう思っているならなおの事なぜ相談されなかったのか考えるべきではないんですか?」
つぐみさんの静かな、しかし鋭利な刃物のような言葉に、女性は言葉もなく黙り込む。
しかし、そんな女性に関係なく、淡々とつぐみさんは言葉を続けた。
「あなたが今やっている事は、自己満足のために自分の価値観の押し付けて従わせようとしているだけ。その様子は私達から見たら……」
そこで言葉を一旦切って、その場にしゃがみこんで壊れたパーツをみて呆然としている東山さんを見て言う。
「まるで奴隷に言う事を聞かせようと鞭を振るっているようにしか見えませんね」
そして、つぐみさんはあきれ返った表情を浮かべる。
「まぁ、そういう関係がいいのなら、私達はもう何も言いません。でも……」
そう言って、東山さんの肩を優しく叩く。
「東山さん。貴方はそれでいいんですか?あなたのおじいさんへの思いはそんなものなんですか?」
その言葉に、今まで動かなかった東山さんの身体がびくんと反応する。
そして、ゆらりと立ち上がると女性に向ってゆっくりとだが言葉を吐く。
「お前のせいなんだぞ。お前が、勝手に捨てたからだ」
「な、何のことよっ」
女性は、驚いたような表情でそういうのが精一杯のようだった。
今までそう反論されたことがなかったのかもしれない。
「俺は言ったよな。これはおじいちゃんがくれたものだって。それを、お前は勝手に捨てやがった」
それは今まで東山さんが我慢してきた思いが形になった瞬間だった。
そう言われ、やっと女性は何を言われているのかわかる。
「ああ、あの模型の事?もう昔の事じゃないの。それにあんな玩具のことでいろいろ言われるなんて、どうかしてるわ。あんなの大切にするなんて馬鹿じゃないの?」
必死な思いの言葉を、まるで馬鹿にしたような態度に言葉。
その態度と言葉に頭にきて流石に僕が何か言い返そうとしたら、その前につぐみさんが前に出て言う。
「そうですか。貴方にとってそういう認識なんですか。では聞きます。あなたの趣味はなんですか?」
「いきなり何よ。貴方に言う必要性なんて……」
「栞は、花を育てるのが好きだ。特に今は洋蘭を」
東山さんが、ぼそぼそと言う。
「あら、洋蘭ですか。あれって大変だそうですね。きれいに咲かせるのは特に」
「そ、そうよ。色々試行錯誤して思いを込めてやってやっとできるのよ。こんなくだらない玩具と一緒にしないでっ」
そういい切る女性に、つぐみさんは言う。
「同じですよ。模型も人が一生懸命思いを込めて作る。そのどこに違いがあるんですか?まさか、模型製作は下種で、花を育てるのは高貴な事とでも思っているんですか?それこそ、貴方の価値観を私達に押し付けないでください。込める思いに上下はありませんよ」
「た、確かにそうよ。でもね、そんな玩具にどんな思いが込められているというのよ」
つぐみさんがにこりと笑う。
「あなたが以前、無断で捨てた模型は、東山さんのおじいさんが自分のお父さんへの思いを込めて作ったものだそうです。そして、東山さんに自分のお父さんの事を色々話したそうですよ。そんな思いが篭ったものを、相談もしないで勝手に捨てた。これは相手を見下し、相手の思いを踏みにじる行為ではないんですか?」
今まで憎々しげにこっちを見ていた女性の表情が少し怯えたものになる。
もしかしたらと思い始めているのかもしれない。
「それに今、東山さんのおじいさんがどんな状態か知っておられると思います。そして、東山さんがどれだけおじいさんを大切に思っているかも……」
女性の顔から何かか抜け落ちていくように表情が段々と無表情へと変わる。
「東山さん、おじいちゃんに言われたそうですよ。『昔譲ったプラモデルを見せて欲しい』って」
すーっと女性の顔から血の気が引いた。
「東山さんって奥さんのこと大切に思っているんですね。捨てられても文句も言わずに我慢し、おじいさんからそう言われたと貴方に言ったら傷つけるかもしれないからと思って、私達に相談に来たんですよ」
女性はうつむいたまま無言でただ話を聞く。
「そこで私達は東山さんに答えた。騙す事になるかもしれない。でも、あなたが一生懸命作ったものを見せるべきだってね。そして、東山さんはこつこつ作り続けた。おじいさんへの思いを込めて」
少し間を開けるつぐみさん。
そして、死刑宣告のように言った。
「それを貴方は壊した。自らの意思で。自分のエゴの為だけに。東山さんのおじいさんへの思いも、貴方に対しての思いも何もかもをすべてを自分で踏み潰してしまったんですよ」
その瞬間、糸が切れたように女性は崩れてその場に膝を着く。
そして、泣き出していた。
周りをただ女性の泣く声だけが響く。
僕とつぐみさんは無言で女性を見下ろしていた。
これ以上言う事はない。
そんな中、東山さんがゆらりと動き、女性の方に手をのせた。
「帰ろう……」
そう言うと女性を立たせる。
そして僕らの方に一礼すると工作室を出て行く。
その様子は、まるですべてを失った敗者のようだった。
そして、僕とつぐみさんは、黙ってその後姿を見ていることだけしか出来なかった。