目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第97話 提案 その4

「いらっしゃいませ」

私がそう言って挨拶をすると、お店に入ってきた秋穂さんは棚に向わず私のいるカウンターの方にまっすぐにやってきた。

えっと、なにか聞きたいことがあるのかしら?

そんな事を考える。

そういえば、そろそろ同好会の発表会が近いから、その相談かも……。

そうねぇ。彼女の作風に合う模型といったら……。

そんな事を思っていたら、いきなり言われてしまう。

「ふう、こりゃ重症だわ。電話してくるわけだ」

何のことがわからず、思わず「えっと、なんでしょう?」と聞き返す。

そんな私の問いに、秋穂さんは答えずにちょうど帰って来た美紀ちゃんに声をかけた。

「ねぇ、つぐみさん借りるから美紀ちゃん、店番いいかしら?」

えっと、その、店長私なんだけど……。

そんな私の思いも関係なく、美紀ちゃんは何を思ったのか、はっとした表情になった。

そして、「はい。つぐねぇをよろしくお願いします」とか言って頭を下げている。

何、何、何っ。

私の知らないところで、何か動いているの?

そんな事を思いつつ、私は秋穂さんに引きずられるように間宮館に連れて来られたのだった。


注文を済ませてほっと一息をつく暇もなく、秋穂さんがずいっと私の方に顔を近づける。

「つぐみさん、今、悩んでる事、言いなさい」

その言葉には圧倒的な圧力があった。

「……えっと、何も悩んでないわよ」

「嘘言いなさい。返事返すまでに間があったし、見ただけでわかったわ」

びしっと指を指されて断言されてしまう。

私は思わず自分の頬辺りを手で触り呟く。

「嘘っ。顔に出てます?」

「ほら。やっぱり悩みがあるじゃないの。さっさと言いなさい」

どうやら認めさせる為の引っ掛けのようだ。

そんなことに簡単に引っかかるとは、自分自身情けなくなる。

「いや、でも……」

言いにくそうにそういう私に、秋穂さんはため息を吐き出した。

「つぐみさんは、あれね、内に込めるタイプね。そんでもって、態度や顔に出やすいという……」

そこで言葉を停めて、じっと私を見つめる秋穂さん。

普段から少し強引な人とは思っていたが、ここまでとは思わなかった。

「すごく、強引なんですね……」

「強引にもなるわよ。私の大切な友人の為ならね」

「えっと、大切な友人って……」

ため息を吐き出す秋穂さん。

「貴方よ。それとも、つぐみさんは私のこと、友人だと思っていなかった?」

その問いに私は慌てて首を横に振る。

「そんなこと。私はてっきり私以外の友人に頼まれてと思って」

「そうね。頼まれもしたわね。そうでなきゃ、今日来る事はなかっただろうしね。でもそんなことはいいの。私はね、今の貴方の力になりたいと思っているの。何が出来るかわからない。でもね、話は聞けると思うのよ。そして、私に出来る限りの事はしてあげたいの。私の大切な友人のためにね」

秋穂さんはそう言って、今日会って初めてニコリと笑った。

その笑顔と言葉に、私は少し心の中が軽くなるような感覚になる。

それは私の心の中にある思いを吐露させるのに十分すぎた。

だから、私は恐る恐るだが今思っている事を話すことにした。

木下和美さんという相手に勝てないと感じた事。

今の企画で、私はまったく彼の力になれない事。

そんな、何も出来ない自分が情けなくて惨めだと思うこと。

心の中を満たしている不安と後ろめたい思い、そして惨めさ。

そしてなにより今の私では彼にふさわしくないのではないだろうかという不安と、彼をとられてしまうかのしれないという恐怖。

それを話していく。

秋穂さんは、黙って真剣な表情で私の話を聞いてくれる。

その顔には普段のからかうような軽さはない。

私の話の全てをしっかりと受け止めている。

そんな表情だった。

すべてを話し終わった後、秋穂さんはふうと息を吐き出して私に微笑んだ。

「わかったわ。つぐみさんの悩みを知ることが出来て」

その笑顔は何もかも飲み込むかのような包容力がある。

思わず見とれてしまう私。

私もこんな笑顔をしてみたい。

そう思ってしまうほど魅力的だった。

その笑顔が真剣な表情へと変わる。

「つぐみさん。せっかくだから、つぐみさんの励みになるかどうかはわからないけど、一つ話をしましょう」

いきなり、秋穂さんはそう言って私の手を握った。

手は暖かかった。

そして、秋穂さんは淡々と話を始めた。


当時、私はまだ二十代の社会人なりたてのペーペーだった。

学生時代はいろんなことにチャレンジして、なんでもうまく回せたし、人より何でも出来たと思う。

だから、社会人になっても大丈夫だと思っていた。

そして、希望のデザイン関係の会社に入社し、これからの人生も順風満帆のはずだった。

しかし、そこで待っていたのは、挫折と屈辱の日だった。

仕事を覚える。

それ自体はあっという間だった。

他人より要領がいいのはわかっていたし、頭の回転も早かったから…。

でも、人というのは嫉妬と妬みを持つ生き物だ。

そんな私に同期の社員達は、嫉妬と妬みを持ち、邪魔や嫌がらせなんかをするようになっていった。

でも私はそんな事をどうでもいいと思っていた。

当時、私は会社の先輩に好きな人がいて、彼も私を好いてくれていると思っていたから。

それがあれば、そんな些細な事、どうでもいいとさえ思っていた。

でもね。

それは私をよく思わない人たちによる嫌がらせと彼の裏切りでボロボロになってしまった。

彼、浮気したの。

私と付き合いながら、私に嫌がらせする連中の一人と身体の関係を持ったの。

当時の私は仕事の方にエネルギーを向けていたから、彼との関係が少しおざなりになっていたのよね。

それを突かれたみたい。

あっけないほど簡単に彼は浮気相手に夢中になったわ。

それでも、私は気がつかなかった。

まぁ、仕事が面白かったからね。

そしてね、彼から言われたわ。

別れようって。君といても何もないからって。

私、愕然としたわ。うまくいってると思っていたから。

だから、自分が悪いと思って素直に別れた。

ショックだったわ。

何もかもうまくいっていると思っていたときに、そんな大きな挫折を味わうなんて思いもしなかった。

そしてね、私、聞いてしまったのよ。

浮気相手と私を嫌う連中の会話を。

彼女にとって、彼は私と言う嫌な相手をへこます為に寝取っただけであり、遊びでしかないって事を。

普段の私だったらその場に怒鳴り込んでいったんでしょうが、彼と別れたショックが大きかったんでしょうね。

私は、すごすごとその場を後にしたわ。

未だに、なんであの時、怒鳴り込まなかったのか悔やんでるくらいよ。

でね、その晩、私、一人で自棄になってべろんべろんになるまで酒を飲んだわ。

それで何とかなるわけでもないのにね。

でね、案の定、男が声をかけてきた。

まぁ、一人でヤケ酒している女がいれば簡単に堕とせると思うだろうから。

もう彼とも別れたし、どうでもいいやって気持ちが強かったからね。

オッケーしたわよ。

ホテルでもどこでも連れて行けばいいわ。好きにすればって。

なんて事を言ったと思う。

そしたらね、その男は私を公園に連れて行って説教しだしたの。

「自分を大切にしろ」ってね。

いくら酒が入っているとはいえ、その時は十一月でね。

アルコールが抜けていくにつれて寒くなっていくわけよ。

そんな中、寒さに震えながら、その男は説教するわけ。

二時間近くもよ。

で、さすがに寒さに負けてビジネスホテルに連れて行かれたわ。

その時はね、何だ結局、あれだけ言っておきながらするんだって思ったの。

そしたらね、代金はすでに払ってある。だからここ好きに使え。

俺は外で時間を潰すからって。

私、あきれ返ったわよ。

なんなのよ、この人はって。

だからね、言ったの。私を抱かないのかって。

そしたら、ますます怒ってね。

さっき言っただろうがっ。自分を大事にしろって。

それに、自棄起こしている女抱くほど飢えとらんわって。

私、それでね、目から鱗が取れるというのかしら、なんかね、もうこの人、すごいと思ってしまったの。

多分、一目惚れってやつね。

まぁ、その時は、自覚なかったんだけどね。

それでね、素直に男の言うとおりにしたわけよ。

じゃあ、部屋借りますって言って。

そして、謝ったの。

そしたら、その男の人さ、初めて私を見て笑ったの。

すごくいい笑顔なのよ。

まるで何でも包み込んでくれるような優しい笑顔。

今まで見たこともないすごくいい笑顔なの。

それで、こんな笑顔、私もしてみたいと心底思うようになった。

だから、外に行かなくていいから。

でも一人で過ごすのは嫌だから、お話ぐらいはしてくださいって言ったのよ。

最初は、変な誤解が起こって君に迷惑がかかるといけないからとか言ってたけどね。

何度も言って彼は折れたわ。

そしてね、いろんな話をした。

自分が今思っていること、何もかもすべて。

彼はね。そんな私の話をきちんと聞いてくれて、アドバイスをしてくれた。

その態度に、私はますます彼のことが知りたくなった。

だからね、いろいろ聞き出したの。

月に一回、出張でこっちに来て一泊する事。

その時に、このホテルを使う事。

今日は、仕事が終わって行きつけの居酒屋で飲んでて私を見つけた事。

あまりにも酷い有様で、見て見ぬ振りが出来なかった事。

だから、ついつい説教してしまった事。

そしてね、やっと、やっと、最後に彼の名前を聞き出せたの。

それがね、南雲索也。

今の私の旦那様なの。


そこまで話し、秋穂さんは私に微笑む。

そして、飲み物で喉を潤すと、話を続けた。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?