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第98話 提案 その5

なんとかまた相談に乗ってくださいっていう名目で名前と電話番号を聞き出せた私は、毎日のように電話したわ。

なんかもうね、熱病に犯されているかのように彼のことを知りたいと思うようになったの。

それにね。彼ったらそっけないくせに言えばきちんと返事は返してくれるし、世話焼きしてくれてね。

私、今までそんな対応された事なかったからね。

もう、舞い上がっちゃったのよ。

今まで感じていた異性への思いとかは何だったのよって感じよ。

でもね、いくら押しても彼はどうにもならなかった。

それこそ押し倒すつもりでやったんだけどね。

それでも何とか聞き出せたのは、何度か女性と付き合ってもうまくいかなかったらしい事と、だからもう女性と付き合う気はないって事だけ。

でもね、それで諦めたりしなかったわ。

だってさ、そんなに思っているなら、考えを変えさせればいい。

私を夢中にさせればいいと思ったの。

彼にとって、私は相応しくない女性かもしれない。

年だって十歳以上離れてる。

でもね、相手を惚れさせればそんな事は関係ない。

もし周りが何か言ったとしても、それは所詮二次的要因でしかない。

だって、もっとも大事なのは、彼と私の、そう本人達の気持ちなんだから。

だからね、私は彼と色々話したし、喧嘩もした。

それこそ、些細な事でもね。

でもね、私は絶対に彼を惚れさせるという決心でがんばったわ。

もちろん、不安や恐れがなかったわけじゃない。

いや多分、すごく大きくなっていた。

毎日毎日、夜になると不安でいっぱいになった。

でもね、それは何もしないから湧き上がってくるの。

自分に何が出来るか。

自分をどうすれば、何をしたら彼を夢中にさせることができるか。

それを考えて実施していったの。

そしたらね、不安や恐れが薄れていくの。

あんなに心に広がっていたものがすーっと霧が晴れていくように消えていくのよ。

そして、出会ってから三年が経ってね。

ある日、彼が言うの。

お前に負けたって。

年が離れている事も、趣味の事も、お前は俺のすべてを飲み込んでくれる。

そんな女性は初めてだって…。

それでね、指輪を出してプロポーズされたわ。

えっ、交際じゃないの?って聞いたらね。

交際してて、もし嫌なところがあって逃げられたらたまったものじゃない。

もうお前なしじゃいられないからなですって。

もう勝手よね。

自分の都合ばかりなんだから。

そう思ったけどね、それって私もじゃないって思ったの。

最初は私の都合で彼を振り回していた。

だから、今度は私が振り回される番かなと。

それにね、それって裏を返せば、私に惚れさせるって私の目的達成ってことじゃない?

大成功じゃないの。

それってすごく誇っていいんじゃいかな。

だって、こんなに素敵な男性の心を射止めたんですもの。

私なしじゃいられないって言われたんだよ。

最高じゃない。

だから、私は、プロポーズは受けたの。


そこまで話した後、秋穂さんはぽんぽんとテーブルの上の私の手の甲を叩いた後、ぎゅっと握り締めた。

「いい?不安や恐れで落ち込むくらいなら、彼にどうすれば相応しい女になれるか考えなさい。後ろ向きではいつまでたっても先に進めないわ。相手を振り回したっていいじゃない。だって、それは相手を信じているから出来る事なんだよ。それに、貴方の価値を自分で決める事はやめなさい」

そう言って、私をじっと見る。

その目には力が篭っていた。

「貴方の価値を決めるのは、貴方の彼や周りの人なの。自分自身で価値をつける事は、本当の価値ではないわ」

私は、そんな秋穂さんの言葉に、下を向き口を開く。

「でも、どうしたら……」

「それなら彼と話しなさい。貴方の悩みを、あなたの思いを……」

「でも、私は……」

「怖いと思うのはわかるわ。だって、自分の醜い部分を曝け出すんだもの。でもね、つぐみさん。貴方は彼と結婚したいと思ってるんでしょ?」

結婚と言う単語に、私は震える。

考えなかったわけではない。

いや、そうなったらいいなと考えた事はある。

しかし、すぐに怖くなってそれを私は否定した。

今のままでもいいやと。

「わ、わからない……」

私は呟くように言うのが精一杯だった。

そんな私を秋穂さんは優しく見守っている。

「じゃあ、考えなさい。逃げないで考えなさい。あなたはどうしたいのか。彼とどうなりたいのか。そうすれば、答えは出そうな気がするんだけどね」

最後に強くぎゅっと私の手を握った秋穂さんは、伝票を持って席を立つ。

「あっ、支払いは……」

「いいって。私が誘ったんだから。それに、せっかくだから一人でじっくり考えたらいいわ」

秋穂さんはそう言うと、支払いを済ませて喫茶店を出て行った。

私は出て行く秋穂さんを見送った後、じっと席で座り込んで下を向いたまま考えていた。

自分がどうしたいのか。

彼とどうありたいのか。

どれほど時間が経ったのだろうか。

私の前にすーっとコーヒーが差し出される。

慌てて顔を上げるとそこには間宮館マスターの笑顔があった。

「サービスだよ。少しは飲んで気を紛らわせて最初から考えてみたら?」

「ありがとうございます」

私は素直に頭を下げた。

「しかし、秋穂さんも結構話を端折ってたなぁ……」

その言葉に、私は顔をマスターに向ける。

「えっと、それはどういう……」

マスターがしまったという顔をしたが、すぐに「秋穂さんには黙っててね」と言って話し始めた。

「当時ね、南雲さん狙っている女性は何人かいたんだよ。秋穂さんはその中では一番若くてね、散々な目にもあったらしい。それで、よくこの喫茶店で泣いてたのを思い出したんだ」

意外な話に私は驚く。

あんな秋穂さんにもそんなことがあったんだって。

「でもね。彼女は諦めなかった。彼のために出来る事。それを必死になってやったわけよ。彼女いわく、『恋は戦い。だらだらした恋なんてつまらない。攻めなきゃ駄目だ』って言ってね。だから、未だに彼女は南雲さんを惚れ続けさせる為の努力もするし、どうすればいいかも考えている。だからこそ、今も魅力的だと思うんだよ」

その言葉にはうらやましさがにじみ出ていた。

だから、私は恐る恐る聞いてみた。

「もしかして、マスターって……」

「おっと、秋穂さんには内緒だぞ。こんな話をしたことも、それに私の思いもね」

マスターはそう言うと茶目っ気たっぷりのウインクをしてカウンターに戻っていった。

その後姿を見ながら私は思う。

そうだ。

後ろ向きでは前に進めない。

秋穂さんを見習って、私は私で彼を夢中にさせる努力をすればいいんだ。

そして彼と話をきちんとしょう。

まずはそれからだ。

私はそう決意をすると、サービスのコーヒーを口に運ぶ。

そのコーヒーは普段私が頼むものよりも苦味の強いブレンドだった。

それはまるで、付き合うって事は甘い事ばかりではなく、苦い事もあるのだと教えているかのようだった。

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