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第101話 おまけ 木下和美の場合

「いらっしゃいませ」

明るくて綺麗な声が響く。

大きくなく、それでいて小さくないちょうどいい声だ。

聞いていてほっとさせてくれる。

そんな声。

だから、釣られて私も自然と声が出る。

「あ、こんにちわ」

にこにこと微笑むその姿は、実に営業向けというか受付譲とかやったらすごい人気でそうな気がする。

まぁ、少し見た目が地味って感じも、会社の制服とかビジネススーツにはあいそうだし。

そんな事を思いつつ聞く。

「今日は、彼は来るのかな?それとも来た後?」

「あ、今日はまだ来てませんよ。でも、明日の方がいいかも。昨日、今日は仕事で遅くなるから寄れないかもしれないって言ってたし。それに確か、そろそろ月末締めの用意しなきゃとか言ってたし」

少し考え込みながらも、すらすらと彼の予定を言っていく。

彼の何気ない言葉もよく覚えているという感じだ。

ますます秘書っぽい感じが強くなる。

「えっと、急ぎの用事なら、彼に直接連絡してみたらどうでしょう?取れない場合でも後から折り返し来ると思いますよ。電話番号なら、わかりますし」

にこにこと微笑みながらそんな事を言う星野模型店の店長の星野つぐみ。

今の彼の付き合っている人、そう、恋人だ。

小学生の時別れて以来、実に久しぶりにあった彼はかっこよくなっていた。

たくましくなったというか頼れる感じにもなっていて、そして、それ以上に彼の企画力とアイデアに驚かされた。

ただの模型製作教室。

最初はその程度の認識でしかなかった。

雑誌の企画の一つ。

紙面を埋める程度しか考えてなかったが、実際話してみると実に面白い取り組みだった。

親子参加で楽しめるイベントという事だけではない。

今の世の中で途絶えがちな親子の交流を中心に添えたいという彼の思いがひしひしと伝わってくるようだった。

家族でどこかに遊びに行く。

それもいいだろう。

しかし、今、家族でキャンプをしたり、色々な製作や料理にチャレンジしたりといったことが流行っている。

それはモノを一緒に作るという一体感、一緒に過ごす時間、それらはより深い親子の思い出作りには最高なんではないだろうか。

人と人とのふれあい。

人と人との距離感。

それほ学ぶいい機会にもなる。

ただし、それは模型である必要はない。

世の中には、いろんなものがある。

体験教室なんて、それこそどこだってやっている。

しかし模型だからこそなのかもしれない。

説明書どおりに作れば、ある程度形になる。

それでいて、作り手によってまったく同じにはならない。

そして、望めばより違ったものになる。

一から作り出したり、ある程度出来上がったものに少し手を加えたりといったものではなく、がっつりと取り組み、自分だけの個性を出せるよい素材ではないだろうか。

だからこそ、彼は模型にこだわっている。

そう思っていた。

しかし、今の彼女を見てわかってしまった。

彼は、この人のために。

いや違う。

この人と一緒にいたいために模型にこだわっているのだろう。

それほどまでに、この人を大事にしたい。

一緒にいたいと思っているに違いない。

そして、彼女も彼と一緒にいたいと思っているのがよくわかる。

なんか悔しいけど…お似合いだと思う。

彼が立ち上げて流れを作り、彼女がその細かい部分をフォローして完成度を上げていく。

多分、模型というものではなくても、この二人はうまくやっていくに違いない。

彼の企画力や決断力、店長のフォローや細かな調整力ははそう言い切れるほどの力がある。

そう確信させられる。

ふうっ。

ため息が出た。

下手な惚気見せられるよりきついや。

「どうしました?」

何も答えない私を伺うように店長が声をかけてくる。

「い、いえ。彼のこと、よく知ってるなって思って」

そう言う私に店長は笑いつつ返事を返す。

「まだまだです。知ってることしか知りません」

実に当たり前の言葉だが、その言葉には重さがあった。

そして、彼女は言葉を続ける。

「でも、より知りたいといつも思ってます。些細な事でもかまわない。この人の事を一番知っておきたいと思うんです」

「なんで、そう思ったんです?」

言わなきゃいいのに聞いてしまう。

少し照れたように頬を染めて店長は口を開く。

「彼に私の価値を決めるのは僕だって言われたんです。だったら、彼の価値を決めるのも私でありたいと思いました。だから、誰よりも正確に彼の価値を決める為にはより詳しく知っておかなきゃならないじゃないですか。だから、私は誰よりも、そうですね、彼自身よりも彼の事を知っておきたいんですよ」

完全に惚気なんだけど。

それも付け入る隙間がないほど貪欲な……。

私は苦笑するしかない。

まいったな。

私の中では、頼りない、どっちかというと自主性のないメンヘラ系の女程度にしか思っていなかった。

自分の意見を言わず、ただ物置のようにそこにある存在。

その程度だと思っていた。

しかし、この会話だけで認識は覆されたといっていいだろう。

最初に感じたものとは大違いた。

もしかしたら、最近、彼と何があったかもしれない。

でも、多分、これが本当の彼女なのだろう。

実に貪欲で、それでいて強くて大きい存在だ。

それに対して、私は実に貧相だと実感してしまう。

小学生の時の彼女で、小さいころから彼の事を知っている。

その程度の武器などたいした事でしない。

まさに、竜をでかいトカゲ程度だと思って突っ込んでいくような事をしでかすところだった。

彼は、確かに魅力的だ。

彼を財宝にたとえるなら、店長はその財宝を守る番人だ。

それもちょっとやそっとでは歯が立たないほどの……。

恋は戦いだという人もいる。

勝率が低い方が、より燃え上がるなんていう人も要る。

それはすごくわかるし、達成した時の喜びは極上のものだろう。

しかしだ。

完全に勝てない、そう勝率ゼロで戦うのは無謀でしかない。

私はそんなことはしたくない。

だから、私は白旗を上げる。

すごく惜しいんだけど。

悔しいんだけど。

勝てる気がしない。

今の彼女には。

だから、私は微笑んで言う。

「ほんと、二人はお似合いですね。羨ましいわ」

すると店長も微笑んで答える。

「ありがとうございます。でも、まだまだです。私はまだ満足してません。もっともっと彼のことを知りたいですから」

その言葉に、私は自分の敗北の原因を自覚する。

ああ、私に足りないのは執着心と探究心だったのかと。

そして、心の中で思う。

次にいい人がいたら、絶対に諦めないでやってやろうと。

失恋は女を強くするんだと自分に言い聞かせながら。

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