目の前に広がる藤棚。
この城の名所の一つとなっている場所だ。
藤棚とは、鉄や木で作った天蓋につる性植物である藤のつるをはわせて日陰を作ったものであり、開花時は隙間から花が垂れ下がるように咲くため、藤棚の下の日陰で休憩しつつ花を楽しむ事ができる。
そして、藤の花は満開であり、天井が薄い桃色や紫といった色で染められ、圧倒的な風景になっている。
「す、すごい……」
「ああ、すごいよなぁ……」
私だけでなく、彼も言葉なくその場で見とれてしまう。
実に十何年かぶりに来たんだけど、昔、かなり感動したことを思い出していた。
あの頃は、父がいて、母がいて……。家族四人でここでお弁当を食べたんだっけ……。
気がつくと私は涙を流していた。
懐かしさと記憶が私の中でぐるぐると回っていて、無意識のうちに泣いてしまっていたらしい。
そんな私に彼は動揺したのだろうか。
「ど、とうしたの、つぐみさんっ」
私を気遣ってくれる。
すーっと出されるハンカチ。
それをさりげなく私の目元に当ててくれる。
なんかドラマみたいだなと思う。
それは彼も思ったのだろう。
真っ赤になって「柄にもないことしてるかな、今日は……」って言って照れている。
「ううん。そんな事ない。貴方はいつもそうやって、私の事、考えてくれている。本当にうれしい」
自然と感謝の言葉が出た。
それは今の私の素直な気持ちだ。
そんな私の言葉に、彼はニコリと笑う。
「ありがとう。つぐみさん」
互いにそのまま向き合っていたが、さすがに少々周りの人の目が気になるので藤棚の下に用意されているベンチに腰を下ろす。
「ちょっと飲み物買ってくるよ。つぐみさんはいつもの?」
彼が笑いながらそう言う。
私はいつものコーヒーかカフェオレを頼もうと思っていたが、せっかくだからたまには違うものを頼みたくなった。
「そうね。でも今日は、甘いフルーツ系のジュースを」
私の注文に、彼は少し驚いた顔をする。
「珍しいね」
「うん。たまにはね」
「そっか。わかった。買って来るよ」
彼はそう言って自販機のある向こう側に歩いていった。
その後姿を見つつ、何気なく視線を上に向ける。
その一面に広がる藤の花の天井。
すごいなぁ……。
なんか時間忘れそうになるくらい見入っていた。
気がつくといつの間にか彼が横に来ていた。
「あ、ごめんなさい。気がつかなかった」
「いいって。それだけ見とれていたんだろう?」
「うん。なんか昔の事を思い出しちゃってね」
「そっか……」
彼はそう言って缶を差し出す。
桃の微炭酸飲料のようだった。
よく見ると彼も同じものだ。
「ごめん。一緒のを飲みたくなってさ」
彼はそう言って笑う。
「別に謝る事ないじゃない」
私は笑ってそう言うと、ジュースの缶を開けた。
口に缶を運んで傾ける。
ほんのりと甘い匂いと弱めの炭酸。
それに甘い口当たりと桃の味が口の中に広がっていく。
「あ、おいしい……」
久々の炭酸飲料だったからだろうか。
あるいは、彼が買ってきたからだろうか。
それはよくわからないけど、私は素直にその言葉を口にした。
「それはよかったよ」
彼もそう言って缶を口に運ぶ。
その横顔を見つつ、私は口を開いた。
「さっきね、なんで涙が出たかなんだけど……」
私がそこまで言いかけると、彼は「言いたくないことなら言わなくていいよ」と言ってくれる。
だけど、より私の事を知っておいてもらいたいから、私は首を横に振った。
「ううん。聞いて欲しいの」
彼は黙って頷いた。
そして、私の顔をじっと見る。
「昔ね、まだ父と母が健在だったころね、家族四人でここ来たっけと思い出したら、自然とね、涙が出ちゃったみたい」
「そうか。それでか……」
「うん。それだけ」
私はそう言って缶を再び口に運ぶ。
そんな私をじっと彼は見た後、何かを決心したのだろう。
ぐっと握りこぶしに力を入れた。
そして、ゆっくりと口を開いた。
「つぐみさん……」
「は、はいっ」
真剣な声に、私は反射的に声を上げる。
なんか変だ。
いつもの彼とは思えないくらい緊張と焦りが感じられる。
「つぐみさんっ」
再度、私の名前を呼ぶ。
「はい」
そして深い深呼吸を何度かした後、彼は意を決したかのように私の方を見た。
その目は真剣だった。
「ぼくと……」
「えっ?」
「僕と結婚してください」
その言葉と同時にすーっと出される豪華そうな小箱。
そして、パチンと蓋が開かれると、そこにはシンプルながら銀色に輝く指輪があった。
私は、それを見て……思考が止まる。
えっと、今、彼はなんと言ったのか……。
ボクト結婚シテクダサイ……。
結婚。
結婚……。
ケッコン。
ボクとは、彼の事だろう。
では、相手は誰?
えっと、それって私に……よね?
間違いないわよね。
なんでだろうか。
視界がぼやけていく。
そして、私は、思考がうまく回っていなかったはずなのに答えていた。
それは、多分、本当に欲しかった言葉だったから。
私が望んでいた事だから。
だから、思考が止まっていたとしても言えたんだろう。
「はい。私でよければ……」
多分、私は泣きながら笑っていただろう。
後から思えば、もっとかっこよくとか綺麗な感じでとか思ったかもしれないが、今の私はそんな事を考える余裕も何もなくただただ彼に抱きついていた。
そんな私を抱きしめて彼は囁く。
「僕を選んでくれてありがとう」と。
でもそれは間違いだと思う。
私が選んだんじゃない。
貴方が私を選んでくれたんだ。
だから、私は泣きながら言う。感謝の言葉を。
「ありがとう……」
そして私の中で止まっていた藤にまつわる記憶は、更新された。
うれしい記憶で…。