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第20話

記録庫を出た青山と橘は、合流地点に向かって歩き始めた。青白い炎の松明が照らす廊下は、相変わらず不思議な静けさに包まれていた。


「なぁ、橘さん」青山が静かに口を開いた。「さっきの記録庫で見つけた日記と系図、他のみんなにも見せた方がいいと思う?」


「もちろんよ」橘は頷いた。「みんなに知ってもらった方が、これからの決断の助けにもなるわ」


二人が廊下の角を曲がろうとした瞬間、突如として床が揺れ始めた。


「地震!?」


橘の悲鳴に、青山は咄嗟に彼女の手を掴んだ。だが、揺れは地震というより、まるで空間そのものが波打っているような奇妙なものだった。


「ちょっと、壁が...!」


橘が指さす方向を見ると、廊下の壁が水面のように波打ち、そこに映像が浮かび上がり始めていた。まるで巨大なスクリーンのようだ。


「これは...幻覚?」青山は目を疑った。


壁に映し出されたのは、なんと磐梯山の山頂だった。しかし、見知った現代の風景ではない。古めかしい装束を着た人々が、山頂で何かの儀式を行っている。


「まるで...平安時代?」橘が息を呑んだ。


映像はまるで彼らの目の前で実際に起きているかのように鮮明だった。儀式の中心では、赤い着物を着た少女——明らかに若き日のかがり——が舞を舞っている。その周りを取り囲む村人たちが、敬虔な様子で祈りを捧げていた。


「これは過去の映像...?」


青山の問いかけに答えるように、映像が変化した。今度は同じ山頂で、だが明らかに違う時代。現代的な服装の人々が観光客のように写真を撮り、笑いさざめいている。そして突然、地面が割れ、青白い光が噴出する。人々は悲鳴を上げて逃げ惑う。


「未来?」青山は息を呑んだ。「これから起こることなのか?」


「わからないわ...」橘は震える声で応えた。「でも、これはただの幻覚じゃないわ。ダンジョンが私たちに何かを見せようとしているの」


壁の映像はさらに変わり続けた。現代の磐梯山周辺の町が炎に包まれる映像。それが消えると、今度は青山自身が「火の鍵」と「氷の鍵」を手に持ち、巨大な封印の前に立っている姿。そして最後に、火の巫女・かがりが自由の身となり、微笑む姿——。


「あっ!」


突然の閃光と共に、映像が全て消え去った。廊下は元の静けさを取り戻したが、二人の心臓は早鐘を打っていた。


「今のは...一体?」


「行こう」青山は決意を新たにしたように言った。「みんなに伝えなきゃ」


* * *


休息所に戻った二人を、村瀬たちが心配そうに出迎えた。


「遅かったな」村瀬の声には心配が滲んでいた。「何かあったのか?」


青山と橘は、記録庫での発見と、帰り道での不思議な映像体験を全て話した。


「まさか、『蒼の一族』が青山の先祖だったとはな...」村瀬は顎に手を当てて考え込んだ。


「なるほど」加納は腕を組んだ。「だから青山が『選ばれし者』になったわけか。血の繋がりというのは侮れんな」


「でも、あの映像は何だったのでしょう?」白石が不安そうに尋ねた。「私たちの未来を示していたのかしら?」


「おそらくは可能性の一つだろう」佐久間が静かに口を開いた。「このダンジョンは時間と空間の法則が異なる場所だ。過去も未来も、ここでは同時に存在するのかもしれん」


「でもさ、実は俺も似たような体験をしたんだ」


突然の告白に、全員が中村を見た。彼はいつになく真剣な表情をしていた。


「さっき、水場に行った時にさ。水面に映った自分の顔が突然、別人になったんだ。一瞬だけ、もっと年老いた自分が映ったような...」


「私も!」橘が身を乗り出した。「記録庫への途中、壁に自分の影が映ったとき、影だけが別の動きをした気がした」


次々と明かされる奇妙な体験に、全員が顔を見合わせた。どうやらダンジョンの中では、それぞれが何らかの超常現象を体験していたようだ。


「これは『時の裂け目』だ」驚くべきことに、無口な佐久間が詳しく説明し始めた。「祖父の日記に書かれていた。千年に一度、封印が弱まる時、時間と空間の境界も薄くなるという。過去と未来が交錯し、可能性が実体化する」


「まるでSF映画だな」中村は小さく笑った。「『時間旅行ダンジョン』ってやつか」


「笑い事じゃないぞ」加納が厳しい目で中村を見た。「もしこれが本当なら、どんな危険が潜んでいるか分からん」


その時、突然部屋の空気が波打ち、全員の周りに薄い霧のようなものが立ち込めた。


「なっ...!?」村瀬が立ち上がりかけたが、体が動かない。他の全員も同様に、まるで時間が止まったかのように動けなくなっていた。


そして、霧の中から映像が浮かび上がり始めた——それぞれの目の前に異なる映像が。


***村瀬の見た映像***


村瀬の目の前に広がったのは、消防団の詰所だった。だが、どこか違う。より近代的な設備で満たされ、壁には彼の肖像画が飾られている。そこに入ってきたのは白髪交じりの自分自身だった。


「団長、新入団員の訓練はいかがでしたか?」若い団員が敬意を込めて尋ねる。


「あぁ、良い若者たちだ」年老いた村瀬が微笑む。「青山の息子も、父親に負けないほどの才能を見せているよ」


「さすが伝説の『選ばれし者』の息子ですね」


「あの時、正しい選択ができて本当に良かった...」老村瀬は遠い目をしながら呟いた。「あれから十年、磐梯山は平穏だ」


映像は霧と共に消えていった。村瀬の心に、深い安堵感と共に、ある確信が芽生えていた。


***加納の見た映像***


工房らしき場所に、いつもより一回り老けた自分が座っている。机の上には精巧な機械の数々。そこに一人の若者が駆け込んできた。


「加納さん!」若者は興奮した様子だ。「あの装置が完成したって聞いたんですが!」


「あぁ」老加納は不機嫌そうに言った。「やっと『火の封印』を科学的に解明する装置だ。これで巫女の力を安全に管理できる」


「さすが加納さん!」若者は目を輝かせた。「青山さんも喜ぶでしょうね」


「あいつなら、今頃『次の選ばれし者』を探しているだろうよ」老加納はふっと笑った。「永遠に続く役目だからな」


加納の胸に、科学者としての誇りと使命感が強く波打った。


***橘の見た映像***


大きな放送局のスタジオ。そこで番組司会を務めているのは、少し年を重ねた橘だった。


「今日のゲストは、『磐梯山の奇跡』を世に知らしめた、青山智也さんです!」


スタジオに入ってきたのは、自信に満ちた表情の青山。観客から大きな拍手が起こる。


「青山さん、あれから五年。『火の封印』の真実を世界に知らしめた時のことを改めて教えてください」


「実は当時、選択肢は二つありました」青山は懐かしむように言う。「封印を強化するか、解くか。私たちは真実と向き合い、最善の道を選びました」


「その選択が磐梯山を救ったんですね」


「いいえ」青山は真剣な表情になる。「正しい情報を伝え続けるメディアの力が救ったんです。橘さんのような勇気ある方がいたからこそ」


橘の心は温かさで満たされた。情報を伝えることの本当の意味を、彼女は再確認していた。


***佐久間の見た映像***


静かな山小屋。年老いた佐久間が、一人、暖炉の前で座っている。そこに訪ねてきたのは、少し白髪が混じった青山だった。


「佐久間さん、久しぶりです」青山が敬意を込めて挨拶する。


「...来たか」老佐久間はそっけなく言った。「あの決断から十五年か」


「はい」青山は頷いた。「あなたの助言がなければ、正しい選択はできなかったでしょう」


「当たり前だ」老佐久間は珍しく口元を緩めた。「祖父から受け継いだ使命だからな」


「新しい『選ばれし者』の教育係として、もう一度アドバイスをいただきたくて」


「まったく、面倒な血筋だな...」老佐久間は言いながらも、優しい目で青山を見つめていた。


佐久間の胸に、静かな誇りと、深い安堵感が広がった。


***中村の見た映像***


にぎやかな飲み会の席。主役は少し年を取った中村自身だった。


「乾杯!中村消防団長の就任を祝して!」


グラスが高々と上がる。青山も笑顔で参加している。


「まさか俺が団長になるなんてな」中村が照れくさそうに言う。「青山こそ相応しかったのに」


「いやいや」青山は笑った。「君は最高の選択だよ。俺には『選ばれし者』としての別の役目があるからね」


「でもさ、あの時、俺が反対意見を言わなかったら...」


「君の直感が、みんなの背中を押してくれたんだ」青山は真剣な表情になった。「だからこそ、今の平和がある」


中村の心に、晴れやかな自信と充実感が満ちていった。


***白石の見た映像***


小さな診療所。白石が医師として診察している。子供を連れた若い母親が診察室に入ってきた。


「白石先生、いつもお世話になってます」


「いえいえ」少し年を重ねた白石が優しく微笑む。「この子は元気そうね。怪我の方も良くなった?」


「はい、あの大災害の時に助けていただいて、本当にありがとうございました」


「私がしたことなんて小さなことよ」白石は子供の頭を撫でた。「本当に町を救ったのは、青山さんたちよ」


「それでも、白石先生がいなかったら、多くの人が...」


「さあ、それより診察しましょうね」白石は照れくさそうに話題を変えた。だが、その表情には確かな誇りが浮かんでいた。


白石の中に、医療者としての使命感と、仲間と共に乗り越えた困難の記憶が強く響いた。


***青山の見た映像***


青山の目の前に広がったのは、磐梯山の山頂だった。朝日が昇り、新しい一日の始まりを告げている。そこに立つのは、現在よりもやや年を重ねた自分自身。傍らには誰かがいる——赤い着物をまとった女性。火の巫女・かがりだ。


「千年の時を経て、ようやく真実が明らかになりましたね」かがりが静かに言う。


「ああ」未来の青山は頷いた。「君の真実を世界に伝えることができて良かった」


「私を解き放ってくれたこと、感謝しています」かがりは澄んだ目で青山を見つめた。「蒼の約束は、こうして果たされました」


「いや、これは終わりじゃない」未来の青山は真剣な表情になった。「僕たちの使命はこれからだ。この力を正しく使い、人々を守ること...」


「ええ、二人で」かがりが微笑んだ。「そして、次の『選ばれし者』が現れるまで...」


二人の間に流れる静かな信頼と絆。青山の胸に、確かな決意と、不思議な懐かしさが込み上げてきた。


* * *


霧が晴れ、全員が再び動けるようになった。七人の団員たちは、互いの顔を見つめ合った。言葉を交わさなくても、全員が何か重要なものを見たことが分かった。


「みんな...何か見たよね?」橘が震える声で尋ねた。


「ああ」村瀬は深く頷いた。「それぞれの...未来だろうか」


「未来の可能性の一つさ」加納は眉間にしわを寄せながらも言った。「科学では説明できないが...確かに見た」


「俺、団長になってたぜ!」中村が興奮した様子で言った。「まさか!」


「私は医師として町で働いていたわ」白石も小さく微笑んだ。


「俺は...山小屋で隠居生活か」佐久間はいつもの無表情だが、どこか安堵しているようだった。


全員が自分の見た未来について語った。最後に青山を見つめる六つの視線。


「青山は?」村瀬が尋ねた。「何を見た?」


青山は少し迷ったが、ありのままを話すことにした。かがりと共にいる自分の姿。解放された火の巫女と、次の世代への使命。


「じゃあ、私たちは封印を解くことを選ぶのね...」橘がつぶやいた。


「いや、まだ決まったわけじゃない」村瀬が冷静に言った。「これはあくまで可能性の一つだろう。他の未来もあるはずだ」


「だが、面白いことに」加納が考え込むように言った。「私たちが見た未来は、どれも『正しい選択をした』という前提で幸せなものだった」


「確かに...」白石は頷いた。「でも、その『正しい選択』とは何なのかは、まだ分からないのよね」


七人は黙り込んだ。確かに、それぞれの未来の断片は希望に満ちていた。だが、その未来に至るための選択肢は複数あるのかもしれない。


「この現象は、ダンジョンからのメッセージではないだろうか」佐久間が静かに言った。「『どんな選択をしても、お前たちならば正しい未来を築ける』と」


「単なる幻覚かもしれないけどね」中村は両手を頭の後ろで組んで言った。「でも、何だか勇気が出たよ」


「私もよ」橘は目を輝かせた。「未来はきっと大丈夫...そう感じられた」


部屋の空気が、少しずつ明るくなっていくのを全員が感じていた。「火の鍵」も、青山の手の中で温かく脈打っているようだ。


「さて、時間の裂け目は過ぎ去ったようだな」村瀬は立ち上がった。「明日から『氷の鍵』を探す旅が始まる。十分に休んでおくんだ」


「はい!」


七人はそれぞれの休息スペースに向かった。だが今夜、彼らの夢はいつもと違うものになるだろう。未来の断片を見た彼らの心には、不思議な確信と希望が灯っていた。


青山は寝床に横たわりながら、かがりとの対話を思い出していた。千年の時を超えた約束。蒼の血を引く者としての使命。そして何より、彼女が解放されて微笑む姿。


「本当に...あの未来は実現するのか」


彼はつぶやきながら、目を閉じた。青白い炎の松明の光が、静かに彼の寝顔を照らしていた。時間と空間が交錯するこのダンジョンの中で、過去と未来が繋がる瞬間を彼らは体験していた。そして、真実への扉は、少しずつ開かれつつあった。


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