声に出すとどうにもしっくりこない、けれどわりかし気に入ってる六文字。それが俺の名前だ。
身長は、生まれてずっと平均よりちょっと低いくらい。
顔、成績、運動能力、コミュ力、どれをとっても目立つ要素はない平凡程度。或いはちょい下。
まさに地味。地味オブ地味。地味チャンピオン。
その地味さは教師にさえ忘れられる時さえあるほどで、小学校で付けられた
そんな俺のイケメン仮面としての始まりは中学三年の夏終わり、鬱憤溜まる受験勉強の最中。
夏休みが終わり、いよいよ受験シーズンだと、学校から帰っても勉強勉強また勉強。
行きたい高校なんてないけれど、不良がわんさかなんて高校には通いたくない。
そんな一心で別に良くも悪くもない頭で必死に勉強していたのだが、疲労や不満でピークを迎えた頃、つい放った言葉がきっかけだった。
『あー、イケメンになりてえなぁ!』
自分でもどうしてそんなことを叫んだのか、正直今でもよく分かっていない。
まあ多分意味なんてない。寝る前だったから疲れていて、夜にもかかわらず、たまたま思いついたことをぶちまけたくなっただけなんだろう。
──けれどその瞬間、俺は唐突に光に包まれ、次の瞬間にはイケメンになっていた。
部屋にあった鏡で見た俺は、
艶のある黄金の髪、毛穴や染みなんてない肌、サファイアみたいな碧い瞳。
モデルみたいに長い手足に鍛え上げられたプロのスポーツ選手のような、けれどむさ苦しさを微塵も感じさせないアイドルのような、男の俺でさえ美しいと見惚れてしまうほど引き締まった体。
例えるのならば、まさに絵本の中から出てきた王子様。
手足も身長も伸びたせいで丈が合わないからか、凡庸な部屋着が着ているだけで恥ずかしいみすぼらしい布きれにしか思えなくなる、俺が今まで見た中では紛れもなく一番のイケメンがそこにはいた。
最初は夢だと思った。
勉強のしすぎで寝落ちして、イケメンになる夢の中でも見ていると思ったから、面白がって色々やってみた。
鏡の前で全裸になって、マッスルポーズから変なダンスをしてもイケメン。
どん引きされそうな本気の変顔をしてもイケメン。
仁王立ちし、自分のより一回り大きな象さんを晒していようともやはりイケメン。
軽いシャドーボクシングをやってもイケメン、土下座してもイケメン、泣きべそ掻いたってイケメン。
なにやっても、どんな無様を晒しても、鏡の前のイケメンはイケメンでしかなく。
容姿も声も雰囲気も、信じられないことに中身以外の全てがイケメンだと気付いた頃、これ夢じゃないかもと俺の頭でもようやく思い始めた。
夢じゃないと理解して怖くなった俺が元に戻りたいと念じれば、幸いにもすぐに元の俺に戻った。
意味の分からない現象に怖くなった俺は、その日は忘れたい一心で眠りにつき。
そして次の日、そういやそんな夢を見たなと思い出して念じてみれば、光に包まれて再びイケメンになることが出来てしまった。
元に戻って、イケメンになって、元に戻って、イケメンになって。
変身をひたすら繰り返し、これが夢などではなく、自由に姿を変えられるとうになったのだと分かった途端、俺はそれはもうにやけてしまったものだ。
まあ当然じゃないかな。
何せイケメンに、それもイケメンの中でもイケメンな超イケメンになれるようになったんだ。中学三年生なら勉強なんてつまんないことはほっぽり出して、降って湧き出た超常現象で遊んでしまった俺は悪くないはずだ。
とはいっても、中身は所詮地味な
サイズの合っている服なんて持っておらず。
ちやほやされるべく顔をさらしても、絶対に面倒だろうなとしか思えず。
その上女の子と仲良くなっても何話せばいいか分からないし、正体をバレたらボコされるだろうなと思ったらもう口説くなんてする気にはなれず。
せっかく最強の顔を手に入れても、中身が中身なので宝の持ち腐れでしかなく。
足踏みしながらしばらく悩み、何一つ活用さえせずこのまま封印を決意しようとした。その瞬間だった。
「あ、そうだ。せっかくイケメンになれたんだから、最推しのイケメンでも作ってやろう」
下りてきた案はまさに天啓。神託の如き、自分にしっくり填まる面白い閃き。
どうせイケメンになれるのだから、自分が最推しに出来る最強イケメンをやってみよう。
良い顔してる裏で女をカモにして抱きまくったり。
調子に乗って薬に手を出したり。
顔の良さを棚に上げて人を見下しいじめたりする、そんな嫌などこにでもいそうなイケメンではなく。
目の前に困っている人がいたら、老若男女問わずに助けの手を伸ばせる。
クラスの端にいるだけの
そうと決まれば善は急げと、ベリベリの財布片手にお店へ全力ダッシュ。
顔と瞳は隠さず、けれど目元は隠せるナイスな仮面。
適当な古服でイケメン姿で店に趣き、しっかり丈を合わせ、人生で一番高い買い物のスーツ。
そして何よりマント。ヒーローと言ったらかかせない、長くひらひらとした黒マント。
ヒーロー三種の神器とも言えるコスチュームの入手に、貯めてきたお年玉貯金を全ベット。
その結果イケメンに負けない且つ顔を晒せる、理想的と褒めたくなるイケメン仮面を誕生させ、ついに活動を開始した。
道端のゴミを拾ったり。
お婆ちゃんが横断歩道を渡るのを手伝ったり。
迷子の子供を交番か親の下へ送ったりと、些細なことから始めていき。
大概のことは顔の良さで誤魔化して、不審者だと思われないよう振る舞いと勢いを大切に。
映画の一幕みたいな荒事やスタントマンみたいなアクションを要求されたりもしたし、たまに正体を探ろうと詮索もされたもしけれど、そこは無駄に高いスーパーヒーローかってくらいのイケメンスペックで上手く乗り切りながら、少しずつ活動範囲を広げていった。
ま、どうせ仮面外されたって晒されるのはイケメン姿、
イケメン自体が仮面みたいなものだし、バレたとしてもノーダメージってわけだ。
一日一善を目標に、そんな感じで冴えない中学生とイケメン仮面の両立を続ければ、あっという間に半年が経過。
学校や近所でちょっとした話題になったりして自尊心を満たせば、受験勉強だって捗り受験も合格、晴れて高校生となったわけだ。いやーめでたいねぇ!
「ねえ純也ー、今日デートしよー?」
「わりい、今日部活なんだ。次の大会、ワンチャンレギュラーに入れるかもしれねえからさ」
「えーすごーい! 流石はあたしの彼ピー♡」
ま、どれだけイケメン仮面がすごかろうと、俺は何も変わらず
成績は平均または少し下。運動能力は前よりはちょっと上がったけど、それでもやっぱり並程度。桜が散りきったこの時期でさえ学内に友達と呼べる人のいない、最早
さきほどのクラス公認カップルが最後だったのか、教室には俺以外誰もおらず。
スマホを弄っていたらすっかり教室の最後の住人になってしまったと、少しため息を落としてからリュックを背負い、手提げの鞄を手に取って教室から出ていく。
校庭で声を出しながら、力強く走る運動部の生徒達。
学内で和気藹々と話しながら、文化系の部活や委員会などに精を出す生徒達。
別に彼らを羨ましいなんて思ってはいないし、混ざりたいとも考えた事もない。
……本音を言えばちょっとは友達欲しかったけど、まあ出来なかったものはいいんだ。悔やんでも仕方ない。
正直友達付き合いとか向いてない性格だし、何より俺にはイケメン仮面推しという使命があるからね! いじめられなきゃそれで十分なのさ!
さて、いつもなら一度帰宅して荷物を降ろし、イケメン仮面の活動を始めるのだが。
今日は訳あって寄り道。場合によっては、イケメン仮面もお休みにする気であった。
始まりは今日の昼休み。
母親作のお弁当を完食し、日課であるイケメン仮面についてのエゴサーチをしていると、気になる呟きを数件ほど発見してしまった。
内容はとある場所にゲリラ露店を展開し、イケメン仮面の非公式グッズを販売しているとのこと。
確かにイケメン仮面はこの街で半年ほど活動したものの、別にグッズ化されるほどの知名度があるわけでもないし、正直ガセとしか思えない。
ただいずれの呟きにも無駄にクオリティの高いイラストのアクリルグッズの写真から貼られていたので、イケメン仮面の中の人としては是非ともほし……げふんげふん、けしからんグッズ達を確認する義務があるからね。
そんなわけで、目撃場所である公園まで行ってみたのだが、残念ながらそんな怪しい店はなく。
デマだったのか、たまたまいないだけなのか。
いずれにしても縁はなかったと、落ち込みながらトボトボと帰り道をふらついていた。
「きゃー!」
その時だった。
夕暮れの道すがら、突如として甲高い悲鳴が聞こえてきたのは。
「へんっしん!」
決意よりも先に体は動く。
誰にも見られない物陰へと移動してからリュックを放り捨て、手提げ鞄から複数の衣類を空中に放り投げつつ、高らかに叫ぶ。
光に包まれながら服を脱ぎ、変化していく体でひたすら素早く着替えを済ませていく。
スーツに袖を通し、黒のマントを装着し、最後に仮面を付けて身も心も切り替える。
変身完了。正義のヒーロー、イケメン仮面参上。
うーん、ジャスト十秒ってとこか。
変身中、光の中での早着替えも小慣れたものよ。こういうのの速度で世界で一番の自信がある……おっと、そんなこと言ってる場合じゃなかった。
「とぉーう!」
物陰に持ち物を隠した後、湧いてきたイケメンパワーでジャンプ。
電柱の上に華麗に飛び乗ってから、視力も上がるイケメンアイで周囲を見回し、悲鳴の発生源を探していたときだった。
ドゴン、と大きく鳴り響く衝突音。
場所はすぐそば、イケメンジャンプならひとっ飛びで間に合う範囲、猶予はそんなにない!
こうしちゃいられない、とぉーう!
「イケメン仮面参上! 俺が来たからにはもうあんし……えっと、どういう状況かな?」
電柱の上から跳躍し、少女の前へと華麗に着地。
参上の口上を述べながら、目の前の危機に対処しようとして──驚きでつい言葉を失ってしまう。
何故ならその現場は、想像していた光景とはまるで異なるもの。
悲鳴の主であろう、倒れる少女まではいいとして。
真っ黒な十文字槍を支えに片膝を突く黒髪の美少女。その前で勝ち誇ったような笑みを浮かべていたのは、悪そうな不良でも酒臭い酔っ払いでも暴走しているトラックでもなく。
背中に翼と長い尾を生やした薄赤肌の人外。
持っている知識の中から安直に答えるなら、悪魔と呼ぶべき超常存在がそこにはいたのだから。