アレクセイが覚醒してからいくらか時間が経った。
彼は一先ず古巣である魔法都市アルカトラを目指すという目標を立て、そのために必要なこととして魔力回路の構築を始めた。
前世では──ただのマッドサイエンティストであるのに──並び立つ者のない至高の才と呼ばれた魔法の技術も、肉体に依存する部分に関してはリセットされているためだ。
そんなアレクセイの毎日のルーティンを紹介しよう。
まず、目覚めてすぐに魔力を錬る。
周囲からゆっくりと魔素を取り込み、身体の中で自身が発する魔力と混ぜ合わせ、錬成していく。
まだ始めたばかりで取り込める魔素の量も、自ら生み出せる魔力の量も多くない。
次にその錬成魔力を全身に循環させる。
大きな血管に沿うようにゆっくりと。
まだまだ身体が魔力に馴染んでおらず巡りが悪いため、大まかにしか循環させることができない。
そして魔力を身体から離して、これを操作する。
思いのまま自由自在とはいかず、空中を漂わせるのが精一杯だ。
大魔導師としての知識があっても、一朝一夕に身につくものではない。
それでも日々の積み重ねが大切だと、飽きることなく続けている。
…………
それが終わると朝食だ。
覚醒時は前日の雨により畑の状況を確認していたため居なかった父親も同席している。
ここで改めて現世アレクセイの両親を紹介しておこう。
父の名はカリヤ、母の名はナジェージダ。
ふたりはこの村出身で、若い頃(今も十分若いが)は冒険者として活動していたようだ。
現在は冒険者を引退し、故郷であるこの村──ストリェチェヴォと呼ばれる──に戻って、畑を耕しつつも元冒険者としての経験を活かし、猟師や自警団員としての役も担っている。
また、ナジェージダは回復魔術士としての適性もあるため、村に住む医師兼薬師の老婆を手伝うことも多い。
そんな家族に囲まれ、比較的規模は大きめとはいえ辺鄙な農村であるストリェチェヴォ村であっても、それなりに不自由なく暮らしているのであった。
…………
朝食後はカリヤとともに畑の世話に向かう。
将来魔法都市に向かうというアレクセイの希望は知りつつも、何をするにしても体力と足腰の強さは大切だからと、あれこれ作業を手伝わせている。
アレクセイとしても、前世では触れたことがなかった農作業に新鮮な気持ちを感じつつ、魔法による身体強化の練習にちょうど良いとこれを受け入れている。
割合緯度の高い位置にあるストリェチェヴォではあるが、北側を広くゴルラヴェツ山脈に覆われているため北から吹く寒風が遮られ、同緯度の地域の中にあっては比較的温暖な気候で安定した収穫量が見込める。
だからこそストリェチェヴォ──屋根の村と呼ばれるわけである。
…………
午前の作業が終わったら昼休憩となる。
この周辺では1日2食が基本であり、昼は温かい茶を飲んで済ませることが多い。
カリヤはその時々で違うが、6歳の少年であるアレクセイは毎度お昼寝タイムとなる。
ちなみに今日は親子揃ってカウチで寝ている。
そんな彼らを見て『寝顔がそっくり』というような様子で、忍び笑いをしつつ毛布をかけるナジェージダであった。
…………
午後からは両親のどちらかとともに、冒険者としての訓練が始まる。
別にアレクセイは冒険者になりたいわけではないが、大陸の東端寄りであるこのストリェチェヴォから、大陸中央部にある魔法都市アルカトラに向かうのであれば、当然のことながらそれなりに移動距離があり、時間と金銭が必要になってくる。
なので、冒険者として路銀を稼ぎつつ向かうというのが現実的な方法となる。
そのために必要な訓練を行っているというわけである。
今日の担当はカリヤである。
カリヤが担当するのは冒険者として、または斥候としての様々な知識の教育と、基礎的な身体能力の向上を狙った体力練成である。
午後の前半に体力練成を行い休憩──アレクセイの場合は2回目のお昼寝タイム──それから各種知識の教育及び実践というパターンが多い。
体力練成では、まだ武器は握らずにひたすら走っている。
といってもマラソンのような長距離走だけではなく、短距離を全速力でダッシュしたり、重い荷物を抱えたまま走ったりと、様々な負荷をかけつつ持久力と瞬発力の両方を鍛えるようなメニューとなっている。
「アリョーシュカ❤」
「リューダ」
「リューダじゃないの、ミーラ❤」
そうして走っていると、ひとりの少女が伴走してくる。
彼女の名前はリュドミーラ、アレクセイの近所に住むひとつかふたつ歳下の少女、もしくは幼女──否、メスガキである。
ちなみに、リューダと呼びかけられて否定している彼女ではあるが、ミーラと呼びかけるとリューダと呼べと言ってくるため、無限に使える優秀な会話デッキではある。
一体どこで教わったのだか。
「今日も頑張って走っちゃって❤ アリョーシュカはミーラのお婿さんになるんだからそんなことしなくても良いのに❤ ばぁか❤」
「ありがとね。無理して走らなくて良いからね」
そう言って走りながらリュドミーラの頭をなでるアレクセイ。
やはり小さな少女には辛かったのか段々と遅れだすリュドミーラ。
終いには足を止めてアレクセイの背を見送る。
彼になでられた頭を両手で抑えつつ呟く。
「……ばぁか」
…………
午後の訓練が終わると、汚れを落として夕食の時間となる。
アレクセイは覚醒して真っ先に練習した洗浄の魔法によって全身さっぱりとしている。
この魔法は家族や家の中の掃除にも使っており、室内は常に清潔を保たれている。
本日のメインは、アレクセイが走っている間にカリヤが狩ってきていた猪肉だ。
塩とスパイスの利いた焼き料理と、畑で採れた野菜とともに煮たスープ、それにパンがある。
食前の祈りを済ませ、各人が料理を口に運ぶ。
アレクセイはまずスープを一口。
野趣に富む猪肉の脂と、滋味あふれる根菜類とが渾然一体となり、それを多くはない調味料でしっかりとまとめ上げた、ナジェージダの腕前が光る一品だ。
それをじっくりと味わってから、メインの焼き料理に手を付ける。
まずはパンを横に切り、そこにスープに濡れた葉物野菜、そして小さく切り分けた猪肉を挟む。
がっしりとしたパンの食感の先に、薄っすらとスープの染みた柔らかい感触、そしてパリッと焼き上げられた猪肉のガツンとパンチのある旨味。
前世で食べた豪勢な食事とは違う、暖かくも満たされる食卓だった。
…………
食休みを兼ねて家族と談笑した後、自室に戻ってからは朝と同じ魔力回路構築の鍛錬を繰り返し行う。
魔素を取り込む、魔力と混ぜ合わせる、全身を巡らせる、空中を漂わせる。
朝と違うのは、最後に現在でき得る限り大きく魔力を練り上げ、それを魔法に変換しないまま放出することだ。
そうして魔力が空になると、途端に倦怠感がやってくる。
人間は普段、特別に意識をしていなくとも魔力を使って生活している。
各種感覚つまりは五感の補助や、筋力の補強などである。
それが、魔力枯渇状態に陥ることでサポートがなくなり、ただ生活するだけでも怠さを感じるようになるのである。
要するに常時パワードスーツを装着している人間が、それを脱いで動くようなものである。
なのでそれ──魔力枯渇状態に陥ることによって気絶したり、気分が悪くなったりということはない。
アレクセイはその状態でもできる訓練として、指を一本ずつ折り曲げてみたり、左右で違う動きをしてみたりする。
そしていわゆるボディスキャン──自分の身体の各部位に注意を向けて感覚を確認する、例えば、つま先から頭の先まで順番に意識を向けながら緊張を解いていく瞑想の一種──を行う。
魔力による補助がない状態で、自身の身体感覚を研ぎ澄まそうという試みである。
(今は難しいけど、将来的には魔力を使わない状態で身体トレーニングをした方が良いかもなあ)
前世では研究にのめり込む一般的なマッドサイエンティストだったので、運動などとは縁遠く、ヒョロヒョロとした体型であったアレクセイである。
うっすらとしたマッシブな体型への憧れが滲み出ている。
ともあれ、大体このようにして毎日を過ごす元大魔導師(6歳)なのであった。