薄暗い室内、魔法の灯りが照らす中、何人かの人影。
ベッドに横たわる男性の周囲に、ローブを纏ったいかにも魔導師といった風情の面々。
魔導師とは何かを説明するには紙面が足りないので省略するが、要するに魔法使いのような格好をしているというわけだ。
そんな人間から注目を受けているのは、老年の男性だ。
彼も周囲の人間と同じくローブを纏っているが、その位階を表す各種の
そのローブにも、彼が横たわるベッドにも、ベッドの下の床にも、そのすべてに細かい文様が描かれた魔法陣が設置されている。
この状況を知らない人間が見れば、いかにも妖しい儀式であると思うことだろう。
大正解である。
彼らは男性を頂点とした魔導師一門であり、世界的に禁忌とされている魂魄に関する研究の最終段階に入っているところであった。
当然のことながら彼らにとっていま行っている実験内容は頭に入っているので、わざわざ『これこれこういう研究の最終段階だ』などという説明くさいセリフは挿入されない。
『──其は一、いくら分かたれようとも一である。魂の大河を流れ、選別の篩にかけられようとも一である。いくら濾されようと残る原初の一である──』
その代わりに皆が声を揃えて滔々と、粛々と、魔法の宣誓文を唱える。
それによって励起した魔力が、設置された魔法陣に流れ込み、茫洋とした光を放ち始める。
その段になって初めて男性が声を発する。
「みな、ここまでよく務めてくれた。私は先に行かせてもらう。魂の交差する場所で再び
そう言って男性は静かに息を引き取った。
残された面々の反応はそれぞれで、静かに涙を流す者、決意の炎を燃やす者、膝をついて泣き崩れる者など様々であった。
そんな中でこの場にそぐわぬ給仕服を纏った少女だけは、何の感情も宿さぬ無機質な瞳を男性に向け、しばしそうした後に大きな椅子のような装置に座り静かにまぶたを落とした。
────
ノストルム大陸東部に位置するカラドヴィア王国。
その中でも北東に横たわるゴルラヴェツ山脈の麓にある大きめの農村。
そこのひとりの少年がいた。
名をアレクセイと言い、本年五歳である。
ゴルラヴェツに
「……なるほど」
幼児らしい性別が未分化な甲高い声でありながら、どこか老成したような響きを有する口調である。
彼こそは一千年前、魔法都市アルカトラにその人ありと謳われた大魔導師、アレクセイ・ズヴェズダノフ・ヴォルコフが、その人生を捧げた研究成果『転生に伴う知識の持ち越し』によって、膨大な知識をその身に宿した存在なのであった。
覚醒まで、現世のアレクセイが生まれてから5年の時を要した。
これは研究の段階でも想定されていたことだが、赤子の時は脳が未熟なため知識が定着せず、ある程度は発育してから魂に書き込まれた知識にアクセスできるようになったのだと思われる。
「ママ~! 魔法出た~!」
「ママはトイレじゃありまs……魔法?」
そしてこの壁の向こうにいる母親に呼びかける姿を、彼の前世を知る者が見れば、ジジイが何を子どもぶっているのだと困惑するであろう言動であるが、当然これにも理由がある。
色々と心理学的な分析はできるのだがここでは結論のみを述べるとして、要するに彼は現在、前世のジジイ──大魔導師としての知識を持ちながら、5歳の少年らしい情動と人格を有するという認識で間違いはない。
知識というものは人格形成に関して少なからず影響はあるものだが、現世の人格を塗りつぶしたというようなことはないようだ。
そんな彼が前世の知識に覚醒して真っ先に行ったのは、魔法が使えるということを周知することであった。
なろう系小説によくある展開からすると、転生者なら実力を隠すムーブをするところであるが、その必要がないのであればしない、それだけである。
むしろこのまま黙っていても、なにごともなく家を継いで、なにごともなく農夫として生きていくというレールが敷かれてしまう。
それはそれで悪いものではないと思うが、せっかくこの身に宿った大魔導師の知識を死蔵してしまうのもどうかと思う。
古巣である魔法都市アルカトラ、そこに存在する彼の研究室を目指そうというのがこれから先しばらくの目標となる。
そのためには朝から晩まで親の手伝いをして終わる生活をするのは、望ましくないわけである。
そういったことを前世の知識と現世の短い人生経験から計算して、魔法が使えるようになったことを周知する、という選択を採ったのであろう。
「おはよう、アリョーシュカ。魔法ってあなた、あの魔法?」
「そうだよ~。見ててね……『火よ』」
夜明け前からキッチンで何かと家事をしていた現世の母親に、魔法が使えるようになったことを示すアレクセイ。
その指先に、種火の魔法で小さな炎が灯された。
「あらーほんとねえ。パパにも教えないと」
「うん。僕、
「あはは、気が早いわね。まあ、誰に聞いたか知らないけど、魔法都市はすーーーっごい魔法使いばっかりが集まってくるところだからね。簡単には入れないと思うよ?」
「だいじょぶ~」
何が大丈夫なのか、幼児らしい能天気さで答えるアレクセイを微笑ましく思いながら、彼女は母としての務めを思い出した。
「それも良いけど、朝ごはん食べちゃいなさい。そしたら畑に行ってパパにも見せてあげてね」
「はーい」
食卓に並ぶのは昨日の夕食のスープとパンだ。
前世の知識からすると、辺境の農村とすれば一般的なメニューにも見えるが、朝から火を焚いて温め直しているのかと感心するアレクセイであった。
もっとも、これには現在主流となっている魔法技術である、
────
一方、アレクセイの覚醒と時を同じくして。
薄暗く、他人からすれば雑然と物が置かれたように見える一室にて。
大きな椅子のような装置に、まるで人形のように眠る美しい少女がひとり。
否。
──オートマタ。
遺失文明時代のアーティファクトを参考にして生み出された、アレクセイ・ズヴェズダノフ・ヴォルコフの最高傑作。
今なおその再現には誰も成功していない、近代以降に作られた唯一のオーパーツ。
そんな人形の少女のまぶたが薄く開かれる。
「マスターの魂魄反応を確認。起動シークエンスに入ります…………」
「外部メモリとのリンクが断絶…………各部駆動系は異常なし…………魔力回路の一部に破損を確認…………セーフモードで起動します」
その言葉を契機にしてか、椅子から伸びた各種ケーブル類や固定用のベルトは自動的に切り離され、半眼だった瞳はぱっちりと開き、しっかりとした挙動で立ち上がる。
立ち上がったことで今まで隠されていた全身が明らかになる。
身長はこの地域ではやや低めの150センチメートル台前半、それでもスラリと伸びた手足は長く、彫像を思わせる美しい黄金比によって構成されている。
髪は肩口で切り揃えられた黒髪に、白に近い銀髪が入り交じる。
纏うのは白を貴重としたドレス、といっても豪華絢爛なパーティで着飾るようなそれではなく、シンプルで機能性を感じさせるものだ。
やや豪華なメイド服というと、近いかもしれない。
「目標設定。マスターとの接触を第一目標に設定します」