事務所の窓から差し込む朝日が、私のデスクの上に広げた配達予定表を柔らかな光で照らしていた。早朝の静けさの中、今日の配達の最終確認をしていると、ドアのチャイムがやけに元気良く鳴った。振り返ると、開かれたドアから高梨優斗くんの姿が見えた。
「おはよう、優斗くん!今日も早いね」
私は微笑みながら迎え入れた。彼の髪は少し乱れていて、急いできた様子が見て取れる。今日は特別な配達があると伝えていたので、さぞ楽しみにしていたのだろう。
「今日は特別な配達があるって聞いたので、楽しみで」
優斗くんは満面の笑みを浮かべて答えた。彼がマジカルエクスプレス便で働き始めてからもう一週間が経つ。放課後の時間を使って何度か配達を手伝ってくれていて、箱から飛び出す小さな妖精を取り押さえたり、不思議な言語で書かれた手紙を届けたり。毎回新しい発見に目を輝かせる様子は、わたし自身が初めて魔法界に触れた頃を思い出させてくれる。
――あの時は初めての現代魔法実技試験に失敗して、古代魔法の呪文を間違えて覚えちゃうし、もう散々だったな。それに比べたら優斗くんの方がずっと適応力があるかも。
そこへ茜ちゃんも到着した。彼女の黒髪はいつものようにきちんと整えられ、リュックには整然と資料が詰められていた。最初は半信半疑だった彼女も、実際に魔法を目の当たりにして、その存在を認めざるを得なくなっていた。特に古代魔法理論の本を借りてからは、科学的観点から魔法を分析することに興味を持ち始めた様子だ。
「さて、みんな揃ったね」
私は二人に笑いかけた。今朝は珍しく拓人さんが遅れている。普段は私よりも早く着いてカウンターの後ろで淹れたてのコーヒーを飲んでいるのに。
「今日の配達はちょっと特別なの。魔法動物園からの依頼だよ」
「魔法動物園?」
優斗くんの目が星のように輝いた。彼のこの無邪気な反応が、わたしにはとても心地よかった。
「正確には、人間界にある隠れた魔法動物の保護施設ね」
しっかり説明してあげなくては。わたしは事務所の壁に掛けられた地図を指差しながら説明を続けた。
「一般の人には普通の動物保護センターに見えるけど、実は魔法生物も保護しているの。魔法界と人間界の境界に近い場所にあるから、時々魔法界から迷い込んでくる生き物たちの保護施設として重要な役割を果たしているんだよ」
「どんな生き物がいるんですか?」
茜ちゃんが珍しく興味を示した。彼女の瞳に好奇心の光が宿っているのを見て、わたしは嬉しくなった。
「ユニコーンやヒッポグリフなんかもいるわよ」
わたしはウインクしながら答えた。ユニコーンの柔らかな手触り、ヒッポグリフの気高い眼差しを思い出す。何度か訪れたことがあるが、そこの住人たちはいつ見ても神秘的で美しい。
「本当ですか!?」
優斗くんの声がさらに上ずった。その表情はもう、今すぐにでも飛び出していきたいという気持ちが隠しきれていない。
「でも今日の仕事は単なる見学じゃないからね」
わたしは少しだけ厳しい声音で注意した。仕事である以上、遊びではないということを理解してもらう必要がある。
「彼らが必要としている魔法の餌と薬を届けるの。時間厳守!きちんと約束の時間までに届けなくちゃいけないんだよ」
その時、事務所のドアが再び開き、拓人さんが入ってきた。
「そっちは準備はできたか?」
彼の声には眠気と疲労が混じっていた。昨夜は遅くまで残って書類の整理をしていたようだ。それなのに今朝も早起きして準備してくれていたのかと思うと、感謝の気持ちでいっぱいになる。
「うん、あとは荷物を積み込むだけ」
わたしは元気よく答えた。少しでも彼の疲れを和らげたいという気持ちもあった。
拓人さんは優斗くんと茜ちゃんに頷き、いつもの低くハスキーな声で言った。
「今日の仕事は比較的簡単だが、魔法生物は行動が予測不可能だ。気をつけろよ」
「はい!」
優斗くんが元気よく返事をした一方で、茜ちゃんは少し表情を引き締めた。二人とも、拓人さんの言葉の重みをしっかりと受け止めたようだ。
わたしたち四人は荷物をバンに積み込み、出発した。いつものように拓人さんが運転を担当し、わたしが助手席に座った。後部座席では優斗くんと茜ちゃんが少し緊張した面持ちで会話している。
春の柔らかな日差しが車窓から差し込み、爽やかな風が髪を揺らす。こんな穏やかな朝は、とても好きだ。
「さてと、行先はあの町外れの魔法動物園だったな?」
拓人さんが視線を道路に固定したまま尋ねてきた。
「そう。郊外。市の外れの森の中にあるやつ」
わたしは手元の地図を確認しながら答えた。
「そりゃまた結構な距離だな」
「そうだよね~。でも道中、二人に色々と説明する時間があるから、ちょうどいいと思うよ」
わたしは後ろを振り返り、優斗くんと茜ちゃんに笑いかけた。
「魔法動物園は郊外の森の中にあるの。魔法学校と一緒で、一般の人からは見えないようになっているの。魔法学校の人払いの結界、覚えてる?」
優斗くんの目は期待に輝き、茜ちゃんは理解しようとメモを取りながら真剣に聞いている。
「今日届けるのは、さっきは餌って言ったけど、特殊な魔法生物用の栄養剤と治療薬だよ」
「どんな生き物に使うんですか?」
優斗くんが好奇心いっぱいの声で尋ねた。
「小型のドラゴンだよ」
「ドラゴン!?」
優斗くんと茜ちゃんが思わず揃って声を上げた。二人の驚きようにわたしは思わず笑みがこぼれた。
「うん、でも心配ナッシング!日本にいるのはほとんどが小型種で、猫くらいの大きさしかないから。『猫ドラゴン』なんて呼ばれることもあるくらいだよ」
わたしは笑いながら彼らを安心させた。優斗くんはまだ口を開けたままで、茜ちゃんは眉を寄せている。
――優斗くん、そんなにポカーンと口を開けてると、ポッキーとか突っ込みたくなっちゃうなぁ
「危険な大型種は専門の保護区にいるから、今日行く施設にはいないの」
バカないたずらを考えつつもそう付け加えたが、そんなわたしの言葉とは裏腹に、茜ちゃんの表情は緊張に満ちていた。
「それでも、火とか吹くんですか?」
茜ちゃんが心配そうに尋ねてきた。彼女らしい慎重さだ。
「それは種類によるとしか言えないなぁ」
わたしは彼女の真面目な表情に対して、優しく微笑み返した。
「今回の子は日本の河童ドラゴンって言って、水の魔法を使うの。後頭部に亀の甲羅をひっくり返したみたいな、河童の皿みたいなものが付いてて、そこに水を蓄えているの」
「河童?……ドラゴン?……え?」
茜ちゃんが首を傾げた。一般の人にとってはどちらも空想上の生き物だ。ましてや彼女の論理的な思考では、その2つのイメージがなかなか結びつかないのだろう。
――うーん、無理もないなぁ
「そう、日本の伝説の河童と西洋のドラゴンが交雑した種と言われているんだー。平安時代の終わり頃に魔法界で生まれたとも言われていて、とても珍しい種類なんだよ。本来は清流に住んでいて、確か水質浄化の能力とかも持ってたはず」
キラリと茜ちゃんの科学者的眼差しに興味の光が灯った。
「なるほど。日本古来の妖怪と西洋の魔法生物の融合……これは古代魔法と現代魔法の交差点みたいなものですね」
わたしは嬉しくて勢いよく頷いた。
「よく気づいたね!実は魔法学の分類では、日本の陰陽道や妖術は『東方古代魔法』に分類されるの。西洋の魔法とは違う体系だけど、同じように強力な力を持っているんだよ」
「魔法にも学問体系があるんですか?」
優斗くんが身を乗り出して尋ねた。
「もちろん。大きく分けると『古代魔法』と『現代魔法』があるよ。古代魔法は何千年も前から伝わる強力だけど制御が難しい魔法で、現代魔法は理論化され、より安全に使えるように体系化されたものだよ」
「科学と同じように進化してきたんですね」
茜ちゃんが納得したように言った。
「その通り。でも古代魔法には現代でも再現できない強力な力があって、特に満月の力を利用した魔法は……」
「三人とも、そろそろ着くぞ」
拓人さんが会話を遮った。彼の表情は少し緊張していた。