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第14話 真昼の強襲

「優斗くん、茜ちゃん、ここで待機してこの子を見張ってて。拓人さん、一緒に確認しに行こう」


 わたしは優斗くんと茜ちゃんを診療室に残し、拓人さんと健太郎さんと共に外に出た。ちょうど昼休憩に入る時間帯で、施設内は人の気配が少なく、何となく薄気味悪い雰囲気が漂っていた。


「ちょうど12時か……」


 拓人さんが腕時計を確認しながら呟いた。


「スタッフたちが休憩に入る時間だな。警報が鳴るタイミングとしては最悪だ」

「狙われたのかな?」


 わたしは不安げに周囲を見回し、健太郎さんは眉をひそめた。


「可能性は高いね。影魔法使いは情報収集力が高いと言われているから、施設の人員配置まで調べ上げているかもしれない」


 わたしたち三人は慎重に正面玄関へと向かった。春の陽射しは明るく、施設の緑豊かな庭を優しく照らしていたが、その穏やかな風景とは裏腹に、緊張感が空気を支配していた。


「千秋、後ろに下がれ!」


 拓人さんが突然、わたしの前に腕を広げて立ちはだかった。彼の鋭い目が木々の間の動きを捉えていた。


「どうしたの?」

「何か……動いた」


 その言葉に続いて、木々の間から黒い霧のようなものが滲み出してきた。影魔法使いだ。三人は本能的に身構えた。


「やはり来たか」


 健太郎さんが低い声で言った。


「そうはさせない」


 わたしは両手を前に突き出し、防御魔法の準備を始めた。指先から青い光が広がり、小さな魔法陣が空気中に形成されていく。


「全員動くな……」


 霧の中から低い声が聞こえた。そして、私たちの前に三つの黒い影が現れた。人の形をしているように見えるが、その姿は霧のようにぼやけていて、顔の部分も見えない。まるで人間の影そのものが立ち上がったかのようだった。


「いったい何の用だ?」


 拓人さんが毅然とした態度で問いかけた。彼は魔法使いではないが、恐れる様子はなかった。


「おまえたちには関係ない。あのドラゴンを引き渡せば害しはしない」


 中央の影が言った。その声は風のようにかすれていて、どこか不気味さを感じさせる。


「どうして河童ドラゴンが必要なの?」


 わたしは勇気を振り絞って質問した。


「それは言えんな。言うと思うたか?だが、あのドラゴンには我々の計画に必要な力がある。今すぐ引き渡せ」


 影は冷たく答えた。


「引き渡すと思った?悪いけど、それはできない。それにこのドラゴンは保護中の生き物だよ」


 わたしは両手の魔法陣を完成させた。


「ならば力ずくだ」

「あなたたち、そればっかりね!」


 三つの影が同時に動いた。一つはわたしに向かって、もう一つは拓人さんに、最後の一つは健太郎さんに襲いかかる。


「防御を!」


 わたしは完成させた魔法陣から青い光の盾を生み出した。それは影の攻撃を一時的に防いだが、盾に亀裂が走る。


「拓人さん、健太郎さん、大丈夫?」


 拓人さんは何とか身をかわしていたが、健太郎さんは腕を掴まれていた。


「大丈夫だ」


 健太郎さんは急いで小さな銀の粉を散らした。それは影に触れると、光を放ち、影を一瞬退かせた。


「これは一時的な対策にしかならないが……」

「何か考えないと」


 わたしは頭を必死に働かせた。三人で三体の影と戦うのは困難だ。特に拓人さんは魔法使いではないし、対魔法使い用の装備もほとんど持っていないから魔法攻撃には無防備だし、健太郎さんも戦闘魔法の専門家ではない。


――どうしよう……。優斗くんたちにも連絡したいけど、そうしたら彼らも危険に……。


「二手に分かれよう」


 拓人さんが冷静に提案した。


「千秋、俺と健太郎で足止めする。お前は施設内を確認してこい」

「でも……!」

「いいから行け」


 拓人さんの声には強い決意が込められていた。


「奴らの真の目的はドラゴンだ。高校生たちが心配だろう?」


 確かにそうだ。もし別の影魔法使いが診療室に向かっていたら、優斗くんと茜ちゃんは危険だ。


「分かった。でも十分気をつけて!」


 わたしは別ルートで施設内に戻ることにした。裏口から回り込めば、短時間で診療室に戻れるはずだ。

 全力で走りながら、わたしは後ろを振り返った。拓人さんと健太郎さんが影魔法使いと対峙している姿が見える。彼らが無事でいてくれますように……という祈りを胸に、わたしは裏口へと急いだ。

 施設の裏手に回り込むと、思わぬ光景が目に入った。二体の影魔法使いがもう一つの建物の周りをうろついていた。彼らは明らかに何かを探しているようだ。


――裏ルートも封鎖されてる!これじゃ診療室に戻れない……。


 小さな茂みに身を隠し、状況を観察する。すると、影魔法使いたちがだんだん森の方向へ移動していくのが見えた。


――森の方に何かあるの?


 そのとき、わたしの頭に不吉な予感が走った。診療室の裏には小さな森があり、その中に健太郎さんが今回の河童ドラゴンを発見した小川が流れている。もしかして河童ドラゴンが……?

 時間は徐々に過ぎていき、正午を過ぎて小一時間経っていた。この間、わたしは慎重に施設内を移動し、影魔法使いたちの動きを監視していた。彼らは森の方に集中しているようで、徐々に数が減ってきていた。

 やがて、わたしは拓人さんと再会することができた。彼は少し疲れた様子だったが、大きな怪我はないようだ。


「大丈夫?」


 わたしは心配して思わず尋ねた。

 拓人さんは「ああ」と短く答えただけだが、本当に無事のようだ。


「なんとか撃退した。何か知らんが健太郎さんの持ってた特殊な粉が効いたんだ」

「健太郎さんは?」

「先に診療室に戻ったはず。高校生たちのことを心配してた」


 二人は急いで診療室に向かった。しかし、道中、わたしは森の方から何か騒がしい音が聞こえたような気がした。


「あの音……」

「確かに、何か起きてやがる」


 拓人さんも警戒して立ち止まった。


「でも、まずは診療室に戻ろう。これ以上の戦力の分散は危険だ。健太郎さんと合流した方が良い」


 診療室に戻ると、健太郎さんも無事に到着していた。しかし、優斗くんと茜ちゃんの姿はない。


「健太郎さん、優斗くんたちは?」


 わたしは不安を隠そうともせず尋ねた。


「いない……」


 健太郎さんの表情には焦りと心配が浮かんでいた。


「戻ってきたとき、もう誰もいなかったんだ」

「まさか……森?」

「可能性はある」


 健太郎さんが頷いた。


「影魔法使いに怯えてドラゴンが逃げ出したとか……?」

「ダメじゃない!すぐ探しに行かなきゃ……」


 わたしが言いかけたとき、診療室の外からざわめきが聞こえてきた。

 窓から外を覗くと、優斗くんが河童ドラゴンを抱えて走ってくるのが見えた。その隣には茜ちゃんがいる。二人とも少し疲れた様子だが、無事なようだった。


「いた!」


 正門方面で影魔法使いたちと対峙したわたしは、駆け寄ってくる優斗くんと茜ちゃんの無事な姿を見つけて安堵した。しかし、次の瞬間、二人が抱えているものに気づいて驚きの声を上げる。


「ど、どうしたの?そのドラゴンは……」


 わたしは優斗くんが抱えているドラゴンを見て目を丸くし、説明を求めて茜ちゃんを見た。


「逃げ出したんで捕まえたんです」

「そうだったんだ。二人とも無事で良かった。ドラゴンも」


 一同は息をつき、一時的に緊張から解放された。わたしは魔力の反動で少し足元がふらつく。強めの防御魔法を使ったせいで、魔力を消耗していた。魔法を使った後のこの感覚は、疲れと満足感が混ざったような独特のものだ。体の中から何かが抜け出していって、空っぽになったような感じ。


――ヤバい、どうやら魔力を使いすぎたみたい。明日は少しだるさが残るかも……。でも、みんなが無事で良かった。


「千秋さん!それより影魔法使いが現れて、ドラゴンを狙ってるんです!」


 よほど急いで走ってきたようで、優斗くんが息を切らしながら説明した。彼の腕の中でドラゴンは小さく震えていたが、攻撃的な様子は見せていない。むしろ、優斗くんに守られているかのようだ。


「影魔法使い?」


 わたしと拓人さんが顔を見合わせた。心の中で浮かんだ予感は的中していた。影魔法使いたちが優斗くんと茜ちゃんの所にも現れたのだ。前回、エリアスさんの元で遭遇して以来、彼らの行動には警戒していたけれど、まさかこんな時に……。


――どうして河童ドラゴンを狙うんだろう?単なる魔法生物じゃなくて、この子に何か特別な意味でもあるのかな?


「あ、追いかけてきてる!」


 茜ちゃんが後ろを指さした。彼女の声は冷静だったが顔は青ざめていた。仕方が無い。いくら彼女の分析的な思考がこの緊迫した状況下で働いていると言っても、その実は普通の女子高生だ。

 拓人さんが即座に構えを取った。


「おい、後ろに下がれ!」


 わたしも先ほどと同じ防御の魔法の準備をした。疲れたなどと言っていられる状況ではない。両手に淡い青い光が宿り始める。指先から魔力の糸が伸び、空中に魔法陣を描く。魔法陣は少しずつ形を成していき、準備を整えていく。かつて魔法学校で習った基本中の基本、魔力制御の魔法陣だ。


――深呼吸して、落ち着いて。ただの防御魔法だから、疲れててもこれくらい確実にできるはず。


 魔力が指先から流れ出し、空間に青い光の筋が広がっていく様子は、今でも美しいと思う。魔法を使う時のこの感覚が好きだった。身体の中から湧き上がる力が、指先を通じて外の世界とつながる瞬間。でも、今はそんな感覚に浸ってなどいられない。


「健太郎さん、二人とドラゴンを安全な場所に!」


 わたしの声は緊張で少し震えていたが、決意は強かった。守るべきものを守り抜くという意思が、その声に滲んでいた。魔法使いとして、人々を守ることがわたしの使命だから。

 健太郎さんは頷き、優斗くんと茜ちゃんを促した。


「こっちだ、急いで」


 しかし、その時には影魔法使いが近くに迫っていた。黒い霧のような姿で木々の間から浮かび上がってくる。背後の木々は、影が通り過ぎた後、枯れるように色を失っていった。生命力を吸い取られたように見える植物たちに、胸が痛んだ。


「そのドラゴンを渡せ」


 影が冷たい声で言った。その声は周囲の温度を下げるように、寒気を伴っていた。まるで真冬の風が急に吹きつけたかのような感覚が背筋を走る。


「何が目的?」


 わたしが鋭く尋ねた。もう一度、手の中で魔力を集中させる。魔法陣が完成し、青い光が強まっていく。さらに魔力の密度を高めるように意識を集中させる。


「答えは同じ。それは教えられぬ」


 影が答えた。


「ただ、そのドラゴンには特別な力がある。我々の計画には欠かせぬのだ」

「こっちだってさっきも言ったでしょ!渡せと言われておとなしく渡すわけないでしょ」


 わたしが両手を前に出し、素早く呪文を唱えて再び青い光の盾を作り出した。盾は半透明で、表面には古代魔法の文字が浮かび上がっている。防御魔法だ。


――昔、魔法学校の実技試験では失敗したことがある魔法だけど、今ならちゃんとできるはず。気を抜かないで、集中して……。


 盾が完成する瞬間、体の中の魔力が急速に外へと流れていく感覚がした。少し疲れるけれど、この程度なら何とか持ちこたえられる。

 影は攻撃の構えを取った。


「ならば力ずくだ」

「そんな馬鹿の一つ覚えには負けない!」


 黒い霧のような触手が私たちに向かって伸びてきた。バチっと激しい音がして私の盾がそれを防いだが、わたしは衝撃で少し後ずさった。必死に踏みとどまる。盾の表面が歪み、ひび割れが生じる。


――やばい、もう少しで破られる!もっと集中しなきゃ。


 わたしは額に汗を感じながら、魔力を盾に集中させた。


「ポテスターテム!拓人さん、優斗くんたちをお願い!」


 わたしは叫んだ。一人でも多くの一般人を安全な場所へ避難させなければ。自分は最後尾で敵を食い止める。それが魔法使いとしての役目だから。

 拓人さんは優斗くんと茜ちゃん、そして健太郎さんの元へ駆け寄った。


「診療所に戻るぞ。急げ!」


 四人は急いで診療所に向かったが、別の影魔法使いが道を塞いだ。


「行かせるか」


 もう一人の影が言った。


「くそっ……」


 拓人さんが歯噛みした。彼は警戒心を隠さず、影魔法使いを睨みつけている。いつもはクールな彼の顔に、今はかつて見たことが無いほど真剣な表情が浮かんでいる。


「拓人さん、僕がドラゴンを守ります」


 優斗くんが決意を込めて言った。彼の目には恐怖と共に、不思議な光が宿っていた。たった10日ほど前までは普通の高校生だった彼が、魔法の世界と向き合い、勇気を見せる姿に、わたしは感動した。


「何言ってる、危険だ」


 優斗くんを制した彼の表情には、明らかな心配が浮かんでいた。拓人さんは口では厳しいことを言うけれど、本当は優しい人だ。特に若い人たちには保護者のように接する。

 その時、優斗くんの腕に抱かれたドラゴンが再び光り始めた。治療薬の効果が完全に発揮されて治癒したのか、ドラゴンの体から強い青い光が放たれた。水の魔力で満たされた皿が、太陽の光を受けて水晶のように輝いている。


「何が……」


 影魔法使いが後ずさった。霧のような体が揺らめき、不安定になっている。


――ドラゴンの魔力が影魔法に干渉してる!これは……浄化の力?


 ドラゴンは優斗くんの腕から飛び上がり、大きく息を吸い込んだ。そして口から強力な水の流れを放出した。水は青白く光り、影魔法使いに直撃した。


「くっ……何だこの力は……!」


 影は悲鳴を上げ、水に触れた部分から凍りつき始めた。


「なぜだ……力が……」

「河童ドラゴンの浄化の力だ!」


 健太郎さんが驚いた様子で言った。彼の目は輝き、専門家としての興奮が声に滲んでいた。


「闇の力を浄化している!」


 影魔法使いは完全に動けなくなり、凍りついた姿のまま立ち尽くしていた。まるで氷の彫刻に黒い霧が閉じ込められている様子は神秘的ですらあった。

 わたしが戦っていた別の影魔法使いも、ドラゴンの力を見て動揺したようにその影を揺らめかせた。授業や伝説で聞いたことはあったが、実際に目にするのは初めてだ。河童ドラゴンの力は想像以上に強大だった。これで影魔法使いを抑え込めるかもしれない。


――これは古代魔法の力……。おそらく魔法学校で習った浄化の力だ。闇の魔法を中和するなんて……なんて素晴らしい能力……。


「優斗くん、ドラゴンをこっちに!」


 わたしは叫んだ。この状況を打開するチャンスだ。あまり慣れない状況に少し焦りを感じつつも、咄嗟の判断で声を上げていた。

 優斗くんは頷き、ドラゴンを私の方向に向けて話しかけた。


「お願い、助けて!」


 ドラゴンは優斗くんの意図を理解したかのように、わたしの戦っている影魔法使いに向かって飛んで行き、そして同じように口から水流を放出して影を凍りつかせた。


――まるで優斗くんとドラゴンの間に絆があるみたい。まるで使い魔と魔法使いの関係みたい。でも優斗くんは魔法使いじゃないのに……。不思議ね。


「やった!」


 優斗くんが飛び跳ねて喜んだ。その顔には安堵と達成感が混ざり合っていた。その純粋な喜びに、わたしも思わず微笑んだ。

 しかし一瞬の隙を突いて、突然第三の影が木々の間から現れて凍りついた仲間たちに触れた。触れられた影たちは氷ごと黒い霧になり、消えていく。


「くっ、仕方が無い。今回は退くがまた来る」


 第三の影が言い残し、同じように霧となって消えた。その声は静かだったが、確かな脅しが込められていた。

 わたしはしばらくその場に立ち尽くした。少し脚が震えていた。緊張と魔力の消耗で、体が極度の疲れを訴えている。でも、みんなが無事だったのが何よりだった。


――とりあえず今回は助かったけど……。彼らがまた来るなら、もっと準備しないと。それに……彼らがドラゴンを狙っていたということは……何か特別な意味があるはず。


 夕暮れの光が森に差し込み、辺りを金色に染めていた。風が木々を揺らし、自然の音が戻ってきた。さっきまでの戦いが嘘のような穏やかな風景。でも、今日の出来事は私たちの記憶から消えることはないだろう。

 優斗くんがドラゴンを抱きかかえ、そっと頭を撫でている姿に、何か特別なものを感じた。彼とドラゴンの間には、不思議な絆が生まれていた。それは言葉では説明できない、魔法の世界の神秘の一つだった。


「みんな、診療室に戻ろう」


 わたしは疲れ切った声で言った。


「今日の出来事について、いろいろとよく考えなければならないことがあるから」


 全員が頷き、静かに診療室への道を歩き始めた。影魔法使いの出現、河童ドラゴンの力、そして優斗くんとドラゴンの絆。すべてが何かの前触れのように思えた。

 これから先、どんな危険が待っているのだろう。わたしの心に不安がもこもこと広がっていった。


「千秋、あの影魔法使い、単なる泥棒じゃなさそうだな」


 拓人さんが小声で言った。


「そうだね……。何か大きな計画があるみたい。河童ドラゴンを狙うってことは……」

 わたしも頷いた。

「また来るのかな?」


 優斗くんが不安そうに言った。彼の腕の中でドラゴンは眠るように目を閉じていた。活躍した後の疲れなのか、それとも……。


「大丈夫!次は私たちもしっかり準備するから」


 わたしは彼を安心させるように、精いっぱい見栄を張って言った。

 みんなで話しているうちに診療室が見えてきた。日が沈み始め、空は美しいオレンジ色に染まっていた。今日の出来事は始まりに過ぎないのかもしれない。でも、みんなで力を合わせれば、きっと乗り越えられる。そう信じて、わたしは前を向いて歩いた。


――魔法使いとして、友達を守る。それがわたしの役目だから。


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