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第18話 特別講座の日

 魔法動物園の事件があってから一週間が経ち、優斗くんと茜ちゃんは約束通り魔法学校の特別講座に参加していた。翠風学園の空き教室で行われるその講座は、魔法に興味を持つ一般の若者たちに基礎知識を教えるものだ。基本的に魔法界は秘密主義だが、中途半端に知識を得て自己流で魔力を行使されると事件に発展する確率が高いため、魔法について知ってしまった一般に人には基礎知識だけでも積極的に学んでもらい、危険を未然に防止しようという姿勢をとっている。わたしも仕事の合間を縫って見学に来ていた。

 教室の窓から差し込む午後の日差しが、床に美しい光の模様を描いている。黒板の前に立つ緑川先生は静かな声で生徒たちに語りかけていた。


「魔法の本質とは、意志によって世界に変化をもたらすことです」


 緑川先生の穏やかな声が教室に響く。


「皆さんの中にも、眠っている才能がある人がいるかもしれません」


 教室には十数名の受講生がいた。年齢も様々で、中学生から大学生まで幅広い。優斗くんと茜ちゃんもその中に混ざっていた。わたしは教室の後ろで静かに見守っていた。彼らが魔法の世界を学んでいく姿は、わたし自身の昔を思い出させてくれる。わくわくと不安が入り混じる、あの特別な時間。


――あの頃のわたしってどうだったかな……。そうそう、初めて魔法理論の授業を受けて、魔力の円形理論とか魔法史とかで頭がパンクしそうになったっけ。そんで居眠りが多くなったんだったか……。実技は失敗も多かったけど楽しくもあったんだけどな。


 懐かしい思い出に浸っていると、緑川先生が声を上げた。


「今日は、魔力を感じる練習をしましょう」


 緑川先生は小さな木箱を開け、中から青い結晶を一人一人に配った。結晶は透明感のある美しい青色で、中心には少し濃い青色の核があった。わたしも学生時代に同じような練習をした記憶がある。


――最初は何も起こらず、とても悔しい思いをしたっけ。


「この石を手に持ち、目を閉じて石に意識を集中させてください。心の中でイメージするのです」


 緑川先生の声は静かだが、教室全体に響き渡るような力があった。彼女は優れた指導者だ。魔法の才能を見つけ出し、育てることに情熱を持っている。


「緑川先生はすごいですね」


 突然、斜め後ろから小さな声がした。振り向くと、そこには魔法使いの見習いである白石葉月さんがいた。彼女もこの特別講座を見学しに来たようだ。


「葉月ちゃん!久しぶり」

「先週、千秋さんが届けて下さった魔法の本、とても参考になりました。だから今日も何か参考になればと思って来たんです」


 葉月ちゃんは嬉しそうに言った。彼女の瞳には純粋な好奇心が宿っていた。先々週、彼女に魔法の基礎理論の本を配達したのを思い出す。見習い魔法使いとして熱心に勉強する彼女の姿には、自分の若い頃を重ねることができた。


「その調子だよ。魔法を学ぶのは大変だけど、諦めないでね。でもこの講座でやることぐらいは葉月ちゃんなら修得してるんじゃないの?」

「それでも何か自分のためになればと思って……。私も千秋さんを見習って頑張ります!」


――あはは……。心意気は嬉しいけど、わたしはあまり良いお手本じゃないかも。店長にもよく「ポンコツ魔法使い」って言われるし。


 内心冷や汗をかきながらわたしは葉月ちゃんに微笑みかけると、葉月ちゃんからも純粋な笑顔が返ってくる。


――やばい、わたしも負けないように頑張んなきゃ。


 一方、受講生たちは言われた通りに結晶を手に取り、目を閉じて集中していた。優斗くんも深呼吸して集中する様子が見える。彼の表情は真剣そのもので、眉間にはしわが寄っていた。


「自分の内側から湧き上がるエネルギーを感じてください」


 緑川先生の声が静かに響いた。


「それを結晶に向けるイメージをしてください」


――うーん、この情景って客観的にみると実は新興宗教の集まりみたいに見えちゃうなぁ。一般の人には見えないものを扱うから仕方のない面はあるけど……。


 わたしは頭に浮かんだ余計な考えを手でパッパッとかき消すイメージをしてから、講義内容に耳を傾け、同時に優斗くんを注視していた。彼の周りに、薄く微かな光が見える気がする。わたしは訓練で魔力の気配を感じ取る能力を身につけてるので、感覚的だが初心者には見えない魔力の流れも感じ取れる。こうして集中している姿を見ると、彼の中には確かに魔力の芽がある。他の生徒よりも強く、純粋な力だ。


「あの子、多分才能ありますね」


 葉月ちゃんも優斗くんの才能に気づいたようだ。


「うん、初めて会った時から何となく感じてはいたの。その時は半分直感みたいなものだったけど」


 わたしは静かに答えた。優斗くんの魔力は若くて未熟ながらも、純粋で素直な性質を持っている。それはとても珍しい。


「目を開けてください」


 緑川先生の声がした。

 受講生たちが目を開け、手の中の結晶を見つめる。ほとんどの結晶は変化がなかったが、数人の結晶が微かに光を放っていた。その中には優斗くんの結晶も含まれていた。彼の手の中の結晶は、他の受講生より明るく青白く光っていた。


「あっ……」


 優斗くんは自分の手の中の光る結晶を見て、驚きの声を上げた。彼の表情には純粋な驚きと喜びが混ざっていた。


「おめでとう、高梨くん。見事魔力を感じることができましたね」


 緑川先生が微笑んで祝福の言葉をかける。

 教室を見回すと、光らせることができた数人の受講生のうち、茜ちゃんの結晶も僅かに光を放っていた。彼女は半信半疑といった表情で結晶を見つめていた。


「水沢さんも素質がありますね」


 緑川先生が茜ちゃんにも声をかけた。


「私も?」


 茜ちゃんが驚いた様子で結晶を見つめた。彼女の目には科学者特有の分析的な光と、同時に子供のような驚きが混ざっていた。


「ええ。あなたは分析的な思考の持ち主と千秋さんからも聞いています。それが魔法理論を理解する上で強みになっています」

「魔法理論ですか?」


 茜ちゃんの目が輝くと同時に、わたしの方をちらりと見た。わたしは力強く頷き返す。赤川教授の所でも感じたが、やっぱり彼女の科学的思考と魔法理論は相性が良いのかもしれない。そんなわたし達の様子には気付かず緑川先生は続ける。


「そう、魔法には理論的な側面があるのです。特に現代魔法は科学に近い体系を持っています」


 緑川先生は黒板に複雑な魔法陣を描いた。円や三角形が組み合わさった幾何学的な図形で、魔法陣や結印の元になる魔力の流れを計算するための基礎図形だ。


「これは現代魔法の基本陣形の一つです。エネルギーの保存則や、魔力の変換効率について考慮して設計されています。実際に使う際は魔力を通す特殊なインクを使って書きます。特定の機能を持たせた定番の陣形は、誰でも使えるように魔法陣として公開されています」

「その特殊なインクはどうやって作るんですか?」


 感覚派の優斗くんが質問した。


「よほど効果の高いものや専門的なものでなければ普通に魔法界で買えますよ。以前、あなた達に配達してもらったでしょ?」


 そう言いながら緑川先生は何気なくノートの上に置いてあったマジックを優斗くんに見せた。マジックには「・黒」と書かれていた。大阪とかに売ってそうなパチモンみたいだ。


「……形は普通の文房具屋で買えるマジックと同じですね。それにしても、あの時の配達の荷物の中にも入ってたんですね。知らなかった……」


「もし一般の人に見つかっても、ジョークグッズだと言い訳できるようにしてあるのです」


 緑川先生がさらに真面目な顔で説明を続ける間、茜ちゃんはノートに熱心にメモを取っていた。彼女の顔には集中した表情が浮かんでいる。科学と魔法の交差点に強い興味を感じているようだ。


「茜ちゃん、すごく集中してますね」


 葉月ちゃんが小声で話しかけてきた。


「うん、彼女は分析力が高いから、魔法理論との相性はバッチリだと思うよ」

「反対に優斗くんは実践派ですか?」

「うーん。彼は感覚派というか、直感的に魔法を理解して行使できる才能があるみたい」


 魔法動物園での事件や、赤川教授の説明を思い出しながら、わたしは二人の高校生を見つつ、自分の魔法学校時代を思い出していた。


――そういえば、わたしも最初は全てが新鮮で、毎日わくわくしてたっけ。


 講義が進むにつれ、次は実践的な練習に移った。緑川先生は生徒たちに小さな光の玉を作る基本魔法を教えていた。これはほとんどの魔法使いが最初に学ぶ簡単な魔法だ。


「向かい合わせた手のひらの中央に意識を集中させ、そこに小さな光が灯る様子をイメージしてください」


 そう言いつつ、緑川先生が実演して見せた。彼女は受講生に指示したように手のひらを向かい合わせ、その間の何もない虚空をじっと見つめた。すると彼女の手の間に淡い黄色の光の玉が現れる。受講生たちから感嘆の声が上がった。


「わあ、すごい!きれいだ……」


 目を輝かせる優斗くんの口から思わず言葉がこぼれた。彼の目には純粋な感動が浮かんでいる。


「緑川先生の受講生を飽きさせずに集中力を引き出す教え方は素晴らしいですね」


 優斗くんの反応を見て、葉月ちゃんは感心したように小さく声を出す。


「さあ、みなさんもやってみてください」


 受講生たちは真剣な表情で集中し始めた。しかし、ほとんどの受講生は何も起こらず、次第に少し落胆した表情を見せ始めた。そんな中、優斗くんの手のひらには僅かに青い光が現れ始めた。


「すごい、光った!」


 彼は自分でも驚いたように声を上げた。光は弱々しくすぐに消えてしまったが、確かに現れたのだ。


「素晴らしいです!高梨くん」


 緑川先生が嬉しそうに言った。


「初回の講義で光を生み出せる人は稀ですよ」


 優斗くんは照れくさそうに笑った。その横で茜ちゃんも必死に集中していたが、彼女の手に光は現れなかった。しかし、彼女は諦めず、何度も挑戦していた。


「水沢さんは焦らなくても大丈夫ですよ。最初のうちは直感的な感覚派の方が修得が早い傾向にありますけど、だんだん難しくなると理論派の方が修得が早くなりますから。最初のコツをつかむまでの辛抱ですよ」


 緑川先生が優しく声をかけた。


「きっと、あなたの才能は別の形で現れるでしょう」


 茜ちゃんはため息をついたが、緑川先生のアドバイスですぐに気を取り直した様子だった。彼女の強さがそこに見える。

 講義が終わると、受講生たちは興奮した様子で教室を後にした。葉月ちゃんも得るものがあったようで、満足した様子で帰って行った。葉月ちゃんと手を振り合って別れたわたしは入り口で優斗くんと茜ちゃんを待っていた。


「どうだった?面白かった?」

「すごかったです!」


 わたしが笑顔で二人に感想を尋ねると、すかさず優斗くんが目を輝かせて答えた。


「本当に結晶が光ったんです!それに光の玉も作れたし!」

「私も少しだけど結晶が光りました」


 茜ちゃんも静かに誇らしげに言った。彼女の目にも小さな喜びが光っていた。


――うん、ちゃんと見てたよ。楽しんでくれたみたいで良かった。


「素晴らしい体験だったね!」


 わたしは心から嬉しく思った。彼らの中に眠る才能が少しずつ芽生え始めているのを感じたからだ。


「あ、千秋さん、ここ合ってますかね?」


 茜ちゃんがノートを開いて見せてくれた。そこには緑川先生の説明した魔法陣が丁寧に書き写されていた。さらに茜ちゃん自身の考察や疑問も書き加えられている。


「これは……、うん合ってるけど……。すごいね、茜ちゃん……」


 わたしはこの理解力と分析力に思わず感嘆のため息を漏らす。彼女には魔法理論研究者としての素質がある。


「先日の赤川教授の所でも思いましたけど、現代魔法って思ってたよりずっと論理的なんですね。古代魔法は難しいけど」


 茜ちゃんはそのまま現代魔法に関する感想を続ける。


「魔法エネルギーの変換効率や、魔力の流れを計算式で表せるなんて。まるで物理法則みたいです」

「そうなんだよ。特に現代魔法は理論的な側面が強いんだよ。古代魔法が直感や感情を重視するのに対して、現代魔法は論理や計算の比重が高いの」


 わたしはちょっと知ったかぶりをして得意そうに答える。それ以上は聞かないでと願いながら……。


「千秋さん、詳しいんですね」


 優斗くんは素直に感心した様子で言った。


「ま、一応魔法学校で勉強したからね」


 わたしは少し照れた。実際には理論の授業はよく居眠りしていたのだが、魔法の歴史と体系だけは好きで、その部分だけは成績が良かったのだ。

 わたし達三人は学校を出て、マジカルエクスプレス便の事務所へと向かう。いつものバンは拓人さんが使っているから、今日は公共交通機関を乗り継いで帰らなくてはいけない。学校の門を出ると、春の陽気が三人を包み込む。桜の花びらが舞い、甘い香りが漂っていた。


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