エリアス先生に昼食を御馳走になり、少し寛いでお茶を楽しんだ後、エリアス先生は二人にも分かるようにこれまでの出来事の整理をしつつ状況を説明していた。百年目の満月のこと、影魔法使いたちの動き、そして境界の危機について。知らなかったことも多かったようで、優斗くんと茜ちゃんは真剣な表情で聞き入っていた。
「すごい……まるでファンタジー小説みたいですね」
優斗くんは目を輝かせながらも、状況の深刻さを理解しようとしていた。
「残念ながら、これは現実の問題だ」
エリアス先生は深刻な表情で言った。
「これは別に秘密にしていることじゃないから話しても構わないと思うが、君たちの店長は前々回の百年目の満月の時の魔法事故で人間の体の半分以上を失っている」
みんなが息を呑むのが分かった。あののんきそうな黒猫の店長が?
「だから人一倍百年目の満月の危険性に敏感だ。残った体では小動物の体に再構成するのがやっとで、多くの魔力も失った。だが、彼の犠牲のおかげで大事故に発展することは避けられた。今は使い魔として宿主の魔力を借りることで今の形を保っておる。最初の頃はいろんな動物の形をとっていたが、今は黒猫がお気に入りのようだね。いろいろと都合がいいと言っていたよ」
「店長は一体いつから生きてるんですか?」
あまりにも壮大な話を暴露されて、うまく回らない頭でわたしは何とかエリアス先生に質問した。
「うーん、その辺の記憶はもうあいまいだけど、わたしより彼の方が先に生まれているのは確かだね。魔法使いとしての経歴は同じくらいかな」
返ってきた言葉にわたしは再び衝撃を受ける。
――店長って偉そうで何でも知ってるとは思ってたけど、本来はエリアス先生に匹敵するほどの魔法使いだったんだ。この前は無造作に尻尾を踏んじゃってごめんなさい……。でも今更対応は変えられないよ……。
みんなが衝撃に言葉を失っているうちに、エリアス先生は続ける。
「次の百年目の満月まであと約三週間。その日までに私たちは準備をしなければならない」
「どんな準備が必要なんですか?」
優斗くんが真っ先に立ち直って真剣な表情で尋ねた。
「まず、君たちにはもっと古代魔法の知識が必要だ」
エリアス先生は書棚から何冊かの本を取り出した。
「これらの本には、境界を保護するための儀式について書かれている。千秋君と茜さんには、これを研究してもらいたい」
わたしと茜ちゃんは頷いた。茜ちゃんの目は知的好奇心で輝いていた。
「優斗君と拓人君には、特別な訓練をしてもらう」
「訓練?」
優斗くんが前のめりになった。
「守護魔法の訓練だ」
エリアス先生は優斗くんをじっと見つめた。
「君には特別な才能があるようだね。特に、守護の魔法に対する素質だ」
「僕に?」
優斗くんは驚いた様子だった。
「河童ドラゴンが君になついたのも、IDカードが特別に反応したのも、その才能ゆえだろう」
「でも、僕は……」
「才能は眠っているだけだ。それを引き出す必要がある」
次に、エリアス先生は拓人さんの方を向いた。
「拓人君にも協力してもらいたい。君は魔法使いではないが、強い意志を持っている。それは守護魔法の重要な要素だ」
拓人さんは少し驚いたようだったが、すぐに真剣な表情になった。
「魔法使いではない私は何をすればいいでしょうか?」
「千秋君や優斗くんと共に、境界ポイントの守護魔法の強化を手伝ってもらいたい。強い意志は守護魔法の威力に影響を及ぼすと言われているからな」
「次に優斗くんだ。君は基本の練習だ」
エリアス先生は小さな青い石を取り出し、優斗くんに渡した。
「この石を使って、魔力の流れを感じる練習をしてもらおう。毎日少しずつでいい」
「分かりました!」
優斗くんは決意に満ちた表情で石を受け取った。
「この石、緑川先生が使っていたのと似てますね」
「ああ、同じタイプの『始まりの石』だよ。魔法使いの卵が最初に使うものだ」
エリアス先生は微笑んだ。
「なぜエリアス先生は森の中に住んでるんですか?」
優斗くんがふと疑問に思ったように尋ねた。
「良い質問だね」
エリアス先生は優斗くんの突然の話題変換にも動じず答えてくれる。彼は窓の外の景色を見渡した。
「自然の中には魔力が豊富に流れているんだ。特にこの森は魔法界と人間界の境界に近く、両方の世界の力が混ざり合っている。魔法研究には理想的な環境なんだよ」
「じゃあ、千秋さんが通っていた魔法学校はどこにあるんですか?」
今度は茜ちゃんからの質問が飛んできた。それにわたしが答える。
「実は翠風学園なの。この前緑川先生の所に配達に行ったよね?一般の人には見えない結界の向こう側にある魔法学校の校舎まで」
「え?あの学校に?母校だったんですか?っていう事は、実は先輩ですか?」
優斗くんが驚いた。茜ちゃんも驚いていたらしい。
「毎日通ってたのに、この前の配達まで気づかなかったです」
「それが魔法の結界の力よ」
わたしは誇らしげに言った。
「魔法の素養がないと、そこにあることすら認識できないの」
「でも僕たち、知ってしまいましたよね?千秋さんが一緒じゃなくても今は見えるんでしょうか?」
「素質が目覚め始めているから、少しずつ見えるようになるかもしれないね」
わたし達が話しているうちにエリアス先生は古い地図を探し出してきてテーブルの上に広げた。そこには市内の五か所に印がつけられていた。
「これら五か所は境界ポイントと呼ばれる場所だ。魔法界と人間界の境界が交わる重要な場所でね。満月の日が近づくにつれ、これらの場所で異変が起きる可能性がある」
「どんな異変ですか?」
茜ちゃんが鋭く質問した。
「時間のずれ、物体の突然の消失や出現、魔法生物の紛れ込みなどだね」
エリアス先生は質問を予想していたかのように真剣な表情で答えた。
「突然の消失……」
エリアス先生の言葉に拓人さんが思わず反応する。妹さんのこととの関連を考えているのだろう。そんな拓人さんの様子を知ってか知らずか、エリアス先生は続ける。
「これらの場所を定期的に確認し、問題があれば対処する必要がある」
「わたしたちにそんな大それたことができるんでしょうか……」
茜ちゃんの声には珍しく不安が混じっていた。
「一人一人ではなく、みんなで力を合わせるんだ。そうすれば十分可能だよ」
エリアス先生は優しく言った。
「それに、千秋君のようなベテランの魔法使いもいるだろう?」
「ベテラン……」
――うーん、わたしって褒められ慣れてないから、こういう時ってめっちゃ照れ臭いなぁ。
わたしは少しはにかみつつも、照れ隠しを込めて胸を張った。
「まあ、わたしに任せて!」
「頼りねぇなぁ……」
拓人さんが小声で言ったが、聞こえないふりをした。
「では、今日はここまでにしようか」
エリアス先生が立ち上がった。
「次回の集合は一週間後。その時までに、それぞれの課題に取り組んでおいてほしい。みんな都合は大丈夫かな?」
わたしたちは頷き、エリアス先生の家を後にした。森を抜けながら、みんな深い思考に沈んでいた。影魔法使いたちの計画、百年目の満月、そして私たちがすべきこと。すべてが大きな物語の一部のように感じられた。
「エリアス先生ってとても威厳を感じましたけど、やっぱりすごい人なんですか?」
優斗くんが小声で尋ねてきた。それに私も小声で応じる。普通に話しても問題無い話題なのだが、小声で聞かれると何となく小声で返さないといけない気分になってしまうのだ。
「うん、とっても。エリアス先生は数百年生きてるって噂もあるくらいなんだ。次元魔法と古代魔法の権威で、魔法評議会でも尊敬されてる方なの」
「数百年……?人間じゃないんですか?」
小声でも隣にいる茜ちゃんには聞こえていたようだ。今度は茜ちゃんが驚いた声で聞いてきた。今度は私も普通の声で答える。
「れっきとした人間だよ。でも魔法使いは普通の人間より長生きする傾向にあるの。特に高位の魔法使いは。でもそれでも何百年も生きるのは珍しい方だと思うなぁ。まあ、実際のところは分からないけど」
「魔法使いになれば、長生きできるんですか?」
優斗くんの目がまたまた輝いた。
「それだけが目的なら、やめた方がいいぞ」
拓人さんが厳しい声で割り込んできた。
「魔法には代償もある」
「そうだよ」
わたしも頷いて拓人さんの後を引き継いで続ける。
「魔法の力を大きく使えば使うほど、体への負担も大きくなるの。だから単に長生きするためだけに魔法を学ぶのは本末転倒と言うか、意味がないことなんだよ」
優斗くんは少し考え込んだ様子だったが、すぐに顔を上げた。
「僕は人を守るために魔法を学びたいんです。河童ドラゴンを守れたときの気持ち、忘れられないから」
わたしは微笑んだ。彼の暖かで純粋な気持ちが心地良い。
「そうだね。みんなで頑張ろうね」
わたしが笑顔で声をかけると、全員が頷いた。それぞれの表情には決意が宿っていた。
わたしたちの前に待ち受ける試練は簡単なものではないだろう。でも、一人ではなく、みんなで力を合わせれば乗り越えられるはず。そう信じて、わたしたちは前に進んでいく。
「そういえば、明日も配達の仕事があるんだよね~」
わたしはふと思い出して言った。
「『影から降り注ぐ雨を止める傘』という品物を届けることになっているの」
「それって何ですか?どういう物なんですか?」
優斗くんが好奇心いっぱいに食いついてきた。
「文字通り、影からの雨だけを防ぐ特殊な傘よ。魔法界では便利なアイテムとして人気なの」
「僕たちもその配達に同行していいですか?」
優斗くんだけではなく、茜ちゃんまでもが目を輝かせてわたしの方を期待に満ちた表情で見ている。
――うーん、気分を切り替えるつもりだけだったけど、そんな目で見られたらダメって言えないよね。
「もちろん。じゃあ、明日は普通に学校ある日だと思うから、また明日の放課後に集合ね」
わたしたちはエリアス先生の所でずいぶんと話し込んでいたらしい。あの家の中にいると時間感覚がよく狂うのだ。わたしは事務所に戻る道すがら、まだ夕暮れの残る空を見上げた。世界はいつも通りに見えるけれど、その裏では魔法と現実が交差する大きな物語が紡がれようとしている。そしてわたしたちは、その物語の登場人物なのだ。