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第24話 境界のポイント①

 次の日の朝、すぐにわたしたちは最初の境界ポイントである古い神社へと向かった。朝の晴れた春の日差しが気持ちよく、木々の緑が鮮やかだ。

 個別に担当のポイントに向かっても良かったのだが、車の無い高校生には大変だし、少人数でいるところを影魔法使いに襲われるリスクがあると思ったからだ。結局、すべてのポイントを全員で回ることになった。


「どうやって境界の状態を確認するんですか?」


 優斗くんがバンの後部座席から身を乗り出して尋ねた。彼の目はいつも好奇心で輝いている。今日は祝日で連休のため、彼も茜ちゃんも学校がない。


「特殊な魔法装置があるの」


 わたしはバッグからいつもの境界の状態確認用に魔法協議会から貸与されている小さな水晶球を取り出した。テニスボールほどの大きさで、ガラスのように透明だが、中心には虹色の光が淡く渦巻いている。


「これは境界感知器。魔法協議会からの借りものだけど、境界の魔力の流れを視覚化してくれるの」

「わあ、きれいですね。中で光が踊ってる……」


 優斗くんが食い入るように水晶球を見つめる様子を見てわたしは微笑んだ。魔法の道具の美しさに魅了される様子が、初めて魔法界に触れた自分自身を思い出させる。


「これ、魔法の教科書で読んだような……水晶玉占いに使うやつですか?」

「違う違う。占いに使うのは予知結晶。これは境界感知用の特殊結晶で、魔力の流れが見えるように、魔力の流れから漏れる魔力を可視光に変換してくれるの」


 わたしは少し笑って答える。


「科学的にはどういう変換原理なんでしょう?」


 茜ちゃんが興味深そうに尋ねてきた。


「うーん……量子なんとかとか?」

「量子エンタングルメント?いわゆる量子もつれの事ですか?」

「そう、それ!詳しいことは茜ちゃんの方が得意だと思うけど……。魔力粒子にも量子もつれの状態が存在して、その片方のスピン状態を結晶内の魔力粒子に転送して観察する……だったかなぁ。その辺は理解できなくてテストの時も教科書丸覚えだったから、詳しいことは分かんない。ごめんね。」


――どうして高校じゃ習わないような小難しいことを茜ちゃんは知ってるの?私の立場無いじゃない。


 わたしは言い訳するように笑った。


「もう、千秋さんったら。前も同じこと聞いたの忘れてるでしょ」


 茜ちゃんは少し呆れたような表情だったが、優しい微笑みも浮かべていた。


――そんな生活に必要ないことはドンドン忘れていくもんなんだよ!普通の人は。


「まあ、千秋のことだ。覚えていたら驚きだな」


 拓人さんが横から茶々を入れる。


「ひどい!わたしだって重要なことは覚えてるもん!」

「ああ?例えば?」

「えっと……」


 わたしは必死に考えた。


「あ、拓人さんの誕生日!4月3日でしょ?」

「違う!それは優斗くんの誕生日だ!」

「えっ?」


 わたしはつい混乱した。そうだったっけ?


「それに、人の誕生日は魔法装置の動作原理よりも魔法使いにとって重要なのか?」

「うっ……、ごめんなさい」


 拓人さんから鋭い突っ込みを受けてわたしはしょんぼりした。後ろで優斗くんと茜ちゃんも「仕方ないなぁ」という感じでクスクス笑っている。


――あぁ、正規の資格を持つ魔法使いのプライドが……。


「気にするな。いつものポンコツが出ただけだ。それより境界の話だ」


――またポンコツって言われた……。これでも頑張ってるのに、もう!


 わたしのしょげてる様子に呆れつつも、拓人さんが話題を戻した。彼はいつも現実的で、目の前のことに集中する。


「あの、境界ポイントって厳密にはどういうものなんですか?例えば、魔法界と人間界が重なってる場所とか?」


 茜ちゃんが冷静に質問してきた。わたしは自分を叱咤し、気を取り直して説明を始めた。


「そうだなぁ。どういえばいいんだろう?魔法界と人間界は別の次元だけど、完全に分離しているわけじゃないの。所々で両方の世界が薄く重なり合った場所があって、それが境界ポイントと呼ばれるわ」

「ディメンション・インターセクションみたいなもの?」


 茜ちゃんが科学的な用語で言い直して確認してきた。


「そんな感じ!両次元の交点って感じの場所と言った方が分かりやすいのかな。そういう場所は魔法界から流れ込んでくる魔力が濃いから、人間界にとっては特殊な魔法現象が起きやすいの。だから昔から神の怒りとか超常現象が起きる場所って認識されてて、いろいろと祭られてることが多いよ」

「だから神社とか、いわく付きの古い井戸とかが境界ポイントになりやすいんですか?」


 優斗くんが考え込みながら尋ねた。


「正解!」


 わたしは理解してもらえて嬉しくなり、弾んだ声で答えた。


「古くから人々が『神聖な場所』だとか『不思議な場所』だと感じてきた場所の多くは、実は境界ポイントだったりするの。だから昔から神社や寺が建てられたりした歴史が多いよ。今は地震とかで無くなっちゃってても、昔はあったとかもね」

「日本の妖怪伝説も、そういう境界ポイントが関係してるんですか?」

「そうね。魔法生物が人間界に紛れ込んで、目撃された記録が伝説になったケースも多いって聞いてるよ。河童ドラゴンだって、逆に河童の伝説の一因になったかもしれないし」




 バンは郊外に向かって進み、やがて古い参道の入り口で停車した。鳥居をくぐると、樹齢何百年という大きな木々が立ち並ぶ静かな神社だ。石段を上り、本殿に近づくと、空気が少し変わった気がした。


「ここね」


 わたしたちは神社に到着し、境界感知器を使って調査を始めた。参道を進みながら、わたしは水晶球を掲げて魔力の流れを確認していく。


「なんだか少し不安定に感じる……」


 水晶球の中に、揺らめく赤い線が見えた。通常は青い穏やかな流れのはずなのに。


「それは悪い兆候ですか?」


 茜ちゃんが眉をひそめて尋ねた。


「おそらく。境界が弱まっているせいじゃないかな。百年目の満月に近づくにつれて、この状態は悪化するんじゃないかと思う」

「どうすればいいんですか?」


 優斗くんが心配そうに尋ねた。


「境界強化の魔法陣を書いて安定化させる必要があると思う」


 わたしはバッグから特殊なチョークを取り出した。これは普通のチョークではなく、魔力を含む特殊な植物の樹液を薄く練り込んで作られた魔力を通す魔法チョークだ。柔らかな青い輝きを放っている。


「わあ、うっすらと光ってる!」


 優斗くんが目を丸くした。


「このチョークは特殊なの。魔力を含む貴重な魔法石から削り出した粉末と、魔法植物の樹液で作られていて、魔力を通すための導線になるの。まあ、魔法石と言っても、古代の魔法植物の化石らしいから、人間界には無いけどね」

「魔法植物由来の素材には魔法粒子や魔法繊維が含まれていて、魔法の回路みたいなものを形成できるからという事で合ってますか?」


 茜ちゃんは自分の理解が及ぶ範囲の知識に落とし込もうとしているようだった。


「概ねその通り。魔法陣は魔力の流れを制御するための回路図みたいなものだからね。このチョークで描いた線が魔力の通り道になるってわけ」


 わたしは正規の魔法使いらしく知識を披露する。


「でも、これは一時的な措置にしかならないの。満月の夜には、もっと強力な儀式が必要になるはずだよ」


 わたしは神社の奥、御神木の前に魔法陣を描き始めた。古代魔法の記号と現代魔法の理論を組み合わせた複雑な図形だ。集中して描いていると、突然背筋に冷たいものが走った。

 魔力を感じる。敵の存在を。振り返ると、影のような形が木々の間に見えた。


「影魔法使い……!」


 わたしは声を潜めて言った。拓人さんはすぐに優斗くんと茜ちゃんを背後に隠す。


「魔法陣を急いで完成させろ!」


 彼が小声で急かす。その冷静さにわたしはちょっと安心感を覚えた。

 わたしは急いで魔法陣を完成させようと線を引く手の動きを速める。手が少し震えて、線がずれそうになる。


――落ち着いて。魔法陣は正確さが命だよ。


 深呼吸して、最後の線を引き終えた。すると魔法陣が青く光り始め、地面から淡い光の柱が立ち上った。神社全体が浄化されるような清々しい波動が広がる。


「間に合った?拓人さん!」


 その瞬間、木々の間の影が動いた。一瞬で消え去り、その存在感も消えた。


「逃げたみたいですね」


 茜ちゃんがほっとしたように言った。


「いや、一旦退いただけかもしれん」


 拓人さんは警戒を解かなかった。


「先を急ごう。他の境界ポイントも急いで確認する必要がある」




 次は古井戸へと向かった。住宅街の中に残された小さな広場にある井戸で、周囲に結界があるため、一般の人々はほとんど気づかない。わたしは昔はお寺の敷地の一部だったという話を聞いたことがある。

 バンを降りると、わたしは場所がほぼ確定していることと、境界検知器の起動時間を惜しんで、結界を確認するための簡単な探知魔法を使った。境界検知器と似た効果があるが、対象にかなり近づかないと反応してくれない。わたしは指先で空中に小さな円を描き、「レベロ・マジカ」と小声で唱える。


「見つけた!」


 わたしの指先から放たれた小さな光球が、目の前の井戸の周りに薄い膜のような光の層を浮かび上がらせた。それが結界の姿だ。


「すごい……」


 優斗くんはその光景に見入っていた。


「これが結界……」


 茜ちゃんも興味深そうに観察している。


「通常、井戸に偶然気づいちゃった一般の人でもこの井戸は見えるけど、特別なものには見えないの。『ただの古い井戸』としか認識できなくて、すぐに興味を失ってしまうの」


 わたしは高校生たちに説明した。返ってきた茜ちゃんからの質問には、科学と魔法を結びつけようとする彼女らしさが表れていた。


「それって知覚フィルターみたいなものですか?」

「うん、良い例えだと思うよ。魔法学校とかにあった人払いの結界と似てるかな。人間の知覚に影響する魔法で、『見る価値のないもの』と無意識に判断させるの」

「記憶操作ではないんですね?」

「そう。記憶を変えるのではなく、マジシャンがやるみたいに知覚や注意力をコントロールするの。その方がより効率的で倫理的な問題も少ないでしょ?」


 井戸に近づくと、拓人さんが静かに言った。


「ここにも来てるな」


 同時にわたしも感じた。影魔法の痕跡が、井戸の周りに薄く残っている。彼らはすでにここを訪れ、何かをしたようだ。


「井戸の水を見て。通常とは違う不自然な動きをしてる」


 茜ちゃんが井戸の縁から覗き込んだ。

 横からわたしも覗き込むと確かに、井戸の中の水が通常とは違う方向に、渦を巻いているのが見えた。これは自然現象ではない。


「結界が弱められているんだよ。きっと」


 わたしは眉をひそめた。


「彼らは系統的に境界ポイントを弱体化させてるんだ」


 ここでも同様に魔法陣を描き、境界を安定させた。井戸の中の水が徐々に通常の状態に戻っていくのが見えた。


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