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第25話 境界のポイント②

 お昼休憩を挟んで向かった三番目の廃校も同様の状態だった。かつては小学校だった建物は今では使われておらず、人っ気のない校庭には雑草が生い茂っていた。校舎の体育館の床には、すでに何者かによって黒い魔法陣が描かれていた。


「これは影魔法の陣形だろ?以前、エリアス先生の本で見たことがある」


 拓人さんが言った。


「まず間違いなく影魔法使いたちの仕業だね」


 わたしは真剣な表情になった。


「これを放置すると、満月の夜にここの境界が崩壊して大きな問題になっちゃう」


 わたしはバッグから特殊な銀色の粉を取り出した。

 時間が無いので詳細は省略して「浄化粉」とだけわたしは説明した。魔法動物園で健太郎さんが影魔法使いを撃退するときに使った浄化の粉の強力版だと。それを黒い魔法陣の上に振りかけたとたん、粉は魔法陣に接触したところから白く光り、黒い線を少しずつ消していった。


「すごい……魔法を消す魔法もあるんですね」


 優斗くんが感心した様子で見つめていた。


「光と闇のバランスは大切なの」


 わたしは作業しながら説明した。


「この粉は純粋な光の魔力から作られていて、闇の魔力を中和する効果があるから、こういう場合はうってつけだね」


 黒い魔法陣が完全に消えた後、わたしたちは新たに安定化の魔法陣を描いた。廃校の校庭には静けさが戻った。




 四番目の展望台へと向かう道中、茜ちゃんが分析を始めた。


「私たちが影魔法使いの魔法陣を消したように、わたし達の安定化の魔法陣を彼らに消される恐れはないんですか?」

「それは大丈夫。影魔法使いたちは光の魔法に属する魔法陣や素材を使われると、自らの消滅の危機があるから近づかなくなるって店長が言ってた。長い時間が経って、光の魔力が薄くなってくるまで彼らの闇の魔法では上書きできないんだって」


 わたしは安心させるための店長から聞いている情報を教えてあげる。だが、不安はまだぬぐい切れないようだ。


「影魔法使いたちは、境界を弱めるような魔法陣を描いてるんですよね。満月の力を利用するつもりなのかも」

「おそらく正解だと思うよ、茜ちゃん」


 わたしは助手席から答えた。


「彼らは百年目の満月の力を増幅させ、境界を完全に崩そうとしてる。エリアス先生も言ってたでしょう?魔法界と人間界の境界を崩すことで人間界を大混乱に陥れて、その混乱に乗じて自分たちが実権を握ろうとしてるんじゃないかって」

「でも、それってすごく危険じゃないですか?影魔法使いたちの想定内の混乱で収まればまだいい方ですけど、彼らでも制御できない魔法が人間界に溢れ出したら……」


 茜ちゃんが心配そうに言った。


「確かに。そうなれば、大災害になる可能性もあるよね。だからこそ、わたしたちはそれを阻止しなきゃいけないの」


 わたしは真剣な表情で答えた。

 展望台に到着すると、ここでも同様の作業を行った。市内を見下ろす高台にあるこの展望台は、星や月の光を直接受けるため、特に魔力が強い場所だった。ここでは幸い、影魔法使いたちの痕跡は見つからなかった。


「ここはまだ安全みたいね」


 わたしは少しほっとして言ったあと、予防的に魔法陣を描き、境界を強化した。魔法陣が完成すると、展望台全体が淡い青い光に包まれ、すぐに元に戻った。


「残るはあと一つだけ」




 最後の図書館に着いたのは夕方だった。図書館の地下室は普段は立ち入り禁止だが、特別に許可を得て入ることができた。エリアス先生が先に手を回しておいてくれたらしい。


「おや、誰か来たようだね」


 地下室には既に人がいた。老紳士が古い本を広げて座っていた。彼が顔を上げると判明した人物は、当のエリアス先生だった。


「エリアス先生!どうしてここに?」

「君たちと同じ理由さ。私も境界を調査していたんだよ。ここは五つのポイントの中で最も重要な場所だからね」


 彼は微笑んだ。


「どういう意味ですか?」


 優斗くんが尋ねた。


「この図書館の真下には、古代の魔法書庫があったんだ。そこで境界の研究が行われていた。だから、魔力が特に強い」

「魔法書庫?」


 優斗くんの目が輝いた。


「今でもあるんですか?」

「残念ながら、大半は失われてしまった」


 エリアス先生は少し悲しそうに答えた。


「約300年前の『大浄化』の時代に、多くの魔法書が焼かれたんだ」

「大浄化……」


 わたしも学校で習った歴史だ。


「魔法排斥運動の時代ですよね」

「そうだ。その時、多くの魔法使いが迫害され、捕らえられ、貴重な知識が失われた。だが今になって思えば、それも影魔法使いたちの扇動があったんじゃないかと思えてくる」


 エリアス先生は遠い目をした。


「当時は今ほど科学が発達しておらず、疫病が流行っても祈禱で治そうとするものが多くいた。人間は自分の理解できないものには本能的恐怖心を抱くものだ。影魔法使いたちはその感情を利用して扇動し、一般の魔法使いたちを捕らえさせて、今よりも多かった境界ポイントの守護に回れる魔法使いを減らそうとしたのかもしれん。実力のある魔法使いがたくさん捕らえられたからね。もちろん私の友人たちも……」


 顔をしかめつつエリアス先生が語る。つらい思い出なのだろう。


「私自身もその時代を生きてきた。辛い記憶だよ」

「エリアス先生は、一体おいくつなんですか?」


 茜ちゃんが控えめに尋ねたが、エリアス先生はにこりと笑って返す。


「それは秘密だよ。というか、自分自身何歳なのか、もうはっきりとは認識していないなぁ。君たちの所の店長と同じさ。ただ、かなりの年月を生きてきたことは確かだ」


 年齢の話は終わりとばかりに彼は床に描かれた古い魔法陣を指さした。


「さて、これは何百年も前から存在している。それだけここが重要な場所だったということさ。だが、これを書いた魔法使いが込めた魔力が枯渇しかかっている」


 わたしたちもエリアス先生に協力して、新たな魔法陣を重ねるように描いた。完成すると、地下室全体が柔らかな光に包まれた。それにエリアス先生が別の守護魔法陣を重ねて描く。こうしておくと相乗効果で守護効果を増強させる力が生じる魔法陣らしい。これだけ厳重に守るのだから、この境界ポイントはよほど重要なのだろう。


「これで五か所すべて完了だね」


 わたしは安堵の息をついた。魔力をかなり使ったので、少し疲れを感じる。


「みんな良い仕事をしたね。協力ありがとう」


 エリアス先生が頷いた。


「ところで、優斗君の守護魔法の訓練はどうだい?」

「少しずつですが、進歩してます」


 優斗くんが真面目な顔で答えた。彼の表情には真剣さと少しの自信が見えた。


「よし、じゃあ明日から、守護魔法向けの特別訓練を始めよう」


 エリアス先生が言った。


「残された時間は少ない。君の力を最大限に引き出す必要がある」

「よろしくお願いします!」


 優斗くんの目が「特別訓練」の言葉に輝いた。




 わたしたちはエリアス先生と別れ、事務所に戻った。皆疲れていたが、どこか達成感もあった。一日で五つの境界ポイントを安定させたのだから。

 拓人さんはバンを運転しながら、ふと思い出したかのように言った。


「今日は千秋が何も壊さなかったな。一応進歩してるのか?」

「ひどい!わたしだって、ちゃんとできるときはできるもん!」

「そういえば、千秋さんの最大の失敗って何ですか?」


 優斗くんが好奇心いっぱいに尋ねてきた。


「それは……」


――正直、いっぱいありすぎて……、どれだろう?


「それはある市議の家に古代魔法のバナナを配達した時だな。その市議の実家は神社でな、本当は実家の神社の神主さんに配達するはずだった品物を間違えて市議の現住所に配達しちまったんだ」


 拓人さんが答えた。


「何が起きたと思う?」

「バナナ?」


 茜ちゃんが混乱した様子で聞き返した。


――いやー。やめて!


 わたしは即座に耳をふさいでそっぽを向いた。


「そう、バナナ。でもそれは普通のバナナじゃなくて、『言霊バナナ』と呼ばれる魔法アイテムだった」


 拓人さんは楽しそうに続けた。


「食べた人が何を言っても、その言葉通りのことが起きるんだ」

「やめてよ、拓人さん!」


 自分の耳を押さえても意味が無い事に気づいたわたしは顔を赤くしつつ、運転中の拓人さんの口を押さえようとした。「危ないだろうが」と怒られて手を引っ込めるしかなかったのだが。恥ずかしい過去だ。


「それで何が?」


 優斗くんは目を輝かせていた。


「配達後、魔法使いでなかった市議はそれが魔法アイテムだという事を知らずに食べたらしく、遊びに来ていた孫に『わたしはゴリラだ』と冗談を言ってゴリラのドラミングの真似をしたらしいんだ」

「ええっ!」


 二人の高校生が同時に声を上げた。


「もちろん、その通りになった。市議が本当にゴリラに変身して、町中を大騒ぎにした。びっくりした家人が悲鳴を上げ、近所の人が通報したらしく警察が出てきて捕り物騒ぎになり、テレビの中継まで出てくるハメになって大混乱だったよ。結局、自分たちでは対処しきれず、魔法評議会まで出動して、広域な記憶操作も必要になった」

「も~!その話はもうやめてよ!市議のおじさんに神社の実家がある事知らなかったし、本来の受取り主の実家の神主さんと同姓同名だったんだから仕方ないじゃない!」

「そもそも、魔法使いじゃない一般人に魔法アイテムを配達するっていう時点で違和感を感じるべきだろう?」


 拓人さんに突っ込まれてわたしは本当に恥ずかしくなってきた。


「千秋さんらしいですね」


 茜ちゃんがくすくす笑った。珍しく彼女がわたしをからかっている。


「茜ちゃんまで!」


 皆の笑い声がバンの中に響いた。こんな風に笑い合えるのも、日常の平和があればこそ。その平和を守るために、わたしたちは戦うことになる。

 ただ、この安定化は一時的なものにすぎない。百年目の満月の夜には、より強力な儀式が必要になる。そのためには、優斗くんの力と「五つの徳」の秘密を解き明かさなければならない。わたしは自分の失敗談の印象を少しでも薄めようとして、みんなに労いの言葉をかけた。


「今日はよく頑張ったね、みんな。ありがとう。明日からはさらに忙しくなると思うけど、一緒に乗り越えようね」


 全員が頷き、明日への決意を新たにした。窓の外には、少しずつ大きくなっていく月が見えた。時間は刻々と過ぎていく。その重さを感じながらも、わたしたちは前に進むしかなかった。


「あっ!明日と言えば……」


 優斗くんが突然声を上げた。


「忘れてた!明日数学の小テストがあるんだった!」

「え?まだ勉強終わってないの?」


 茜ちゃんが呆れた様子で言った。


「いや……その……魔法の勉強に夢中で……」

「魔法の前に、まずは現実世界の勉強でしょ!」


 茜ちゃんがピシャリと言った。


「今日は徹夜覚悟ね。わたしは寝るけど。寝るまでなら教えてあげないことも無いわよ」

「ありがとう、茜!」


 優斗くんが感謝の声を上げた。


「はいはい、魔法よりも先に数学ね」


 わたしはくすくすと笑った。同時に自分の失敗談から話がそれてホッとする。


「でも確かに、普通の勉強も大事だよ。魔法の理論を理解するには、数学や物理の知識も役立つしね」


 バンは夕闇に包まれた街を進んでいく。窓の外には、徐々に明るさを増していく月。そして見えない脅威が、確実に近づいてきていた。


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