翌日の放課後、数学の小テストの出来はあまり芳しくなかったようで、寝不足気味の顔で優斗くんが事務所へやってきた。茜ちゃんも一緒に来たが、顔色は悪くなかった。いつもの四人メンバーでバンに乗り込み、バンと徒歩でエリアス先生のお宅にお邪魔する。少し休憩してから、エリアス先生の家の近くの小さな空き地に場所を移して優斗くんの特別訓練が始まった。周囲には魔法の結界が張られ、外部からは見えないようにされている。
「まず、自分の中にある魔力の核を感じるんだ。体の中に魔力が集積している場所があるはずだ。それを見つけてそこに意識を集中するんだ」
エリアス先生が穏やかな声で指導した。地面に複雑な魔法陣が描かれ、その中央に優斗くんが立っている。緊張した表情だけど、瞳は決意に満ちていた。
「目を閉じて、心の中心に意識を向けなさい」
優斗くんは目を閉じ、深く呼吸した。わたしたちは結界の外で見守っていた。拓人さんは腕を組み、茜ちゃんはメモを取っている。わたしは心配しながらも、彼の頑張りを感じて胸が熱くなった。
エリアス先生が静かに続けた。
「君の中には、守護の力が眠っている。それは生まれつきの才能だ。だが、それを引き出し、形にするには意志が必要だ」
次第に優斗くんの周りに薄い光が現れ始めた。最初は輪郭がぼやけていたが、徐々にはっきりとした青い光の層になっていく。
「すごい……」
わたしは思わず声をあげた。これほど早く進歩するなんて。彼の才能は予想以上だ。
「そうだ、その調子だ」
エリアス先生が励ました。
「次は、その力を外に向けるよう意識するんだ。守りたいものを思い浮かべて」
優斗くんの表情が一瞬変わった。何を思い浮かべたのだろう?光が強くなり、彼の周りに透明な青いドームが形成され始めた。
「すごい!」
茜ちゃんも感嘆の声を上げた。すごすぎて二人とも誉め言葉の語彙力が低下しているが、本当に「すごい」としか形容しようがないのだ。彼女の科学的な視点からも、この現象は驚異的なのだろう。
ドームは徐々に広がり、やがてエリアス先生も包み込むほどの大きさになった。
「素晴らしい!」
エリアス先生が手を叩きつつ静かに言った。彼の目には本当の驚きが見えた。
「君には本当に特別な才能がある。守護者としての資質だ」
突然、優斗くんが膝をつき、ドームが消えた。大量の魔力を使ったからだろう、顔色が悪い。
「優斗くん!」
わたしたちが駆け寄ると、彼は弱々しく笑った。
「大丈夫……ちょっと疲れただけ」
「無理するな」
拓人さんが心配そうに言った。彼の態度は厳しいようで、本当は優しい。
「少し休憩しようか」
エリアス先生が提案した。そして、一気に訓練が進んだ優斗くんを手放しでほめる。
「これほどの進歩を短時間で見せてくれるとは。君は本当に驚くべき才能の持ち主だ。本人の才能だけではなく、他の徳を持つ者との相乗効果、仲間の存在、魔力の扱いを教える指導者、いくつもの要因が揃ってこその進歩だと思うが、驚異的進歩を見せていることに違いは無い。よく頑張った」
休憩中、優斗くんはぼんやりと空を見上げていた。何か考え込んでいるようだ。
「何を思い浮かべたの?」
わたしが優斗くんに水筒を差し出しながら聞いた。
「守りたいもの……茜とみんなの笑顔かな」
「何照れ臭いこと言ってるのよ!まあ、優斗らしいけどね」
茜ちゃんが彼が少しモジモジしながら答えた優斗くんの肩と言うか背中をバンっと大きな音を立てて叩いた。優斗くんは叩かれたところを手で押さえてプルプルしている。叩いた方の茜ちゃんの耳もちょっと赤くなっていることに私は気付いた。わたしはというと、彼のそんな純粋さに、胸が熱くなった。彼はいつも周りのことを考えている。優しい心の持ち主だ。
「それが優斗くんの力の源かもしれないね」
「でも、まだ弱すぎる」
わたしの言葉に対しても。優斗くんは緊張を緩めることは無いようだ。彼は自分の手を見つめた。
「まだ影魔法使いと戦えるほど強くない。百年目の満月まであと二週間しかないのに」
「焦る気持ちはよく分かる」
エリアス先生が近づいてきた。
「だが、成長には時間がかかるものだ。人間界には『急がば回れ』という言葉も存在する。一歩ずつ確実に成長することが重要だ」
「でも……」
「いいかい、優斗君」
エリアス先生は焦りを隠さない彼の肩に手を置いた。
「君は一人ではない。仲間がいる。五つの徳がすべて揃ったとき、真の力が発揮されるんだ」
「五つの徳……」
優斗くんはつぶやいた。
休憩後、訓練は続いた。今度は具体的な対象を守る練習だ。エリアス先生が小さな植木鉢を置き、優斗くんにそれを魔法攻撃から守るよう指示した。
最初はうまくいかなかったが、何度か試すうちに、植木鉢の周りに薄い青い光の膜ができるようになった。エリアス先生が小さな火の玉を投げると、膜に当たって消えた。
「やった!」
優斗くんは嬉しそうに声を上げた。その笑顔は太陽のように明るい。
訓練は夕方まで続き、優斗くんは目に見えて成長していった。植木鉢だけでなく、より大きな物体も守れるようになり、最後には茜ちゃんが実験台になって、彼女の周りに防御の膜を作ることにも成功した。
「不思議な感覚……」
茜ちゃんは光の膜に包まれながら言った。彼女の科学的好奇心が満たされたようだ。
「温かくて、安心する感じ」
「それが守護魔法の本質だ」
エリアス先生が説明した。
「単に物理的な防御だけでなく、心の防御、すなわち平安も与える」
夕暮れ時、わたしたちは事務所に戻った。優斗くんはぐったりと疲れていたが、達成感に満ちた表情だった。
「優斗くん偉い!本当によく頑張ったね」
わたしは彼に温かい紅茶を差し出した。
「ありがとうございます……でも、まだまだです」
彼は紅茶を受け取りながら言った。
「満月までにもっと強くならないと」
「きっとなれるよ。大丈夫」
わたしと茜ちゃんは一緒に笑顔で彼を励ました。
「優斗くんの成長スピードは驚異的だもの」
わたしが紅茶を入れている間、茜ちゃんが書棚から古い本を取り出していた。彼女は魔法理論の研究を進めており、今日の訓練で見た現象の背景を理解しようとしているようだ。
「守護魔法の起源について、何か見つかった?」
わたしは隣に座って尋ねた。
「はい、少し」
茜ちゃんはページをめくりながら答えた。
「この古代魔法の書物によると、守護魔法は五つの徳のうち『勇気』から生まれたものらしいんです。危険を顧みず、他者を守ろうとする意志が形になったもの」
「なるほど」
わたしは納得した。
「それで優斗くんの素質が『勇気』の徳と関連しているのね」
「そう思います」
茜ちゃんの目は知性の光で輝いていた。
「面白いのは、守護魔法は自己犠牲の精神と強く結びついていること。自己犠牲と言っても、やけっぱちになった自己犠牲じゃなくて、自分自身も守る意思を持たなきゃいけない。要はその優先順位が他者優先になった時、その自分よりも守るべき対象を優先する心が、魔法の強さを決める要因になるみたいです」
「そう言えば、そういう話を聞いたことがあるわ」
わたしは昔の記憶を辿った。
「魔法学校の歴史の授業で……確か『五人の守護者』の伝説……」
「ねえ、千秋さん。千秋さんは実際に魔法を使うときって、どんな感じなんですか?」
優斗くんの声でわたしの思考は途切れた。意識を改めてソファから身を乗り出した優斗くんに私は答える。
「どんな感じとは?」
わたしは首を傾げた。
「うーん、言葉で説明するのは難しいわね。でも……そうね、体の中で電流みたいな何かが流れるような感じかな。それが手とか全身とか、意識したところに集まってから出ていって効果を発揮するっていうイメージ?でも痛くはなくて、むしろ心地いい感じがする」
「僕も、なんとなくそんな感じがします」
優斗くんは自分の手を見つめた。
「守護の魔法を使うとき、体の中から何かが湧き上がってくるような……そんな気がするんです」
「ちょっとおじゃまするよ。優斗くん、その感覚を大切にするんだ」
エリアス先生が静かに事務所に入ってきて言った。彼はいつの間に事務所近くまで来ていたのだろう。あくびをしている店長は気付いていた様子でまったく慌ててないけど。
「それこそが魔力の流れを感じ取る能力だ」
驚いて振り返ると、エリアス先生は窓辺に移動し、店長の横に立っていた。彼の長い銀色の髭は夕日に照らされて輝き、その姿はまるで古い絵画から抜け出してきたかのようだった。
「エリアス先生!どうしてここに?」
わたしは驚いて立ち上がった。
「明日の特別訓練の準備があってね」
エリアス先生は紅茶を受け取りながら答えた。
「それに、少々気になることがあってね」
「気になること?」
拓人さんが眉をひそめた。
「天文台の件じゃろう。わしの所にも報告は一応入っておる」
店長は慌てる様子もなく答えた。
「ああ、その通りだユーリオス。相変わらず耳が早いね」
エリアス先生は重々しく頷いた。
「影魔法使いたちの動きが活発になっている。特に天文台周辺でね」
「天文台?境界ポイントの展望台とはまた別の場所ですか?」
茜ちゃんが本から顔を上げた。
「その通り。市の西側にある、あの古い天文台だ。百年目の満月が近づくにつれ、彼らはそこで儀式の準備を進めているようだ」
エリアス先生の言葉に、部屋の空気が一気に緊張感に包まれた。百年目の満月と影魔法使いの計画。それは私たちが阻止しなければならない脅威だ。
「エリアス先生」
優斗くんが真剣な眼差しで言った。
「もっと強くなるために、何をすべきですか?」
「あわてるな。明日、それを教える予定だ」
エリアス先生は静かに微笑んだ。
「古代の守護魔法にはある秘術がある。『心の鏡』というものだ」
「心の鏡?」
「そう。自分の内面と向き合い、真の勇気を見つけるための試練だ」
優斗くんの目が輝いた。
「やってみます!」
「優斗くん、本当に大丈夫?」
わたしは少し心配になった。
「秘術って、普通は危険を伴うものよ」
「千秋は忘れてるかもしれんが」
拓人さんが皮肉っぽく言った。
「お前も似たような試練を受けたはずだぞ。魔法学校で『心の鏡』の試練があったって言ってただろう」
「え?そうだっけ?」
わたしは頭を抱えて思い出そうとした。
「先生の髭を燃やした後にあったって言ってなかったか?」
「あ!そうそう、あったあった!」
――くっ、どうして拓人さんの方が良く覚えてるんだか。なんだか悔しい!
わたしは思い出して顔を赤くした。
「それで、合格できたのか?」
拓人さんが意地悪く聞いてきた。
「も~!そんなこと聞かなくても!」
――はい、どうせ1回目は落ちましたよ。
わたしは話題を変えようとした。
「それより、エリアス先生、優斗くんの心の鏡の試練って具体的に何をするんですか?私たちと同じですか」
エリアス先生は穏やかに微笑んだ。
「それは明日のお楽しみだ。今は、みんな十分に休むことだ」
「でも、準備とかは……」
「必要なのは心の準備だけだ」
エリアス先生の声は優しいが、どこか厳格さも感じられた。
「優斗君、明日は君の内面と向き合う旅になる。恐れることはない。真の勇気とは何かを見つけるのだ」
優斗くんは静かに頷いた。彼の表情には緊張と期待が入り混じっていた。
エリアス先生が帰った後、わたしたちはしばらく黙っていた。明日の試練への不安と期待が、言葉を失わせていたのだろう。
「優斗、緊張してる?」
茜ちゃんが優斗の頬を柔らかく突きながら静かに尋ねた。彼女の声には珍しく優しさが滲んでいた。
「うん、少し。でも、やるべきことはやるよ」
優斗くんは正直に答えた。
「明日の特訓後、一緒にプリン食べに行こう」
茜ちゃんが突然提案した。
「駅前の新しいカフェ、気になってたんでしょう?」
「え?うん、行きたい!茜も行くの?」
優斗くんは少し驚いたようだった。
「もちろん」
茜ちゃんは少し赤くなりながらも冷静に言った。
「きっと疲れるだろうから、甘いものでエネルギー補給するのは理に適ってるでしょ」
「そうだね。楽しみにしてるよ。これでもうひと頑張り出来そう。ありがとう、茜」
優斗くんは嬉しそうに微笑んだ。
この何気ない会話を聞きながら、わたしはクスリと笑った。幼馴染の二人は、お互いのことをよく知っている。そして、優斗くんのことを心配する茜ちゃんの気持ちも伝わってくる。彼女なりの励まし方なのだろう。
「いい友達だな」
拓人さんが小声でわたしに言った。
「あいつら、何年くらいの付き合いなんだ?」
「確か小学3年生の時に隣の席になって以来らしいから、7~8年くらいかな」
わたしは答えた。
「茜ちゃんが言ってたよ」
「長いな」
拓人さんが遠い目をした。
「友達っていいもんだな」
その言葉に少し寂しさを感じ、わたしは拓人さんの腕をそっと叩いた。
「わたしたちも友達でしょ?」
「は?俺とお前は同僚だろ」
拓人さんは驚いた表情を見せた。
「もう!そんなこと言わないの!」
わたしは頬を膨らませた。
「仲間じゃないの?」
拓人さんは少し困ったように頭をかいた。
「まあ、仲間だな……」
「でしょ?」
わたしは嬉しくなって微笑んだ。彼も少し照れくさそうに微笑み返した。
そんな和やかな雰囲気の中、窓の外では夕日が沈み、空が藍色に染まり始めていた。明日は優斗くんにとって重要な日。わたしたちにできることは、彼を精一杯サポートすることだけだ。
翌朝、わたしたちは早くに集合した。飛び石連休で助かった。エリアス先生の指定した場所は、森の奥深くにある古い祠だった。周囲には巨大な木々が生い茂り、一筋の光が葉の隙間から差し込んでいる。静寂に包まれた神聖な場所だ。
「おはよう、みんな。よく来てくれた」
エリアス先生が祠の前で待っていた。
優斗くんは緊張した様子だったが、決意に満ちた表情でエリアス先生に挨拶した。
「心の準備はできています」
「よろしい。その中に入りなさい。そこに『心の鏡』がある」
エリアス先生は頷き、祠の中を指した。
優斗くんは一度深呼吸をして、祠の中に入っていった。わたしたちは外で待つことになった。
「大丈夫ですか?優斗くんに危険はないんですよね?」
わたしはエリアス先生に尋ねた。
「心の旅には常に試練がある。だが、彼なら乗り越えられるだろう」
エリアス先生は静かに答えてくれたが、危険があるとも無いとも答えてはくれなかった。その答えがわたしの心をざわりとさせる。
「どのくらい時間がかかるんですか?」
今度は茜ちゃんが心配そうに祠を見つめた。
「人それぞれだ。中には数分で終わる者もいれば、何時間もかかる者もいる」
エリアス先生は淡々と答えた。
待つこと約1時間。突然、祠から青い光が漏れ始めた。まるで中から太陽が昇ったかのような、強い光だ。
「何が起きてるんですか?」
わたしは驚いて立ち上がった。
「試練の最終段階だよ。彼は答えを見つけたようだ」
エリアス先生は穏やかに目を細めて言った。
光はさらに強まり、祠全体を包み込んだ。そして、突然消えた。
静寂が戻った森の中、祠の入り口から優斗くんが現れた。彼の表情は穏やかで、どこか大人びて見えた。そして、彼の周りには薄い青いオーラがかすかに見える。
「優斗くん!」
わたし達は駆け寄った。
「大丈夫?何があったの?」
みんな口々に心配そうに尋ねる。それに対して優斗くんはゆっくりと微笑んだ。
「うん、大丈夫。むしろ、すごく……体全体の感覚がクリアになった感じ」
「どういうこと?」
茜ちゃんが尋ねた。
「心の鏡で、自分自身と向き合ったんだ。自分の恐れや、弱さ、そして……本当の『勇気』が何かを見つけたんだ」
優斗くんは静かに説明した。
「本当の勇気?」
「うん。勇気とは恐れを感じないことじゃなくて、恐れを感じていてもなお前に進むこと。恐れは単なる危険度を感じる指標のようなものだ。それより大事なのは、大切な人を守るために行動すること」
優斗くんは頷いた。そんな優斗くんの肩にエリアス先生が優しく手を置いた。
「よく理解した。それこそが守護者の本質だ」
優斗くんは手を広げた。彼の手のひらに青い光が集まり、小さな盾の形を作った。それは以前より明らかに安定していて、輝きも強かった。
「これからは、もっとしっかり自分の力をコントロールできる。みんなを守れる」
優斗くんは確信を持って言った。それを見ていたエリアス先生は満足そうに頷いた。
「素晴らしい進歩だ。これで満月の夜に備える準備が整ったといえるだろう」
帰り道、優斗くんは静かだったが、その表情には新たな自信が宿っていた。魔法の訓練以上に、彼自身が大きく成長したことが感じられた。
「茜!」
優斗くんが突然言った。
「プリン、行く?」
茜ちゃんは少し驚いたが、すぐに微笑んだ。
「うん、行こう」
二人は少し先に歩き、わたしと拓人さん、エリアス先生は後ろから続いた。
「彼は本物の守護者になるだろう」
エリアス先生が静かに言った。
「百年目の満月の夜、彼の力が鍵となる」
「わたしたちも全力でサポートします」
わたしは決意を込めて言った。
空を見上げると、日中でも薄っすらと月の姿が見えた。満月まであと10日。時間は刻々と迫っていた。でも今は、優斗くんの成長を祝福する時間だ。
「プリン、わたしも食べたいな~」
わたしは拓人さんに向かって精いっぱい可愛くねだってみた。
「自分で買いに行け」
拓人さんはいつもの調子でバッサリとわたしの会心のおねだりを切り落としたが、その口元には小さな笑みが浮かんでいた。「ケチー!」とわたしは拗ねるふりをしたが、心は軽やかだった。みんなでこの危機を乗り越えられる。そう確信できた瞬間だった。