翌日の土曜日、優斗くんは早朝から自宅で家系図を探していた。茜ちゃんも手伝いに来て、二人で古い書類の山を整理している。わたしと拓人さんも少し遅れて合流した。
「一体どこにあるんだろう……?」
優斗くんはため息をつきながら、押し入れの奥から段ボール箱を次々と引っ張り出している。埃がもうもうと舞い上がり、全員がくしゃみをした。
「いくら代々続いてる家だからって、ちょっとは押し入れ掃除したらどう?マスク持ってくればよかった」
茜ちゃんがケホケホと咳き込みながらがら言った。整理整頓が得意な彼女には、この散らかった状態は耐えられないようだ。
「でも千秋さんの部屋も結構散らかってますよね?」
優斗くんが自然な流れで何かヤバいことを言いだした。
「えっ、どうして私の部屋のこと知ってるの?」
わたしは思わず驚いて声を上げた。
――確かに部屋は散らかっているけど、別に店長以外に見せたつもりはなかったのに。どんなに気を付けてても店長は勝手に入ってくるから仕方ないとは思ってるけど、まさか優斗くんが……?
「先週、荷物を届けに行った時に、ドアが開いてて……」
「えーっ!ちゃんとノックしてよ!」
「しましたよ!でも返事がなくて、ドアも開いてたから……」
「優斗くん!優しいお姉さんが記憶を消してあげようか?」
わたしは顔が赤くなるのをごまかそうと、笑顔に力を込めて優斗くんに迫った。確かに魔法の研究書や服が散らかっていたし、ベッドの上にはぬいぐるみが並んでいた。
――乙女のプライドを傷つけた代償は重いんだからね!
「二人とも!」
拓人さんがやや大きな声を出しつつ、冷静に割り込んできた。
「今は家系図を探す時間だ。余計なことは後にしろ」
「はーい……」
――今の流れで、どうして私が怒られるの?優斗くんが余計なこと言ったせいだ!
私たちは黙々と探し続けた。段ボール箱の中から古いアルバムや手紙の束が次々と出てくる。祖父母や曽祖父母の時代の写真も見つかった。古い家系とは言え、とても物持ちが良い。
「あれ?これは……」
優斗くんが一枚の写真を手に取った。それは昨日村上教授が見せてくれた写真とよく似ていた。五人の人物が並び、中央の男性は確かに高梨啓介と思われる人物だ。
「見つけた!」
そして、写真が出てきた同じ段ボール箱から、ついに古い巻物のような家系図も見つかった。破れないように細心の注意を払ってそれを広げると、確かに脈々と受け継がれる高梨家の歴史が記されていた。江戸時代から続く家系で、啓介の名前もしっかりと記されている。
「高梨啓介、1898年生まれ、1972年没……」
優斗くんが家系図を指でなぞりながら読んだ。
「名前が書いてある。本当に僕の曽祖父だったんだ……」
さらに調べていくと、興味深い発見があった。高梨啓介の隣には、小さな盾の絵が描かれていた。そして「守護者」という言葉も。
「守護者……。僕と同じだ」
優斗くんが静かに言った。
「血筋を通じて受け継がれるなんて……」
わたしは思わずつぶやいた。魔法の力が家系に宿るというのは、別に珍しいことではない。わたしの家も代々魔法使いの家系だ。でも、特定の才能が何世代も先まで受け継がれたり、隔世遺伝のような受け継がれ方をするというのは、興味深い現象だ。優斗くんのご両親はどちらも一般の非魔法使いなのだ。
「ねえ、これは何だと思います?」
茜ちゃんが家系図と一緒に入っていた古い日記のような本を見つけた。注意してそっと中を開くと、啓介の直筆と思われる記述があった。ちょっと崩した形の字で読むのが大変だったけど、妹さんのためにやたら古い文献を読み漁ったことがある拓人さんがゆっくりと読み上げてくれた。
「19XX年5月15日、満月の夜。我ら五人は境界を守るため集いし……」
わたしたちは拓人さんの声を一言も聞き漏らすまいと息を飲んで聞いていた。これは百年前の記録だ。
「……影の力は強大であったが、五つの徳の力を結集することで、何とか封印に成功した。だが、百年後には再び危機が訪れるだろう。その時のために、我らの力の一部を遺す。次世代の五つの徳を持つ者よ、百年目の満月が訪れた時に各自の徳を結晶化させて集結させるべし。さすれば闇を払う大いなる力を得られるだろう」
「本当だ……私たちのために」
「ちょっと待って。日記の最後のページ」
茜ちゃんが日記の終わりを開いた。そこには、五人それぞれの写真と名前、そして彼らが体現していた「徳」が記されていた。
「高梨啓介、勇気。佐藤美智子、知恵。田中一郎、献身。山本誠、誠実。井上さくら、愛」
「五人はそれぞれの徳を体現していたのね」
わたしが感嘆の声を上げた。それぞれの写真の下には、彼らが残した言葉も書かれていた。
啓介の言葉は印象的だった。
「真の勇気とは、恐怖を感じないことではなく、恐怖を感じていてもなお前に進むことである」
「僕の曽祖父……」
優斗くんの目には涙が光っていた。彼は誇りと責任感を同時に感じているようだった。
「曽祖父の意志を継ぎます。僕は……守護者になる」
わたしたちはその決意の前に声を掛けられないほどの気合を感じ、心打たれた。若いながらも、優斗くんの中に本物の勇気が芽生えていたのだろう。
「これをエリアス先生と村上教授に急いで見せなきゃ。この情報はきっととても重要だよ」
わたしは急く心に追われるように感じて皆に言うと、各自から力強い肯定の頷きが返ってきた。
私たちは即座にバンを飛ばしてエリアス先生のところへ向かった。バンが入れるところまで行くと、エリアス先生の自宅の樫の木までみんなで走った。大した距離ではないけど、ケロッとしている高校生二人とは対照的に、わたしと拓人さんは言葉を発するのにも苦労するほど息が切れていた。しゃべれない私の代わりに優斗くんが銀の鍵で樫の木の扉を開ける。エリアス先生はすでに私たちを待っていたかのように出迎えてくれた。
お水を一杯頂き、ようやく息切れが収まってきたところでエリアス先生が優しく語りかけてくる。
「みんな来たか。察するに何か重要な発見があったようだね」
エリアス先生に日記と家系図を見せると、彼は深く頷き、その価値に対して理解を示した。
「これは素晴らしい発見だ。優斗君、君は確かに高梨啓介の血を引いている。そして彼の『勇気』の徳を受け継いでいると言えよう」
「では、他の四人は?」
拓人さんが冷静に尋ねると、エリアス先生は考え込むように言った。
「その答えは、すでに君たちの中にあるのではないかね?」
「私たちの中に?」
茜ちゃんが首を傾げた。
「そうだ」
エリアス先生は優斗くんの肩に手を置いて続けた。
「優斗君が『勇気』なら、他の四人も自然と現れるはずだ。実は『五つの徳』は元々互いに引き寄せ合う性質を持っている。それに、百年前の彼らが魔法的な細工をしてつながりを強化したために、引き寄せ合う性質も強化されたようだ」
「引き寄せ合う……」
わたしはふと思い当たった。マジカルエクスプレス便に集まった私たち。最初は偶然の出会いと思っていたが、もしかしたら……。
「まさか、私たち?」
茜ちゃんが驚いた声を上げた。彼女の鋭い知性が真実を察したようだ。
「可能性は非常に高い。過去からの徳の継承は血筋だけに依存するものではない。友人、親戚、様々な関係性を辿って継承される。仏教でいうところの『縁』という概念に近い。特定の縁が結ばれる時に徳の素質も継承されるように、古代魔法を用いて継承が途切れないように、当時の五人の誰かによって仕掛けが施されたのではないかと村上君が言っておった。継承ルートを調べる時間はもう無いようだがね」
エリアス先生が静かに言った。そして拓人さんの方を向いて話を続ける。
「村上君から聞いたかもしれんが、五人のうち誰なのかは不明だが、非魔法使いの人間も混じっていたそうだ。私が調べた限りでは、その者の徳を継承させるために、当時の五人はちょっとトリッキーな手段を使ったようだ。一人の魔法使いに一時的に二つの徳を継承させ、その徳を持つに相応しい人間と魔法使いが縁を結んだ時に二つのうちの片方が譲渡されるようにね。つまり、拓人君の献身の徳は千秋君から継承された可能性が高い。これでいくつかの謎は解けたと思わないかね?」
「俺が?千秋から?徳を継承?」
拓人さんはまだ混乱しているようだが、これまでの彼の行動を思い浮かべると、確かに妹さんを絶対に見つけるという強い意志は献身の徳を持つに相応しいように思えた。
「千秋さんの『知恵』、拓人さんの『献身』、茜の『誠実』、僕の『勇気』、そして……じゃあ、もう一人は?」
考えこんでいる優斗くんの口から言葉が零れた。
「そう、『愛』の徳を持つ者だ。その人物はまだ現れていないかもしれないが、百年前の古代魔法の仕掛けが上手く働いていれば、満月の夜までには揃うだろう」
わたしたちは互いの顔を見合わせた。これが本当なら、私たちの出会いは単なる偶然ではなかったということになる。そして、百年前からの使命を担っているということだ。
「でも、信じられない」
茜ちゃんが言った。彼女の科学的思考からすれば、このような運命的な話は受け入れがたいのだろう。
「科学的に考えれば、こんな事象、確率的にありえないわ」
「しかし、魔法の世界では、偶然と思えることにも意味があることが多い」
エリアス先生は微笑んだ。
「特に『五つの徳』のような強力な魔法の力に関係する素質は、時空を超えて影響を及ぼすこともある」
エリアス先生の話を聞きつつ、拓人さん同様、わたしも現実を受け入れるまで時間がかかっていた。
「でも、わたしが『知恵』なんて……。店長が言ってたって言われても俄かには信じられない」
この事実をわたしは素直に受け入れられなかった。
――いつも抜けていると言われるわたしが「知恵」の徳?
「知恵とは単なる知識ではない。両者は似ているようで異なる概念だ」
エリアス先生が優しく諭すように言った。
「知恵とは物事の本質を見抜く力、そして魔法の真髄を理解する力だ。千秋君、君は確かにその資質を持っている」
そう言われると、少し誇らしい気持ちになった。自分では気づかなかった長所を認められたような感じだ。
混乱から立ち直ったらしい拓人さんはそのまま黙っていたが、「献身」という言葉に何か感じるものがあったようだ。十年間、妹を探し続けた彼の姿勢は、まさに献身そのものだ。
「とにかく、君たちのおかげで方向性が見えてきた」
エリアス先生が言った。
「百年目の満月の夜、君たちは『五つの徳』の力を結集させ、境界を守るんだ」
「でも、具体的にはどうすれば?」
優斗くんが尋ねた。
「それには特別な儀式が必要だ。それぞれにやり方を覚えてもらわないといけない。特に拓人君、君の持つ魔力はごくごく薄いものだ。そのため、千秋君から『始まりの石』を介して魔力を譲渡してもらいつつ儀式を行わなければならない。手順が他の人よりも1つ多いのだ。普通の非魔法使いが魔力の籠った『始まりの石』を持っても魔法を行使することはできないが、拓人君の場合は『献身の徳』が力を貸してくれるだろう」
言い終わると、おもむろにエリアス先生は古い本を取り出した。
「この本に書かれている儀式を、境界ポイントで満月の夜に行ってもらう」
「他にもありますよね?影魔法使いたちを阻止すること」
わたしは確認の意味を込めて言った。
「その通り。二つの作戦を同時に進める必要がある。一つは境界を守る儀式、もう一つは影魔法使いたちの儀式を妨害することだ」
エリアス先生が頷いて答えた。
「二手に分かれるんですか?」
「残念ながら、そうせざるを得ない」
エリアス先生は厳しい表情になった。
「だが、心配するな。君たちは一人ではない。互いの徳が響き合い、力となるのだ」
日没が近づき、夕焼けが森を赤く染め始めた。私たちは決意を新たにして、エリアス先生の家を後にした。
「みんな、自分の役割を受け入れられる?」
わたしは帰りのバンの中で尋ねた。
「もちろんです!」
優斗くんが即答した。彼の目には揺るぎない決意があった。
「選択の余地はなさそうですね」
茜ちゃんは現実的な言い方をしながらも、本当は受け入れていることが伝わってきた。
「まあ、運命とか言われても実感はないし、古代魔法で細工されてたって言われても難しくて俺にはよく分からん。でも、やるべきことは明示されている。あとはそれを実行するだけだ」
拓人さんがハンドルを握りながら言った。そう。それがわたしたちの道。なぜ選ばれたかとか、タイミングよく集結できたかとか、まだまだ分からない部分は多いけれど、今できることをやるだけ。
窓の外の空を見上げると、まだ満月ではないけれど、大きく明るい月が浮かんでいた。あと十一日で満月。そして、百年目の運命の夜が訪れる。