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第31話 満月へのカウントダウン

 それから一週間、わたしたちは厳しい訓練と準備を続けた。優斗くんの守護魔法は日に日に強くなり、茜ちゃんは影魔法使いたちの使う闇の魔法への対抗手段となる古代魔法の理論研究に没頭していた。拓人さんと私は境界ポイントを定期的に巡回し、安定化の魔法陣のメンテナンスを行った。

 店長も黒猫の姿で各地を飛び回り、情報収集に励んでいた。彼の猫ネットワークは侮れない。街のすみずみまで目を光らせ、影魔法使いの動向を探っていた。

 満月まであと三日となった夕方、私たちは事務所に集まり、最終的な作戦会議を行っていた。


「満月が近づくにつれ、影魔法使いたちの動きがより活発になっておる」


 彼の黄色い瞳は真剣さに満ちていた。店長が報告を続ける。


「特に天文台周辺での目撃情報が増えておる。我々が一部妨害したためか、夜間だけでは時間が足りんのじゃろう。日中にも目撃例が出始めておる珍しい状況じゃ」

「これは天文台で境界を崩すための儀式をするつもりなのは確実とみていいね」


 わたしが地図を広げながら言った。天文台は市の丘の上にあり、満月の光を直接受けるのに理想的な場所だ。


「じゃあ、作戦を確認するぞ」


 拓人さんが冷静に言った。彼はいつも実務的で頼りになる。


「いいか?満月の夜、私たちは二手に分かれる。五つの徳を持つAチームは五つの境界ポイントでそれぞれ境界防御の儀式を行い境界の崩壊を防ぐ。エリアス先生と店長のBチームは天文台へ向かい、影魔法使いの境界破壊の儀式を阻止する」

「残る問題は『愛』の徳を持つ五人目じゃな」


 店長が尻尾を揺らした。


「五人目がまだ現れていないし、二手に分かれると一チームあたりの戦力が薄くならないですか?」


 茜ちゃんが心配そうに問題点を挙げる。彼女の冷静な分析は的を射ている。苦しそうに顔を歪めつつ、店長がその疑問に頷いて答える。


「その通りじゃ。じゃが、他に有効な選択肢はない。両方の作戦を同時に実行するしかないのじゃ」


 静かな沈黙が部屋を包んだ。全員が状況の厳しさを感じていた。




 翌日の夕方、突然ドアが開き、一人の女性が駆け込んできた。見慣れた顔だ。白石葉月さん、魔法使いの見習いで、以前魔法の本を配達した相手だ。


「大変です!助けて下さい!」


 葉月さんの表情には恐怖が浮かんでいた。彼女は息を切らし、言葉が途切れ途切れになる。


「例のストーカーが……影のような……人の形に……変わって……」

「葉月ちゃん!落ち着いて、ここならもう大丈夫だから!」


 わたしは驚いて思わず立ち上がった。先週、葉月ちゃんがストーカーに悩まされていると聞いていたけれど、まさかその正体が……。わたしは店長の方を向いて確認の意味で尋ねる。


「ひょっとして影魔法使い?」

「やはりな……」


 店長が難しい顔になった。


「あの時から薄く気配は感じておったのじゃが、イマイチ確信を持てんかった。じゃが、これでほぼ確定じゃな」

「葉月ちゃん、落ち着いて。詳しく教えて」


 わたしが促すと、葉月ちゃんは一度深呼吸をして話し始めた。


「先週から誰かに見られている気がして、あの日逃げてきた後も、ずっと誰かの気配を感じていたんです。いつもは魔法の練習はあまり人に見られないように夜にやってたんですけど、あの日以来、夜は危ないので日中にするように気を付けてたんです。今日も家の近くの公園の人目につきにくい所で魔法の練習をしていたら、突然、木々の間からあの人影が現れて……でも今度は普通の人じゃなくて、黒い霧みたいな形に変化して……」


 話しているうちに恐怖を思い出してきたのか、葉月ちゃんは徐々に震えだし、そこで言葉が出なくなった。安心させるように店長が優しく言葉をかける。


「無事で何よりじゃった」

「何とか振り切って逃げてきましたけど、もう一人でいるのが怖くて……」


 何とか言葉を絞り出す葉月ちゃんに、拓人さんが心配そうにしながらも店長に尋ねた。


「なぜ彼女が狙われたんだ?何かわかるか、店長?」


 茜ちゃんが不思議そうに付け加える。


「前から狙われていたということは、やはり何か特別な力でも……」


 その時、茜ちゃんの言葉でわたしは気づいた。目を凝らし、葉月ちゃんの魔力に集中すると、彼女の周りに、淡い、一見すると見逃してしまいそうなほどの薄いピンク色の光のオーラが見えている。これは……。


「まさか……」


 わたしは彼女をじっと見つめた。


「葉月ちゃん、あなたって、人を思いやる気持ちが強かったよね」

「え?自覚は無いですけど、そう言われることはまあまあ多いかもしれません……」


 彼女はわたしの突然の話題転換に戸惑いつつも、褒められたと感じたのか、少し照れた様子で答えた。


「でも、どうして急に私にそんな話を?」

「『愛』の徳……」


 わたしは思わずつぶやいた。全員の視線が葉月ちゃんに集まる。


「彼女が五人目か!」


 店長が確信を持ったように言った。そうなのだ、実は五人目の『愛』の徳を持つ者は最初から近くにいたのだ。わたし達が気付いていなかっただけで。


「なるほど……だから影魔法使いが先週からストーカーよろしく彼女を追い回してたのか。『愛』の徳を持つ者を我々より先に特定していたとすれば……十分納得がいく」


 拓人さんが納得した様子で頷いた。


「え?わたしが?何のことですか?」


 葉月ちゃんは自分だけ話の流れに乗れず混乱していた。彼女にはこの状況が理解できていないようだった。無理もない。


「葉月ちゃん、ちょっと長くなるかもしれないけど、わたし達が今直面してる問題について聞いてくれる?俄かには信じがたい話だと思うけど……」


 わたしは戸惑う彼女に「五つの徳」と百年目の満月のことを説明した。魔法界と人間界の境界、影魔法使いの計画、そして彼女が「愛」の徳を持つ可能性について。

 葉月さんは驚いた表情で聞いていたが、徐々に理解を示し始めた。さすが、魔法使いのタマゴとはいえ魔法の勉強をしているだけある。


「だから最近、なんだか不思議な夢を見たり、魔法的な感覚が鋭くなったりしてたのかもしれませんね……」

「そうだとしたら、これで五人揃ったことになりますね。これで儀式ができる!」


 優斗くんが嬉しそうに言った。しかし、拓人さんは逆に心配そうに問題点を挙げる。


「けど、彼女の安全は?」


 その疑問にみんなが口々に答える。


「すでに影魔法使いに目をつけられてるんだから、ここに居てもらって儀式の練習をしてもらう方が良いと思います」

「だよねー。ここで保護するのが一番だよね」


 そして店長が決断した。


「では、窮屈で申し訳ないが、葉月君には満月の夜まで、この事務所で過ごしてもらうことにしよう。ここなら魔法の結界があるから安全じゃ。それでいいかな?葉月君」


 葉月さんは少し迷った様子だったが、すぐに頷いた。


「分かりました。保護をお願いします。儀式の協力もします」


 彼女の表情には決意があった。彼女も魔法を学ぶ者として、この危機を理解しているのだろう。


「さて、これで正式に五人が揃ったな。満月の夜、それぞれの境界ポイントで儀式を行う。いいな?」


 店長がみんなを見回しながら、確認するように言った。


「でも、天文台の方は大丈夫ですか?」


 優斗くんが尋ねた。優斗くんが言葉を言い終えるかどうかというタイミングでエリアス先生が静かに部屋に入ってきた。彼が買い出し以外で住居の森から出ることはとても珍しい。もっと珍しいのは彼の恰好だ。いつものゆったりしたダブダブのローブみたいな服ではなく、動きやすいように軽装を身につけている。浅黄色のワイシャツ、いろいろと仕込まれていそうなポケットの多いベスト、それにパンツルック。服装は珍しいが、彼はいつもの長い銀色の髭を蓄え、いつもと同じ穏やかな表情で私たちを見つめた。


「天文台の件については、私から提案がある」


 彼の声は落ち着いていたが、どこか厳格さも感じられた。


「エリアス先生!こちらにいらっしゃっているとは思いませんでした」


 茜ちゃんが驚いたように声を出す。逆に優斗くんは興味深そうに身を乗り出して尋ねた。


「どうするんでしょうか?」

「ははは、ユーリオスに頼まれてな、ちょっと遠出をしに来ただけだよ」


 エリアス先生は茜ちゃんに答えつつ、提案内容を述べる。


「満月の夜、私たちは二手に分かれる。各々の『徳』を持つ者たちは、五つの境界ポイントで防御の儀式を執り行う。これは聞いてるね?」


 エリアスさんは穏やかに説明した。


「一方、天文台の方は、私と……」


 彼は店長の方を見た。


「ユーリオス、君は今の姿ではなく、本来の姿で参加してくれないか?」


 わたしは驚いて店長を見た。店長は不満そうにしっぽを振った。


「人間の姿になるのは魔力を多く使うのであまり好きではないんじゃがな……。しかし、この状況では仕方あるまい」

「本来の姿?」


 優斗くんが混乱した様子で私の方を向いた。説明を求められているのは分かる。


「店長は元々人間なんだよ。知らなかった?」


 わたしはくすりと笑いながら説明した。


「実は長い年月を生きてきた上級魔法使いなの。色々あって今は猫の姿をしているけど」

「人間の姿になれるとか、そんな重要なこともっと早く教えてくれても……」


 茜ちゃんが少し不満そうに言うと、店長も不満気に返す。


「儂にとっては例の事故関係の事は言われて嬉しいことではないからな」


 店長が鼻を鳴らした。


「儂が人間の姿をとると千秋に負担をかけることになるが、魔力的に大丈夫か?千秋」


 聞かれてわたしは考える。考えなしと言われる頭を精いっぱい使って。ここで自分の力量を読み誤ると重大な計画の穴になる。


――わたしだってみんなと一緒にずっと練習してきたし、魔力を高めるための練習もした。魔力を一時的に回復させる薬も作った。よし、大丈夫だ。


 わたしは自分に言い聞かせつつ、店長に答える。


「何とか大丈夫だと思う。ここ最近のトレーニングによる魔力の増加と、魔力の回復薬の存在を考えれば……」


 それを聞いて店長が頷く。


「では……」


 エリアス先生が話を戻した。


「私とユーリオスで天文台に向かう。そして優斗くんに協力してもらって河童ドラゴンも連れて行く。そして……」


 彼は少し考え込むような表情になった。


「昨日、高梨啓介の古い日記を解析していて分かったことだが、各境界ポイントで先日教えた儀式の仕方に少し手を加えれば、儀式の過程で『徳』の結晶が生まれるはずだ。あとでその方法は教える。その結晶を集め、天文台での戦いに持っていくつもりだ」

「結晶?」


 茜ちゃんが鋭く尋ねた。


「古代魔法の儀式の中には、精神的要素を物質化させることができるものがある。少し儀式は複雑になるが、その結晶が手に入れば大きな武器になる」


 エリアス先生は静かに説明した。


「『徳』の結晶だ。その力は闇の儀式に対抗するための強大な力になるだろう」

「そうか……」


 拓人さんがつぶやいた。彼の瞳に一瞬決意の色が浮かんだかと思うと、エリアス先生に確認するように尋ねた。


「では、結局境界ポイントは私たち五人が受け持つことに?」

「そうだ。そして境界の儀式が成功すれば、その力を『徳』の結晶として天文台に集中させることができる」


 エリアス先生が頷いた。しかし優斗くんは少し複雑な表情を浮かべていた。


「でも、僕も天文台で戦いたいです。河童ドラゴンとの契約もあるし……」

「優斗君」


 そう言う勇み足な優斗くんに、エリアス先生が優しく、しかし厳しい目をして話しかける。


「君の『勇気』の徳は、境界の守護に最も適している。その役割を果たすことこそが、本当の勇気というものだよ」


 優斗くんは少し黙り込んだが、すぐに顔を上げた。


「分かりました。僕は境界ポイントを守ります」


 エリアス先生は満足そうに頷いた。


「その覚悟こそが、君の力を最大限に引き出すだろう」

「ドラゴンのことは心配しないでいい」


 店長が静かに付け加える。


「契約を結んだドラゴンは、召喚できる。危機の時には、境界ポイントにいる君を助けに行くこともできるだろう」


 優斗くんの表情が明るくなった。


「本当ですか?」

「本当だよ!」


 わたしもすかさず店長の意見に続ける。


「古代魔法の契約は不思議なものなの。距離を超えた絆があるんだよ」

「了解しました!」


 優斗くんの目が決意で輝いた。


「では、最終的な作戦はこうだ」


 エリアス先生が整理するように話し出した。


「千秋君、拓人君、茜さん、優斗君、葉月さん、それぞれが五つの境界ポイントを守り、境界強化の儀式を行う。儀式を終えた者から順に『徳』の結晶を天文台に運ぶ。河童ドラゴンに協力してもらうのも一案だ。同時に、私とユーリオスが天文台へ向かい、影魔法使いの境界崩壊の儀式を阻止する」

「作戦開始は?」

「満月が昇る午後9時」


 拓人さんの問いにエリアス先生が答えた。


「それまでに各ポイントで配置につくこと」

「エリアス、もう一つ気になることがある」


 店長が言った。


「葉月が先週からストーカーのように追われていたということは、影魔法使いたちは我々の一歩先を行っていたことになる。彼らはすでに『五つの徳』を持つ者たちを特定していた可能性が高い」

「つまり、わたしたちも狙われていたかもしれないってこと?」


 わたしの問いに、店長は重々しく頷いた。


「特に『愛』の徳が見つかりにくく、我々がまだ気づいていないことを知られていたのか、我々に気付かれる前に一番警戒の緩い葉月を先に排除しようとしたのだろう。他の四人も注意が必要だ」

「確かに……」


 拓人さんが思い返すように言った。


「最近、何度か背後に気配を感じることがあった」

「それ、わたしも!」


 茜ちゃんが少し震える声で言った。


「昨日、図書館から帰る途中、誰かに見られている気がして……」

「やはりな」


 エリアス先生の表情が暗くなった。


「影魔法使いたちは私たちの動きを監視していたのだ。だからこそ、これから作戦の決行時間までは特に警戒が必要だ。満月の夜まで、できるだけ一人で行動するのは避けるように」


 作戦が決まり、あとは準備を整え、満月の夜を待つだけ。全員の表情には緊張と決意が混ざっていた。そして今、新たな警戒心も加わった。




 会議が終わり、儀式の変更点を伝えるとエリアスさんは帰って行った。残された私たちは、それぞれの思いに浸りながら、窓の外の夜空を見つめていた。葉月さんは事務所の奥の部屋に案内され、今夜からそこで過ごすことになった。わたし達も危険を避けるため、今晩は皆で事務所に泊まることにした。高校生たちはご両親に外泊の連絡をしている。友人の家にでも泊まることにするのだろう。そして早いうちに宿泊の準備を整えようと、葉月ちゃんとわたし達は固まってコンビニへ急ぐ。女の子にはいろいろと準備が必要なのだ。

 コンビニから帰り夜が更けていくなか、わたしは事務所の窓辺に立ち、大きく明るい月を見上げていた。明日はいよいよ満月。百年目の特別な満月だ。魔法界と人間界の境界が最も薄くなる、そして影魔法使いたちが動く夜。


「心配か?」


 拓人さんが隣に立った。彼の表情はいつもより柔らかく見えた。


「ちょっとね」


 わたしは正直に答えた。


「でも、みんながいるから、きっと大丈夫」

「おまえは……、本当に楽観的だな」

「そうかな?」


 わたしは空を見上げながら言った。


「楽観的というより、みんなを信じてるだけ」

「そうか。まあ、それはそうだな」


 拓人さんも月を見上げた。


「いよいよだな……」

「うん」


 あと数時間で、運命の日が始まる。二人とも言葉少なに夜空を見つめていた。それぞれの思いを胸に抱きながら。

 明日への準備は整った。あとは、全員の力を結集させ、この危機を乗り越えるだけ。


「明日、無事に終わったら」


 わたしが続けた。


「みんなでお祝いしましょう」

「ああ、そりゃいいな」


 拓人さんが珍しく柔らかな笑顔を見せた。

 事務所の奥から、優斗くんと茜ちゃん、葉月さんの話し声が聞こえてきた。彼らは防御魔法や儀式の練習をしているようだ。若い彼らの姿に、わたしは少し胸が熱くなった。


「拓人さん」

「なんだ?」

「明日は……うまくいくかな」


 いつもなら強がって見せるところだが、今夜は素直な気持ちを口にした。


「大丈夫だ!」


 拓人さんはいつもより優しい声で言った。


「千秋がいれば、最終的には何とかなる。いつだってそうだっただろ?」

「拓人さん……」


 わたしは少し驚いた。彼からこんな言葉をかけられるとは。


「おまえが『知恵』の徳を持ってるってエリアス先生と店長が言うなら、きっとそうなんだろう。大丈夫だ」


 彼は少しふざけた口調で言ったが、「大丈夫」と繰り返す彼の目にはわたしへの信頼の色が見え、わたしも素直になれた。


「ありがとう」


 わたしは微笑んだ。


「拓人さんの『献身』の徳も、絶対に力になるよ!」


 窓辺に立つ二人の背後で、事務所の明かりが暖かく揺れていた。明日の戦いを前に、この静かな時間がかけがえのないものに感じられた。

 満月へのカウントダウンは続く。そして明日、わたしたちの戦いが始まる。


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