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第34話 閑話 魔法評議会と現実との狭間で(エリアス視点)

 私、エリアス・グレイストーンの視点から、今回の百年目の満月の事態について記そうと思う。この一冊の日記が、いずれ後の世代の者たちが真実を知るための手掛かりとなることを願っている。




 評議会を退いて久しいが、古い友人たちとの繋がりは今も残っている。彼らを通じて、評議会の内部事情も断片的に耳に入ってくる。あの若者たち——千秋さんや拓人君、そして二人の高校生——には伝えていないが、実は私は完全に孤立して活動しているわけではない。

 百年目の満月が近づくにつれ、評議会からの接触も徐々に増えてきた。最初に訪れたのは、旧知の評議員エイナ・ハルネスだった。


「エリアス、久しいね。退官してこの森に引きこもってはや何十年になるかね?」


 世間話から入ろうと話し始めた彼女に私は苦笑いしながらお茶を出した。


「百五十年ほどになるかな。エイナ、評議会の正式な使者として来たのか?それとも旧友としてかね?」

「両方さ」


 私が本題を気にしていることに気付いたのだろう、彼女は答えた。


「評議会は百年目の満月について懸念を抱いている。特に、お前の弟の動きについてね」


 特に名前が出たわけではなかったが、「弟」という言葉だけで私の心は重くなった。二百年以上にわたる兄弟の確執は、今や魔法界全体を巻き込む危機になろうとしている。


「評議会は何を望んでいる?」


 私は率直に尋ねた。エイナは少し間を置いてから言った。


「公式には、静観の姿勢を取ることにしている。だが、非公式には……お前の活動を支援したいと考えている者もいる」


 これが評議会の二面性だ。表向きは伝統と規律を重んじる保守的な組織でありながら、裏では個々の評議員が独自の行動を取っている。この組織構造が、今回の危機への対応を複雑にしているのだ。

 その後、エイナからいくつかの重要な情報が伝えられた。評議会の内部調査によると、過去三ヶ月間で境界の揺らぎが通常の3.7倍に増加している。また、光の魔法と闇の魔法の干渉パターンについての最新研究も共有された。これらは私の「真実の鏡」の研究を完成させる上で不可欠な情報だった。

 評議会が直接行動しない理由は複雑だ。まず、評議会内部の深刻な分断がある。人間界との関わり方について、「共存派」と「分離派」の対立は年々激化している。百年目の満月という危機に対してさえ、統一した対応ができないほどに。

 青山澄子という評議員が私を訪れたときには、この分断がさらに明確になった。彼女は千秋の師匠でもある。


「エリアス先生……。評議会内部は今、過去百年で最も不安定な状態です。境界について何か決断するにしても、全会一致は望めません」


 彼女は敬意を込めて言った。


「それで、実質的に何も決められない、と?」


 私は言葉を継いだ。彼女は頷く。


「その通りです。それでも、私たちのグループはできる限りの支援をしたいと考えています。これを」


 彼女が差し出したのは、古代魔法の封印術を記した羊皮紙の写しだった。これは元々評議会のメンバーだけが閲覧を許されている秘匿図書館にあったもので、通常は厳重に管理されている。こうした非公式なルートでの支援が、評議会の現状を物語っていた。

 第二の問題は、評議会の官僚主義的な体質だ。元同僚で、現在は評議会を離れて穏健派として活動している魔法使いが過去に私に語ったことが、この問題を端的に表している。


「評議会は危機管理のプロトコルに縛られすぎているのよ、エリアス」


 彼女は評議会の硬直した体質をそう表現した。


「百年目の満月に関する議論は、まず『歴史的事例研究委員会』で検討され、次に『魔法理論諮問会議』に回され、最後に『危機対応策定部会』で対応が決められる。この手続きだけで最低でも三ヶ月はかかるわ」

「百年目の満月まで一ヶ月を切ったというのに?」


 私は呆れて言った。


「そう、そして誰もがそれを知っている。だから実際には、個々の評議員が公式の決定を待たずに動いているのよ」


 これが魔法評議会の実態だ。表向きは厳格なルールと手続きに則った組織でありながら、実際の活動は評議員たちの個人的なネットワークと非公式な協力関係で成り立っている。千秋たちには混乱を避けるため話していないが、私の活動の多くは、こうした「非公式な支援」によって支えられているのだ。

 第三の問題は、評議会の情報収集能力の限界だ。村上智明教授――歴史学者として人間界でも知られる古代魔法学者――が私の元を訪れたときのことだ。彼は評議会の古文書館に勤める司書と面識があるらしい。


「エリアス先生、評議会の古文書館には、五つの徳に関する記録がほとんどないらしいのです。前回の百年目の満月の際の記録も、不完全です」


 彼は腹立たし気に訴える彼に、私は尋ねた。


「なぜだ?」

「『知る必要がある者だけが知るべき』という原則です。前回の危機を乗り越えた五人の勇者たちの記録は、評議会によってその詳細を公式記録から意図的に除外され、秘匿扱いとされたようです。危険な知識が悪用されることを恐れたのでしょう」


 これは評議会の伝統的な考え方だ。危険な知識は限られた者だけが共有し、それ以外には隠す。しかし、そのために今、私たちは過去の経験から十分に学ぶことができずにいる。


「では、私たちは手探りで進むしかないということか」


 彼は頷いた。


「ですが、私は人間界の古文書も調査しています。時に、魔法界で失われた知識が人間界に残っていることもあります」


 これが四つ目の問題につながる。評議会は「五つの徳」の力に過度に依存している。現代魔法学を研究する赤川教授が指摘したように、これには大きな危険が伴う。


「エリアス先生、評議会は五つの徳の力が再び現れることを前提に計画を立てています。しかし、私の研究によれば、その再現確率は43%に過ぎません」

「それでは低すぎる」

「その通りです。それに、仮に五つの徳が現れたとしても、それを扱える者が今の時代にいるかどうかも疑問です。評議会は伝統に頼りすぎている。魔法細胞理論などの現代科学との融合研究に、もっと資源を割くべきだと思います」


 私の率直な感想に頷く赤川教授の言葉は鋭い。評議会の多くのメンバーは、古い魔法や伝統的な方法に固執しすぎている。それが彼らの柔軟な対応を妨げている。

 人間界の法執行機関との接触も、評議会の方針に反して私とユーリオスとが独断専行的に行ったものだ。人間界の公的機関との協力は、分離派からの強い反対がある。しかし、影魔法使いたちの活動が人間界にも影響を及ぼす以上、こうした協力は不可欠だ。

 千秋たちのマジカルエクスプレス便との協力も同様だ。正直に言えば、あの「真実の鏡」の配達も、評議会の公式な決定ではなく、共存派の評議員たちが非公式に手配したものだった。表向きには「魔法評議会からの緊急依頼」としたが、実際には評議会全体の承認は得ていない。

 それでも、私はこの方法が今の状況では最善だと信じている。官僚主義と内部分断に縛られた評議会が動けないなら、私たち個人が動くしかない。千秋のような若い魔法使いや、拓人のような経験者、そして優斗と茜のような新たな才能の持ち主たちと協力することが、この危機を乗り越える鍵になると思う。

 評議会が公式に動かないことには、もう一つ理由がある。それは「実験的観察」という方針だ。魔法科学者の間では、稀少な魔法現象を介入なしで観察することに大きな学術的価値があるとされる。百年目の満月での境界の変化は、そうした稀少な観察対象だ。


「純粋な観察データを収集できれば、将来的な境界の安定化に役立つ」


 評議会の科学顧問はそう主張する。しかし私から見れば、それは単なる言い訳に過ぎない。知識のために安全を犠牲にする誤った考え方だ。




 昨日、青山澄子から新たな情報が届いた。彼女は評議会の特別調査を経て、影魔法使いたちの真の目的についてより詳細な情報を得たという。影魔法使いたちも一枚岩ではないらしいこと、「愛の勇者」との関連なども含めて。これらの情報は、私が千秋君たちに段階的に伝えていくつもりだ。全てを一度に話せば、彼らを過度に不安にさせることになるだろう。

 最近では、魔法細胞生物学にも詳しい魔法医師の赤川教授からも支援の申し出があった。彼は「五つの徳」と人間の魔力繊維との関連について研究しているという。また、神出鬼没な魔法動物の専門家である飯島健太郎君も、時折貴重な情報をもたらしてくれる。彼らは表向き評議会の方針に従いながらも、個人的な判断で私の活動を支援しているのだ。

 千秋たちには「評議会はこの問題に積極的に取り組んでいない」と思わせているが、実際には多くの評議員が水面下で動いてくれている。それぞれが自分のできる形で、この危機に立ち向かっているのだ。私の仕事は、そうした分断された努力を一つにまとめ、効果的な対応に変えることだ。

 弟との最終的な対決も避けられないだろう。彼の悲しみと怒りは理解できる。愛する人を失った痛みは、どれほど時が経っても癒えないものだ。だが、その悲しみのために全ての世界を危険にさらすことは許されない。

 評議会が動かないのであれば、私たちが動く。千秋、拓人、そして若き才能を持つ優斗と茜。彼らとともに、私は百年目の満月の危機に立ち向かうつもりだ。

 ただ、私の心の奥には常に一つの疑問がある。もし百年前、私が「愛の勇者」と弟を引き離さなければ、今日の危機は起きていなかったのだろうか?古い罪の重さを感じながらも、私は前に進むしかない。

 今夜も「真実の鏡」を覗き込むと、そこには五つの輝く光が映っている。五つの徳の光だ。それは希望の兆しかもしれない。あるいは、新たな悲劇の予兆かもしれない。

 いずれにせよ、この百年目の満月は、魔法界と人間界の運命を大きく変えることになるだろう。その重みを、私は一人で背負うつもりはない。それこそが、私が千秋たちと協力する本当の理由なのだから。


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