「スノウホワイト、行こう」
トラップ一覧のウィンドウを即座に閉じ、光流がスノウホワイトに声をかける。
「トラップは設置せず、母親を説得するのか」
スノウホワイトが目の前にマップを展開、相手の
「
スノウホワイトとして一番恐れているのがこの一点だった。彩界は近くに
「その時はその時でなんとかするよ。今は母ちゃんだと信じて進むだけだ」
ゆっくりと光流が一歩踏み出す。
スノウホワイトもそれに続き、歩みを進める。
「——母ちゃんの願いって何だろう」
歩きながら、光流が呟いた。
「母ちゃんが、人を殺してまで叶えたい願い——」
「わたしには分からない。だが、キミの母親がキミに接しているのを見る限り、そのような願いを持つような人間には見えなかった」
そう答えたスノウホワイトがほんの少しだけ眉を顰める。
人は見かけによらないという。あれだけ温厚で家族思いの人間でもその裡でとてつもなく深い闇を抱えていることも考えられる。
それでも、母親がそんな人間ではないとスノウホワイトは信じたかった。
会話らしい会話をほとんど交わさず歩くうち、洞窟の奥から二人の人影が姿を見せる。
「——母ちゃん、」
低い声で光流が呟く。
覚悟はしていたが、そうでなければいいと願っていた相手が、そこにいた。
「……光流、」
オレンジよりはかなり赤みの強い、むしろ黄色味がかかった赤色の少女を隣に連れた女性——母親も光流を呼ぶ。
「やっぱりあんたも
「……うん」
辛うじて、その返事だけを搾り出す。
スノウホワイトもスカーレットも武器化することなく二人を眺めている。
「光流、」
沈黙が支配しかけたその場を崩したのは母親だった。
「母ちゃんを殺しなさい」
「えっ」
母親のその言葉に、光流が思わず声を上げる。
「母ちゃん、何を——」
「母ちゃんは誰かを、それも息子を殺してまで願いを叶えたくないよ。同じ願いが叶うならそれは光流の願いの方がいい」
母親の声は優しかった。
諦念ではない。本気で光流の願いが叶うなら自分は死んでもいいと思っている。
「光流は叶えたい願いがあるんだろ? だからもうそれだけの
「違うよ母ちゃん!」
たまらず光流が叫んだ。
「俺は誰も殺してない! 母ちゃんも殺す気はない!」
「でも、殺さなきゃ
そうだ、
だが。
「母ちゃん、右手出して」
下手に説明するよりは実践した方が早い。
そう判断した光流は母親に声をかけていた。
「ん? 光流がそう言うなら……」
母親が素直に右手を差し出す。
その手首に赤く光る枷を確認し、光流はスノウホワイトをナイフに変換させた。
「母ちゃん、動かないで」
そう言いながら、氷の刃を枷に叩き込む。
砕ける枷、それと同時に母親の隣に立ったスカーレットが赤い光の粒子へと変わっていく。
「……お世話になりました」
ぺこり、と母親に会釈するスカーレット。
「ごめんねえ、スカーレットちゃん。こんなおばちゃんのわがままに付き合わせちゃって」
崩れていくスカーレットに母親がそう声をかけるが、スカーレットはその口元に笑みを浮かべてゆっくりと首を振る。
「わたしの願いはあなたの願いに比べてはるかに軽いものです。あなたがこの結末を望んだなら、わたしはそれを受け入れます。それと——」
そこで一度言葉を止め、スカーレットが光流を見る。
「優しいですね。あなたのような人に、
その言葉を最後に、スカーレットが光流の中に消えていく。
「……というわけで、母ちゃんはもう自由だよ」
スカーレットが自分の中で瞬くのを感じながら、光流は母親に声をかけた。
「自由、って……。
事態が飲み込めない母親に、光流が説明する。
「
「そんな裏技が——」
驚いたように声を上げた母親だったが、すぐに納得したように頷いた。
「光流、あんたは元からゲームの裏技とか探すの得意だったもんね。ってことは、光流はそれだけ
「俺を何だと思ってんだよ。誰も殺してねえよ」
光流がそう言うと、母親はほっとしてその場に座り込んだ。
「よかった……光流が誰も殺してなくて」
「そういう母ちゃんも殺してなくてよかった」
ほっとしたように光流も母親の隣に座り込む。
光流としては母親が誰も殺していないことを信じていたが、実際に自分に吸収された
お互い、誰も殺していないという事実に安堵する。
「でも、昨日の時点では分からなかったけどいつスカーレットを」
安心しても、出てくる疑問点はある。
その質問に、母親はそれ、と口を開いた。
「買い物の帰りにスカーレットが行き倒れててね。『契約しないと消滅する』って言ってたから可哀想に思って契約したらこの様だよ」
「……」
母親の説明に、光流が絶句する。
そうだ、母親はこういう人だった。
困っている人は放って置けない、そんな優しさが
「……話が大きくなる前になんとかできてよかった」
もし、母親が誰かと戦った後だったらこんな安心はできなかった。
母親も安心したように洞窟の天井を見上げる。
「光流はこれからも殺さず
「うん」
少しでも命を落とす
光流が頷くと、母親は誇らしげに笑って光流の肩を叩いた。
「頑張るんだよ、母ちゃんは応援してる」
「そういえば、母ちゃんの願いって——」
ふと気になって光流が尋ねる。
自分よりも光流を優先したことで母親の願いはどす黒いものではないと分かった。それでも、気になるものは気になる。
「それはね——」
優しい笑みをたたえ、母親は自分の願いを口にした。
「光流や父ちゃんが幸せに生きること、だよ」
「——」
光流の隣で、スノウホワイトが息を呑んだのが分かった。
「その願いは——」
スノウホワイトがそう呟いたことで、母親がそちらに顔を向ける。
「スノウホワイトちゃんと言ったかい。母親ってそういうものだよ」
「そういうもの……」
そう呟き、スノウホワイトが一度目を閉じ考えをまとめる。
「それなら、その願い、わたしが引き継ぐ」
『えっ』
光流も母親もその言葉は予想していなかった。
「わたしはヒカルからたくさんのものを貰った。わたしもヒカルには幸せになってもらいたいと思っている。だから、その願いはわたしが引き継ぐ」
「スノウホワイト……」
光流がスノウホワイトを見ると、彼女はこくりと頷いた。
「キミの母親の願いを無碍にするわけにはいかない。それに、わたしもこの願いは叶えたい」
「……そっか」
それなら、もう言うことはない。
「みんなの願いなら、負けられないな」
そう言い、光流が立ち上がる。
「じゃ、母ちゃん、そういうわけで」
その言葉を合図に彩界が消失していく。
自分の部屋に戻ってきたことで光流は自分の頬を軽く叩いた。
「負けられん」
そう呟いたところで再びドアがノックされる。
光流がドアを開けると、そこに夜食を乗せたトレイを持った母親が立っていた。
あまりの既視感に光流が呆気に取られていると、母親は光流の後ろに立っているスノウホワイトをちら、と見る。
「はい、スノウホワイトちゃんの分」
「母ちゃん——」
「母ちゃんは光流もスノウホワイトちゃんも応援するからね! でも変な真似はするんじゃないよ? なんなら空いてる部屋をスノウホワイトちゃん用に用意するかい?」
そう、捲し立てる母親に、光流は「これはかなり面倒なことになった」と確信するのだった。