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第18話「本当に望むものとは」

「で、少年は何を望んでいるんだい?」


 単刀直入に火乃香に言われ、光流が思わずむせる。


「な、何をって——」


 油淋鶏を食べる手を止め、光流は火乃香の顔を見た。

 火乃香の表情こそはにこやかなものだが、目は笑っていない。

 本気なんだ、と光流はなんとなくだが理解する。


 火乃香の提案は戦力増強という点で言えば大きい。光流がトラップを配置し、火乃香が敵彩響者コンダクターを撃破するという作戦はトラップにリソースを割かない分火乃香有利に働く。


「聞かせてほしいな、少年の願い」


 相変わらず目は笑っていない状態でニヤニヤしながら火乃香は光流に言う。


「俺は——」


 そこまで言って、光流は自分がまだ何も望んでいないことに気が付いた。

 光彩戦争クロマティック・イクリプスに何を望むのか、他の彩響者コンダクターを蹴落としてまで何を望むのか。

 世界平和? 不老不死? 無限の富? そんな俗っぽいものでいいのか?


 そう考えてから、光流は小さく首を振った。


「分かりません。僕は、光彩戦争クロマティック・イクリプスに何を望んでいるのか、まだ分かってない」

「へえ、望みもなしに光彩戦争クロマティック・イクリプスに参加してるのか。面白いな、君は」


 心底面白そうに火乃香が笑う。そこで初めて光流は火乃香が本気で面白いと思っていることに気付く。


光彩戦争クロマティック・イクリプスは強い願いを持つ人間が彩響者コンダクターとして選ばれたはずだ。それなのに君は世界に願うほどの強い願いを持たない、と」

「ヒカルとの契約はイレギュラーだ。契約の儀を交わす前にわたしとヒカルは契約を成していた」

「へえ」


 火乃香が再び笑う。

 笑ってから、真顔になって光流を見た。


「じゃあ、私に勝利を譲ってくれてもいいんじゃないか?」

「何を——」


 火乃香の言葉に光流が声を詰まらせる。

 勝利を譲る、それは——。


「あなたはヒカルに死ねと言うのか」


 鋭い声でスノウホワイトが指摘する。

 氷のように冷たい視線と声に、火乃香が「おお怖い」と声を上げた。


「ま、端的に言えばそうなるね。強い願いを持たない彩響者コンダクターなんて光彩戦争クロマティック・イクリプスに必要ない。だけどね、スノウホワイト」


 そう言い、火乃香は手にした箸の先をスノウホワイトに突き付けた。


「そっちは言ったよね。『あなたもルールの隙を』って。つまり、君たちは光彩戦争クロマティック・イクリプスに対して何か抜け道を知っている、そうだね?」


 火乃香は光流の言葉を覚えていた。

 覚えていて、それを取引の材料にしようとしてくる。

 ごくり、と光流は思わず唾を飲み込んだ。

 言ってもいいのか、と一瞬悩む。

 だが、もし火乃香に少しでも「他人を殺したくない」という思いがあるのならば、と光流は思い切って口を開いた。


彩響者コンダクターを殺さずに勝つ方法はあります」

「へえ、そんな方法があるんだ」


 意外そうな顔で、火乃香が反応する。


光彩ルクスコード彩響者コンダクターを繋ぐ契約の鎖、これを断ち切れば彩響者コンダクターを殺すことなく戦いに勝つことができます」


 そう言った光流の声はわずかに震えていた。

 この手の内を晒すことで自分が有利になるのか不利になるのか分からない。

 だが、これによる不殺を条件に手を組むことにすれば今後の戦いは楽になる。


 一種の賭けだ、と光流は腹を括った。

 火乃香はどう出る、この抜け道を知り、どう行動する。


「なるほど、そうやって君は彩響者コンダクターを殺すことなく光彩ルクスコードを手に入れてきたってわけか」


 なるほどなるほど、と火乃香が繰り返す。


「いいね、気に入った! やっぱり君は私と手を組むべきだ」


 そう言い、火乃香はニヤリと笑った。


「そうだろう? 君には明確な望みがない、でも死にたくはない、そうだろう?」

「それは——」


 否定はできない。明確な望みはないが、死にたくないのは事実だ。

 だが、明確な望みがないのと望みを叶えなくていいというのはまた別の話。

 手を組んだとしても、いつかは対立することになるのではないか、と光流が考えていると火乃香は今度は光流に箸の先を向ける。


「少なくとも私と手を組めば君は他の彩響者コンダクターに殺されることはない。私を手伝って、最後の二人になったときに君が下りればいいだけの話だ。それも契約の鎖を砕けばいいだけなんだろう? 簡単じゃあないか」

「それは、そうですが——」


 ちら、と光流が隣に座るスノウホワイトを見る。

 スノウホワイトはそれでいいのか。スノウホワイトには望みがあると言っていたではないか。


『もし、ヒカルがそう望むのなら、わたしは契約を解除してもいい』


 スノウホワイトの淡々とした声が光流の聴覚に届く。


「でも、それは——」


 言いかけて、光流が口を閉ざす。

 そうだ、ルクスコードスノウホワイトコンダクター光流に寄り添うべくプログラムされている。光流が勝つことを望まなければスノウホワイトも望みを手放す。

 それは母親とスカーレットで目の当たりにしたはずだ。


——それでいいのか?


 そんな、声が聞こえたような気がして光流ははっとした。

 明確な望みを持たないからといって光彩戦争クロマティック・イクリプスを降りていいのか。

 それが自分だけの問題なら火乃香の提案は安全に光彩戦争クロマティック・イクリプスを降りる足掛かりとなる。死ぬことなく光彩戦争クロマティック・イクリプスから離脱し、平穏な日々を送ることができる。

 平穏に生きられるなら、と考え、光流は違う、と否定した。


——俺の平穏のためにスノウホワイトを犠牲にできない!


「——手を組むのはいいですよ」


 真っすぐ、火乃香の目を見て光流は答えた。


「ほう」

「でも、それで俺が光彩戦争クロマティック・イクリプスを降りるかどうかは別の話です。俺は、スノウホワイトの願いを叶えたい。いや——俺の願いはスノウホワイトの中にあります」

「ヒカル……?」


 光流の発言に、スノウホワイトが困惑したように声を上げる。

 それはおかしい。光彩ルクスコードの願いの成就は彩響者コンダクターの願いを叶えた報酬のようなものだ。決して光彩ルクスコードの願いを優先するようなものではない。

 それなのに、光流は。


「それに、毒島さんの提案って一見俺にメリットしかないように見えてデメリットが多いですよね。毒島さん的には俺がトラップを配置して毒島さんが敵の彩響者コンダクターを排除するという布陣でしょうが、それだと——俺たちにうまみがない」

「な——」


 光流の鋭い指摘に、火乃香の顔が硬直する。


「イクリプスは光彩ルクスコードの契約が砕かれた瞬間に発生する。それも、砕いた側に砕かれた方が吸収される形だ。もし俺が言った布陣を実行した場合、強化されるのは毒島さんだけ。そうなると最終的に俺と毒島さんが生き残った場合、単純な戦力差で毒島さんが圧勝する」

「——ちっ、そこまで」


 そこまで見抜かれると思っていなかったのか、火乃香が小さく舌打ちする。


「ああそうだよ少年。私は君を利用して戦力を増やすつもりでいた。まぁ、イクリプス発生に彩響者コンダクターの殺害が含まれないならそれを利用するのはアリだ。私も無益な殺生はしたくないからね」


 それでも悪い話じゃないだろう、と火乃香は挑戦的な目で光流を見る。


「——まあ、手を組むのはいいでしょう。ですが、トラップの配置と彩響者コンダクターとの殴り合いも手を組んで、です。抜け駆けはさせません」

「明確な願いがないってのに優勝賞品は欲しいってわけかい?」

「はい。俺はスノウホワイトのためにも勝たなきゃいけない」


 火乃香の視線を真っすぐ受け止め、光流はそう宣言した。

 二人の間で静かに火花が散る。

 先に視線を外したのは火乃香の方だった。


「乗った。面白いね、少年」


 面白そうに笑い、火乃香が箸を置いて光流に右手を差し出す。


「交渉成立だ。私と君は手を組む、手を組んだ上で協力して彩響者コンダクターと戦う。それで文句ないだろ?」


 その手を握り返し、光流も頷いた。


「それなら文句はありません。よろしくお願いします」

「ヒカル……」


 火乃香と握手する光流を、スノウホワイトが不安そうな目で見る。

 いいのか、と自問するが、光流が決めたことを覆すわけにはいかない。

 今は光流のこの判断を信じるべきだ。


「それじゃ、食べてしまおうか」


 せっかくの油淋鶏が冷める、と火乃香が二人に声をかける。

 不安を抱えたまま、スノウホワイトは油淋鶏を口に運んだ。

 揚げ鶏と大量のレタスに掛けられた酢醤油たれが絶妙なハーモニーを奏でているはずなのにその味を味として認識できない。

 不安なんだ、とスノウホワイトは実感する。

 光流が火乃香と手を組むことで何が起こるのか——予測ができず、胸が締め付けられる。


 大丈夫だ、ヒカルは判断を誤らない、そう自分に言い聞かせつつ、スノウホワイトは無言で油淋鶏を口に運び続けた。




「それじゃ、連絡先も交換したことだしなんかあったらすぐ呼ぶよ!」


 それまでは別行動で情報収集だ、と言う火乃香に光流も頷いてスノウホワイトに「行こう」と促した。


「……ヒカルはこれでいいのか?」


 火乃香に背を向けて歩き出した光流に、スノウホワイトが声をかける。


「まあ、戦力は多いに越したことはないし、毒島さんも契約解除のことを知ったんだから——」


 そう言った瞬間、光流はぞっとするような違和感を覚えてスノウホワイトに視線を投げた。


「スノウホワイト!」

「駄目だ、先を越された!」


 周囲の風景が一瞬にして塗り替えられていく。

 毒々しい紫の液体が滴るじめじめとした洞窟。


「これは——」


 まさか、と光流が低く唸る。


『まさか、こんな初歩的な罠に引っかかるとは思わなかったよ、少年!』


 洞窟の奥から響く声——火乃香の勝ち誇った笑いが薄紫色の鍾乳石に反響し、消えていった。


『私は自分の願いを優先するだけさ! 甘っちょろい考えは捨てるんだな、少年!』


 その言葉が消えると同時に、毒々しい色の無数の槍が出現し、二人に襲い掛かった。

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