しんと静まり返った氷の洞窟で、スノウホワイトはこれからどうする、と考えを巡らせた。
咄嗟に彩界を展開したが、これがただ一時的な避難で展開できるものではないということはよく分かっている。展開したのなら必ず近くの
「——」
マップを点滅する黒に近い灰色。
グラファイトか、呟いてスノウホワイトは膝をついたままの光流に声をかけた。
「
「……うん……」
力なくも頷き、よろよろと立ち上がる光流にスノウホワイトは気休めにしかならない言葉を投げかける。
「キミは『
「そうじゃない、そうじゃないんだ……」
絞り出すように光流が呟く。
「確かに、俺が望めばあの人は蘇るかもしれない。だけど——
「
なんとなくだが理解できた。
確かに失われた命は失われなかったことにはなるかもしれない。
しかし、だからと言って実際に起きた事実を覆すことは誰にもできない。
それこそ、時間を巻き戻してやり直さない限りは。
今の光流は自分の信念が、心が折られた状態となっている。守るべき相手を守れなかった事実に「今後も同じようなことが起きれば」と不安になっている。
その不安を取り除くべきだ、と判断したスノウホワイトは光流にそっと手を伸ばした。
スノウホワイトの指先が頬に触れた瞬間、光流が一瞬だけびくりと身を震わせる。
「ヒカル、」
「キミは一度の失敗で全てを投げだすのか」
「あ——」
縋るようなスノウホワイトの声。その声に消えかけていた光流の目の光が輝きを取り戻す。
「——俺はバカだ」
自分の誓いはそんなにも甘いものだったのかと自分自身を叱咤し、光流が自分の頬をパンと叩く。
「確かに守れなかった事実は事実だけど、だから完全に失敗したわけじゃない」
「そうだ、それに、今のキミにはやり直せるチャンスがある」
——命が失われた事実はなかったことにできる。これ以上失敗しない限り。
目の前で誰かが死ぬのはもう見たくない。自分が死ぬことでスノウホワイトや家族、光流の背を押してくれた人たちを悲しませたくもない。
それなら立ち上がるだけだ、と光流は自分に気合を入れ、洞窟の氷を力強く踏みしめた。
「——やるぞ、スノウホワイト」
「了解した。今回の敵はグラファイト、あと、現時点で残りはキミ含めて三人まで減っている。この短時間でグラファイトかもう一人がかなり削ったようだな」
スノウホワイトの言葉に光流の奥歯がきり、と鳴る。
自分がコバルトブルーと戦っている間にそこまでの削り合いがあったのかと考えるが、実際のところ残り十人の時点で全員の位置は明かされていた。そこにグラファイトの位置情報があった記憶はないが、黒に近いグレーであることを考えれば単純にマップに埋もれて見落としたという可能性もあるだろう。
光流がスノウホワイトからマップを引き継ぎ、トラップを配置していく。
思考が戦闘モードに切り替わった瞬間からピリピリと感じる気配に、グラファイトの
グラファイトの
彩界の展開が「近くにいる」
どう出る、グラファイトの能力は、取り込んだ
「——っ!」
遠くで氷が軋む音が響き、スノウホワイトが悔しそうに顔を歪める。
「くそ、トラップは発動しているが、効果がない!」
焦りを孕んだスノウホワイトの声に、光流がそうか、と低く呟く。
「グラファイトの能力——いやこれ反則だろ!」
「何か分かったのか?」
光流の声に、スノウホワイトが驚いたように尋ねる。
「グラファイトって、元々は炭素からできた鉱物なんだ。炭素と言えば他にダイヤモンドがある」
「つまり?」
「ダイヤモンドったら
氷を操るスノウホワイトでは相性が悪い、と光流は思考を巡らせた。
ダイヤモンドは確かに地球上では最も硬い物質だが、最も強い物質ではない。高熱には弱いし劈開性もあるため適切な角度から衝撃を当てることができれば簡単に砕ける。そう考えるとスノウホワイトの氷でも角度さえ合わせることができれば盾を砕くことも可能だろう——が、相手もそれは理解しているはずだし、グラファイトが単純にダイヤモンドだけを作るとも考えにくい。
「くっそ、防御にダイヤモンドを使ってるのは分かるが、どう出るか分からんぞ!」
次々突破されていくトラップに、光流が悔しそうに呻いた。
「少なくともトラップは時間稼ぎにもならないな。くっそ、炭素を操ると考えたら——」
光流がそう呟いたとき、空気がひゅん、と音を立てたような気がした。
スノウホワイトの彩界で氷柱が軋んだ音ではない。空気そのものが
「——っ!?」
咄嗟に光流が身を伏せる。頭上を何かが通りすぎ、背後の氷柱が粉々に砕け散る。
「な——」
氷柱の破片を避け、光流が横に跳ぶ。
その際に視界を横切った氷柱の破片に、光流はグラファイトの能力を思い知った。
——カーボンナノチューブ!?
氷柱は砕けたのではない。
鏡面のように滑らかな切断面、敵対する
光流の読み通り、グラファイトの能力は炭素制御で間違いない。同素体に様々な物質がある炭素でその状況に最適なものを作り出し、攻撃にも防御にも利用する。
「——避けたか」
低い声が洞窟内に響き渡る。
声の方向に視線を向けると、そこに濃いグレーの少女と同じく濃いグレーに身を包んだ男がいた。
ゆるく開かれた男の両手は、一見何もないように見える。
しかし、それは
「グラファイトだからカーボンナノチューブも作れるって、わけですか」
男を見据え、光流が低い声で尋ねる。
光流の問いに、男は意外そうな顔をして、それからくつくつと笑いだした。
「いやあ、流石と言うべきか。もうグラファイトの能力を把握しているのか」
小さく頷き、男が軽く手を振る。
その動きの直後、周囲の氷柱が粉々に切り裂かれ、崩れ落ちる。
「そうだ。グラファイトの能力は炭素制御。カーボンナノチューブなんてグラファイトの元々の生成からすぐに作れる」
最も細い状態で0・4ナノメートルという細さを誇るカーボンナノチューブが肉眼で見えるわけがない。炭素分子数個分の太さしかないカーボンナノチューブを絡めればよほど強い分子の結合でない限り簡単に切断できてしまう。
「カーボンナノチューブの素材がグラフェンだからですか。グラファイトの単一層がグラフェンで、それをチューブ状にしたのがカーボンナノチューブってのは化学
「君、この状況でよくそんなことが言えるな。俺がこの手を動かせば君は簡単にサイコロステーキになるんだぞ? それとも、こうやって時間を稼ぐつもりか?」
光流の冷静さに、男は少し興味を持ったようだった。
普通、どうあがいても勝てないと悟ったり絶望的な状況に陥った人間は取り乱すか命乞いする。今まで倒してきた
それなのに、光流はカーボンナノチューブの威力にも、それを精密に制御する男にも臆することなく真正面から対峙している。
これは面白い、と男は内心ほくそ笑んだ。
光流が
だが、男はそれは甘い、と考えていた。
強い願いを持つ者なら屍の山を築いてでも願いを叶えるべきであって、願いの戦争から脱落した者は生きる価値などない、と思っていた。
光流の考えは甘すぎる。何を願っているのかまでは把握していないが、そんな甘い考えで勝ち抜けるほど
だから、その心を叩き折って殺す、そう決めてコバルトブルーをけしかけた。コバルトブルーの能力なら特性を理解しなければ勝てないし、勝てたとしても目の前で信念を折ればいい、とコバルトブルーの
「まさか、膝をついた君が再び立ち上がるとは思わなかったよ」
グラファイト、と男が自分の
「俺たちでこいつの心を今度こそへし折るぞ」
「了解した、
頷いたグラファイトの手にダイヤモンドの盾が出現する。
「さあ、俺をどう攻略する? スノウホワイト!」
男の声に、光流も大きく頷いた。
「やるぞ、スノウホワイト! こんなところで負けてられない!」
「ああ、往くぞ!」
スノウホワイトの姿が氷となり、刃となって光流の手に収まった。