先に動いたのはグラファイトの側だった。
男が手を振り、カーボンナノチューブでできた不可視の糸を周囲に展開する。
「っそ!」
相手の攻撃が視認できず、光流はただ後ろに飛び退るしかできない。
光流の足元の氷が
「スノウホワイトと相性が悪すぎる!」
『凍らせれば砕けるのでは?』
悪態をつく光流にスノウホワイトが提案する。
だが、光流は不可視の糸から逃れつつだめだ、と首を振った。
「炭素は温度変化に強いんだよ! 極端に温度変化する環境でも耐えられる素材として使われてるんだ、氷点下程度じゃ凍らせて砕くなんてできない!」
一応は高温に弱いと言っても最低でも数百度は必要だし、と続ける光流の中で、ほんのりとオレンジ色の光が明滅する。
『だとしたら私の炎はどうだろうか』
「オレンジ?」
提案してきたオレンジに光流が訊き返す。
『私の固有能力は炎。それこそ鉄を溶かす温度も操れる』
「なるほど、カーボンナノチューブもダイヤモンドも燃やせるな」
『しかし、私の炎ではグラファイトの契約の鎖は砕けない。あくまでも「自分が従える」
そうだった、と光流がルールを思い出す。
イクリプスによって得られた
オレンジの炎でカーボンナノチューブを燃やしつつ接近するか? と考え、光流はそれも難しいのでは、と思い直した。
流石のカーボンナノチューブも一〇〇〇度を超える高熱には耐えられない。としても広範囲にそれだけの炎を展開するには相当な
だが、この手は使える、と光流が感じたのも事実だった。
回避はできているが、周囲の氷の砕け方を見ているとカーボンナノチューブは広範囲に展開されているのは事実。それを一瞬で灼き尽くせば接近できる可能性は見えてくる。
となると——。
「って、無理か」
浮かんだ案に、光流は即座に実現可能性を否定する。
『
スノウホワイトが光流に尋ねる。
案があるのなら聞いておきたい、というスノウホワイトに、光流はうん、と頷いた。
「テルミット反応を使えば低コストで焼けると思ったんだけど——無理だな」
『どうして』
「テルミット反応ってアルミニウムと酸化した金属を反応させて高熱を発生させるものだけど、アルミニウムの調達ができない。酸化した金属は氷の微粒子で代替できるからスノウホワイトの力を借りればいいけど、アルミニウムは流石に……」
ああ、とスノウホワイトが納得したように頷く。
『確かに、この空間でアルミニウムなんて——』
『いや、できるぞ
この作戦は無理か、とスノウホワイトが意気消沈しかけた瞬間、不意に一人の
「君は——」
『ミッドナイトブルーだ。ったく、サクヤと違って甘ちゃんだな、君は』
光流の視界に映り込む夜を思わせる昏い蒼の少女。
スノウホワイトの隣に立ち、ミッドナイトブルーは真っすぐグラファイトを見据えた。
『私を使え。私ならアルミニウム粉末を生成することができる』
「え——?」
ミッドナイトブルーの思わぬ言葉に光流の動きが止まる。
「止まっていたら細切れだぞ!」
すかさず男がカーボンナノチューブを展開する。
半ばやけくそにその場に伏せ、横に転がるとカーボンナノチューブに巻き込まれ、切断された髪がはらりと落ちる。
「ミッドナイトブルーがアルミニウムを生成できるって、どういう——」
『サファイアだ』
『な——』
スノウホワイトも思わず声を上げる。
ミッドナイトブルーとアルミニウムとサファイアの因果関係が分からない。
だが、光流はサファイアと聞いてピンときたようだった。
「
光流は宝石に対してそこまで造詣が深いわけではないが、サファイアの青色がコランダムに含まれる不純物によって生まれるということは知っていた。その不純物がクロムか鉄でルビーとサファイアに分けられるということも。
しかし、サファイアとアルミニウムの因果関係は分かったとしてもミッドナイトブルーとサファイアの因果関係は分からない。この非常時にそんな因果関係を突き止める必要はないのに、光流の化学オタクとしての血が因果関係を求めてしまっていた。
はぁ、とミッドナイトブルーが光流の視界でため息をつく。
『特別に教える。サファイアの色の一つにミッドナイトブルーがある。ちなみに、最高級のコーンフラワーブルーに比べて安いから今の年頃で彼女に宝石をプレゼントしたいというならミッドナイトブルーサファイアはお勧めだぞ』
「……そりゃどうも」
——大きなお世話だ!
確かにスノウホワイトと出会うきっかけにもなった「彼女欲しい」だが、こんなところでそれを再確認させられるようなことは言われたくない。
絶対俺のこと嫌いだろと思いつつも光流はミッドナイトブルーを見た。
「手伝ってくれるか?」
『不本意だが、サクヤが悲しむのを見たくない。ああ見えてサクヤは君の勝利を望んでいる、それなら私もそれを望むまで』
「分かった、ありがとう!」
力を貸してくれるならその力を借りる。
「スノウホワイト!」
光流が氷の剣から手を離すと、スノウホワイトが元の姿に戻って光流の隣に立つ。
「わたしは氷の微粒子を作ればいいのだな?」
「ああ、ミッドナイトブルーと協力して派手にばらまいてくれ。オレンジ、着火は任せた」
『なるほど、私の炎を起爆に使うのか。了解した、タイミングは
オレンジも同意し、待機モードに入る。
「多分これなら必要最低限の
「取り込んだ
カーボンナノチューブを操りながら男が叫ぶ。
それに対し、光流はニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「だったら見せてやるよ! カーボンナノチューブも無敵じゃないってことを! スノウホワイト、ミッドナイトブルー、頼んだ!」
『了解ッ!』
光流の言葉に応じ、スノウホワイトとミッドナイトブルーが同時に能力を発動させる。
スノウホワイトは大量の氷の微粒子を、ミッドナイトブルーが一度
洞窟を満たすように広がった微粒子に、男ははん、と鼻で笑う。
「みんな大好き粉塵爆発ってか? 馬鹿が、その程度の燃焼温度でカーボンナノチューブを灼き尽くすなど——」
「オレンジ! 発火してくれ!」
男の言葉を遮り、光流が叫んだ。
『任された!』
オレンジが周囲に炎をばらまく。
眩く輝く火の粉が周囲に降り注ぎ——。
その輝きですら霞むほどの超高温の爆発が氷の洞窟を灼き尽くした。
「あちち……」
目を庇っていた両手を下ろして光流が目の前の男を見る。
テルミット反応と言えば一瞬で二〇〇〇度を超える超高温を発生させるものだが、いくら彩界内の
それに関してはスノウホワイトが自分たちの周囲を氷で覆い、さらに内部を急冷することで防御していたが、冷気による防御手段がないはずの相手はどうなったのか。
超高温に晒されたためにカーボンナノチューブが発火したのか、空中を細かい炎が舞っては消えていく。
男はというと前面にグラファイトを配置、周囲をダイヤモンドで覆ったのか炭化してはいなかった。だが、高温で炭化したダイヤモンドの壁はボロボロと崩れ去っていく。
「スノウホワイト!」
男の隙を見逃さず、光流はスノウホワイトを呼んだ。
スノウホワイトが即座に氷の剣となって光の手に収まる。
「うおおおおおお!!」
地を蹴り、光流は男に突進した。
空中を待っていたカーボンナノチューブは全て燃え尽きている。光流と男を隔てるものは何もない。
男の右手首に契約の枷を認め、光流は剣を振りかぶった。
「——っそ!」
明らかに余裕を失った男が新たにカーボンナノチューブを展開しようとするが、その時点で光流の剣は契約の枷を射程に捉えていた。
これを砕けばイクリプスが発生する、そう確信した瞬間、
「させない!」
グラファイトの声と共に、空気が切り裂かれた。