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第26話「最強を超えた最強へ」

 最初、何が起こったのか光流には理解できなかった。

 空気が悲鳴を上げ、次の瞬間に何かが通り過ぎたような感覚を覚え、さらに次の瞬間、激しい熱感が光流の右腕に襲いかかった。


「ああぁぁぁぁあっ!!」


 右腕を押さえ、蹲り光流が叫ぶ。

 だが、右腕を押さえようとした左手は空振りし、脇腹を掴む。

 光流の視線が地面に落ちる。

 赤く染まる視界に、同じく赤く染まった右腕が見えた。


彩響者コンダクター!」


 スノウホワイトが元の姿に戻って叫び、地面に落ちた右腕を拾い上げる。

 白いワンピースが赤く汚れるのもかまわず、スノウホワイトは光流の右腕を切断面に押しつけた。


 彩界内の彩響者コンダクターは常軌を逸する治癒能力を身に付ける。四肢を切断されたところで切断面がきれいなら切断面を合わせるだけですぐに接合できる。

 だからこのダメージは痛みとしては大きいかもしれないが戦力の低下は大したことはない。むしろ踏み潰されていたりした方が修復に時間がかかったかもしれない。


「大丈夫か、彩響者コンダクター


 痛みで意識を飛ばしかけている光流に、スノウホワイトが必死で声をかける。

 ここで意識を失ってしまえばどうすることもできない。スノウホワイト単体ではグラファイトとその彩響者コンダクターに立ち向かうことは難しい。


「うっ……ぐ……」


 脂汗を額に浮かべながら光流が苦しげに呻く。

 右腕が切断され、スノウホワイトが即座に対処してくれたのは意識の片隅で認識していた。もう接合されていることも指先に感覚が戻ったことで分かっている。

 それでも、グラファイトの攻撃で受けたダメージはあまりにも大きかった。

 数値だけで言えば大したことはない。だが、グラファイトが繰り出したカーボンナノチューブによる切断は同時に光流の心も切り裂いていた。


——勝てない。


 先ほどは確信していた勝利をもう確信できない。テルミット反応によるカーボンナノチューブの焼却は不意打ちとして利用できたとしても同じ手が二度通じるほど相手も無能ではない。


「よくやった、グラファイト」


 男が、蹲った光流の目の前に立つ。

 スノウホワイトが睨みつけるのも構わずに、男は光流を蹴り飛ばした。


「ぐぅっ!」


 痛みで動きが鈍り、反応が遅れた光流が蹴りをまともに受けて地面に転がる。


「まさかテルミット反応を使ってくるとはな——お前が支配した光彩ルクスコードは便利な奴が多いようだな」

「誰が……支配なんて……」


 苦しげに光流が呻く。

 痛みは少しずつ治まってきて、思考もクリアになってきているが、身体は思うように動かない。ダメージを考えればもう普通に動かしても問題ないはずなのに、身体が動くことを拒絶するかのように硬直している。


 まずい、とスノウホワイトが光流を見る。

 自分の左手首と右手首をつなぐ契約の鎖が可視化されるレベルで光流はこの戦いに消極的になっている。

 そこでスノウホワイトはようやく理解した。

 グラファイトはただ戦力を削るためだけに腕を切断したのではない。戦力を削るのならカーボンナノファイバーで腕を切断するのではなく、ダイヤモンドを散弾にするなどした方が効率がいいのだ。

 そう考えると、グラファイトとグラファイトの彩響者コンダクターが選んだのは——光流の心を折ること。


 そもそも、その直前のコバルトブルー戦で光流の心は一度折れていた。再起したとしても圧倒的な戦力で打ちのめせば簡単にもう一度折れてしまう。

 グラファイトの彩響者コンダクターは光流の心を折った上でなぶり殺しにする気だ。「誰も死なせない」という光流の誓いを、「光彩戦争クロマティック・イクリプスで犠牲になった全ての命の再生」を否定し、犠牲の上に成り立つ願いこそ真実だとその目に刻みつける気だ。


 男が再度光流を蹴り飛ばす。今度は光流も受け身を取り、すぐに体を起こすもののその目からは戦意が消えている。

 駄目だ、と光流が小さく呟いた。

 何に対して駄目だ、と言ったのかは自分でも分からない。

 グラファイトに対して勝てない、なのか、このままではいけない、なのか、それとももうどうしようもない、という諦めなのか。

 少なくとも、今の自分ではグラファイトに勝てない、という思いは大きかった。テルミット反応と粉塵爆発という奥の手は一度しか使えない、スノウホワイトの凍結能力では炭素を冷却して脆くさせるには一歩届かない。そしてグラファイトの彩響者コンダクターは光流の心を見抜いて確実に折りに来ている。


 こんなのを相手にして、勝てるわけがない、と光流の心は叫んでいた。

 もう無理だ、勝つことなんて、光彩戦争クロマティック・イクリプスを無かったことにするなんて無理だ、と光流は確かにそう思っていた。

 実際、光流の戦意が削がれたためか光流とスノウホワイトを繋ぐ鎖が可視化されている。戦えと言わんばかりに光を放つ鎖を目にして、光流はそれでも無理だと首を振った。


「ヒカル、」


 スノウホワイトが光流の名を呼ぶ。

 その声に、諦めが含まれていないことに気づき、光流はスノウホワイトを見た。


「諦めるな、考えろ。今までヒカルはどのような困難でも自分に持てる全てを出してきたはずだ」

「でも、そう言っても——」


 無理だ、と光流がもう一度首を振る。


「もう、何も手が浮かばない」

「それでも考えろ。光彩ルクスコードを信じろ」


 まだ手はあるはず、とスノウホワイトは光流を鼓舞する。

 それを見下ろしていた男がはん、と鼻先で嗤った。


「スノウホワイト、お前の彩響者コンダクターはもう戦えないようだが?」

「まだだ! まだ戦える!」


 精一杯の虚勢を張ってスノウホワイトが叫ぶ。


「ヒカルはこんなことで負けたりしない! わたしがいる限り——」

「なら、その結合も砕いてやる!」


 まるで勝利宣言のように、男が声を上げた。


「どうせこいつはイクリプスを発生させてから殺すつもりだった。だったら今お前を彩響者コンダクターから解き放ってやる!」

「やめ——っ!」


 光流を庇うようにスノウホワイトが両手を広げる。

 その左手首から伸びる鎖に、不可視の糸が絡み付いた。


「な——」

「バカが! 契約の鎖が見えていれば砕いてくださいと言っているようなものだろうが!」


 指先からカーボンナノチューブを放った男が高笑いする。


「結局、お前もただのルクスコード道具なんだよ! 他の個体に比べて自己判断できているようだが、それにも限度があるということか!」


 男が手を引くと、カーボンナノチューブが絡まった契約の鎖がくん、と引かれて揺れる。

 白い光を放つ鎖がまるで悲鳴を上げるかのように明滅する。


「どうした、このままだとお前が今までやってきた不殺のイクリプスが発生するぞ!」


 男が光流に向けて言い放つ。


「あ——」


 揺れ、明滅する鎖に光流が声を上げる。


——このままでは、スノウホワイトが——。


 鎖が砕かれれば全てが終わる。スノウホワイトを含めて今まで吸収した光彩ルクスコードは全て奪われ、恐らくはその後に光流も殺される。

 嫌だ、と思いつつも光流にはなす術がなかった。ただ、鎖が砕かれるのを見届けるしかできない。


 だが、そこで光流は違和感に気づいた。


——鎖が、砕けない?


 カーボンナノチューブは分子数個ぶんの太さしかないため、分子の結合を切り離すように切断する。わずかな例外を除き、ほぼ全ての物質を触れただけで切り裂けるはずだ。

 それなのに、男が放ったカーボンナノチューブに契約の鎖は耐えている。いや、このままだと砕けるのは時間の問題だが、それでも砕けないとなると考えられるのは——。


 まさか、という声が光流の口から漏れる。

 男は契約の鎖が即座に砕けなかったことに疑問を持っていない。つまり、気づいていない。


「ヒカル、」


 スノウホワイトの声が光流の鼓膜を揺さぶる。

 その声に今までのスノウホワイトとの交流を思い出す。


——まだ可能性はある!


 自分自身に言い聞かせたその言葉が、光流の全身に戦意を漲らせていく。


——信じろ。


 自分とスノウホワイトの絆を。

 自分たちの絆は、カーボンナノチューブであっても砕けない。


「スノウホワイト!」


 右手をスノウホワイトに伸ばし、光流が叫んだ。


「ヒカル!」


 スノウホワイトも叫び、左手で光流の右手を掴む。

 その瞬間、閃光が当たりを満たした。


「なっ!?」


 思わずカーボンナノチューブを切り離し、男が目を庇うように腕を上げる。

 閃光が迸ったのはほんの一瞬だが、男がカーボンナノチューブを手放したことで光流とスノウホワイトは後ろに跳び、体勢を立て直していた。


 光流が戦意を取り戻したことで明滅していた契約の鎖はこれでいいとばかりに消失している。


「なぜ砕けない!」


 ここで、男も契約の鎖を砕けなかったことに疑問を持った。

 カーボンナノチューブで切り裂けないものはないはずだ。分子の結合ですら断てるはずのカーボンナノチューブで、なぜ契約の鎖が断ち切れなかったのか。

 男をまっすぐ見据え、光流が声を張り上げる。


「カーボンナノチューブでも俺たちの絆は砕けない!」

「バカな、分子の結合ですら切り裂くんだぞ! 切れないものなど——」

「あるんだよ、バーカ!」


 そんなことも知らんのか、とばかりに光流が男を煽る。


「いやまじでカーボンナノチューブの結合は最強クラスだけどさ! ガラスも大概じゃないぞ! 不規則な分止められるんだよ!」


 それに、カーボンナノチューブは分子の結合を断てるとしても単分子ナイフみたいに分子の隙間に完全に入り込めるわけじゃない、と光流の化学オタククラスタとしての知識が確信する。


「アモルファス構造舐めんな! あんたのカーボンナノチューブが最強クラスの結合であっても、俺とスノウホワイトの結合きずなはもっと強い!」

「ヒカル——」


 戦意を取り戻した光流の声は強かった。

 何をしてこようとも俺とスノウホワイトの絆は砕けないと言わんばかりの光流の声に、スノウホワイトの心の奥底で光が灯る。


——勝ちたい。


 今までは光流のために勝利を得たい、と思っていた。

 だが、今は自分の意思で勝ちたい、と思う。

 こんな卑劣な彩響者コンダクターに負けたくない、グラファイトの炭素ですら凍り付かせるほどの冷たさが欲しい、そう願う。


 そんなスノウホワイトの手を光流が握る。

 共有される想いと全ての知識。

 これは今までから共有されていたものだったが、何故か今は知識としてだけでなく自分の力として理解できる。


——わたしは、ヒカルと共に勝ちたい。


 もっと強く、もっと冷たく、あらゆる氷よりも冷たい、絶対零度のその先へ——。

 とスノウホワイトの心が囁く。


「——ヒカル、勝ちに行くぞ」

「ああ、絶対に負けない!」


 二人が互いの手を強く握る。


「ヒカルが希望を捨てない限り、わたしは何度でも進化する。神ですら、わたしは超えてみせる!」


 決意を込めたスノウホワイトの宣言に、光流も力強く頷いて承認する。


「スノウホワイト、超えてみせろ!」


 その瞬間、純白の光が炸裂した。

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