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第27話「全てを奪う冬の女王」

 ——それは、天使のようだった。

 ——それは、妖精のようだった。

 ——それは、永遠の冬を統べる女王のようだった。




「あ——」


 しんと静まり返った空間に光流の声が反射する。

 目の前で揺れる白いオーガンジーシースルーの布。

 重なり合った薄布がひらひらと舞い、まるで吹雪のように視界を遮る。


 光流の目の前に立っていたスノウホワイトは彼の知るスノウホワイトではなかった。

 透けるような白い布を重ね合わせたドレスに鋭さを秘めた氷のような宝石があしらわれ、周囲の光を受けてキラキラと輝いている。

 頭には天使を思わせるような、それでいて全ての咎を背負うために用意されたかのような白い茨の光輪が輝いている。

 そして、背には白く輝く薄翅が広がっていた。


「……スノウ……ホワイト……?」


 かすれた声で光流が冬の女王に声をかける。


「——ヒカル、」


 どこまでも深く、鋭い声が、それでも優しく光流に返ってくる。


「わたしは負けない——ヒカルが勝ちたいと願う限り」

「——ああ!」


 気高さを秘めたスノウホワイトの声に一瞬気圧されたが、光流は大きく頷いた。


「俺は負けない! 俺の願いを叶えるためにも!」

「はっ、人を殺す覚悟もできない雑魚以下が何を言っても負け犬の遠吠えだ!」


 スノウホワイトの正面に立った男がそう叫ぶが、それに怖気付く光流ではない。

 むしろ今の男の叫びは精一杯の虚勢に聞こえた。

 負けない、今の自分とスノウホワイトなら絶対に負けない、そんな確信が光流の裡で光り輝く。


「くそ、いい気になりやがって! グラファイト、力を貸せ!」

「了解、彩響者コンダクター


 男とグラファイトが同時に動く。

 男はカーボンナノチューブを繰り出し、グラファイトがその死角を埋めるかのようにダイヤモンドの弾丸を放つ。

 だが、光流はそれに臆することなく、その場から一歩も動かなかった。


「スノウホワイト!」


 光流がスノウホワイトを呼ぶ。

 具体的な指示は出さない。そんな段階はもう通り越した。


「あいわかった」


 スノウホワイトが軽やかな動きで腕を振る。

 かすかに衣擦れの音が響き、次の瞬間——。


『っ!?』


 スノウホワイトと光流に迫っていた全ての物体が


「な——」


 馬鹿な、と男が声を上げる。


「そんな、何が——」

を奪った」


 静かに、スノウホワイトが言い放つ。


「だが、炭素は低温に強いはずだ! ましてやカーボンナノチューブもダイヤモンドも冷やした程度で消えるなど——いや、消えた?」


 物体が消失するなどあり得ない。あるとすれば別の場所への瞬間移動テレポートだろうが、スノウホワイトの固有能力は冷気のはずだ。冷やしただけで物体が瞬間移動するはずがない。


 それなのに、ダイヤモンドもカーボンナノチューブもはじめからなかったかのように消え失せた。


「——いや、違う」


 落ち着き払った光流の声が響く。


「消えたんじゃない、んだ」

「何を——」


 光流の言葉を、男は理解することができなかった。

 グラファイト炭素というある意味最強の元素を手に入れたことで男はこの光彩戦争クロマティック・イクリプスを勝ち抜いてきた。また、持ち前の話術で他の彩響者コンダクターを取り込み、手下として利用してきた。


 炭素の、それもダイヤモンドやカーボンナノチューブの結合は強い。結合が強いからこそ簡単には砕けないし切断することができない。

 それなのに、「分解された」とは。


 光流が一歩前に進み、スノウホワイトの隣に並ぶ。


「奪ったのはエネルギー……。いや、乱雑さエントロピーだ」

「……エントロピー?」


 男の眉が寄る。


「物質には熱がある限り動き続けるんだ。熱運動ってやつ」


 音すら分解されてしまったような静けさの中で、光流の声が響く。


「熱運動だけじゃない、分子の結合にもエネルギーが関わってる。でも、そのエネルギーが?」

「まさか——」


 まさか、そんなことがあり得るのか、と男が息を呑む。

 冬の女王となったスノウホワイトの固有能力は冷気温度を奪うのではなく、エントロピーの削減エネルギーを奪うというものなのか。

 単純に熱エネルギーを奪うのではなく、あらゆるエネルギーを奪い取る、そんなことができるというのか。


 いや、実際にそれができているからダイヤモンドが消失しているのだ。

 「エネルギーを奪った」と言われて男も理解できた。

 分子構造を維持するためのエネルギーが消失したからダイヤモンドもカーボンナノチューブも原子単位で分解されてしまったのだ。


 原子という肉眼で見えないものにまで分解されてしまえば人間の目から見れば消失した、と認識されるのも納得である。


「くそ、ここまでか……?」


 そう呟いて歯ぎしりする男はそれでも諦めていなかった。

 いくらスノウホワイトがあらゆる物質を原子単位で分解できるとなってもその相棒である彩響者コンダクターは弱い人間だ。心を折りさえすれば心の結合は脆くなる。

 どうする、と男は光流を睨みつけた。


 スノウホワイトの姿が掻き消え、光流の手に氷の剣が現れる。

 先ほどまでの単純な氷の塊でできた剣ではなく、磨き上げたガラスのように洗練された剣はカーボンナノチューブのように何でも切り裂かんとばかりに鋭く輝いている。


「あんたが何を言おうとも無駄だ! 俺は、あんたとグラファイトの契約を断ち切る!」


 光流が地面を蹴り、男に向かって走り出した。

 男を守ろうとグラファイトが前に回り、ダイヤモンドの槍を射出するが、それは光流が剣を一振りしただけで全て分解され、消失する。


「くそ——!」


 あと一歩、あと一歩で全ての願いが叶うと思っていたのにここで打ち砕かれるのか。

 駄目だ、負けるわけにはいかない、グラファイトのためにも——そう思ったところで男の身体が動いた。

 グラファイトの前に飛び出し、両手を広げる。


「——ッ!」


 男が前に飛び出したことで光流の動きが一瞬止まる。

 ここで剣を振り下ろせば男を切り裂く、その一瞬の判断が光流を躊躇させる。

 残された彩響者コンダクターは自分と男ともう一人の三人だ。この状況——男と光流が抱えている光彩ルクスコードの総量を考えれば最後の一人はただの消化試合だ。


 この戦いが実質の最終戦だ。ここで男を殺しても最終的な願いで全員の復活を祈れば男の死はなかったことになる。ここで男を見逃さなければいけない理由はどこにもない。

 それでも——。


「っそ!」


 光流が咄嗟に後ろに跳ぶ。光流と男の間にグラファイトが割り込み、ダイヤモンドの槍を射出する。

 もう無意味なそれを分解し、光流は男の右手首を見た。

 濃い灰色の契約の枷を視認し、どうする、と考える。

 あれを砕けば戦いは終わる。だが、グラファイトが邪魔になって決定打を打ち込めない。


『今のわたしの力ではグラファイトまで分解してしまう』

「——だろうな!」


 スノウホワイトの声に、光流も頷く。


「それでも! 俺は殺さずに契約を絶つ!」


 その光流の叫びに呼応し、光流の中の光彩ルクスコードたちが励起する。


『私たちの力で!』


 その声が重なり、光流からいくつもの光が虹のリボンのように伸びてグラファイトに絡みつく。


彩響者コンダクター!」


 動きを封じられながらもグラファイトが叫んだ。


「グラファイト!」


 男も叫び、グラファイトを拘束する虹のリボンをカーボンナノチューブで切り裂こうとする。

 だが、それによって無防備にも右手を晒すことになってしまった。


「隙あり!」


 光流が男の手首に剣を振り下ろす。

 契約の枷に叩き込まれる氷の剣。

 だが——契約の枷はその一撃で砕けなかった。

 むしろ鋭く光って光流の一撃を弾く。


「なっ!?」


 一撃を弾かれたことで光流は察した。


——こいつとグラファイトの絆は——。


 強い。自分たちの絆に匹敵する、と光流の本能が囁く。

 だが、スノウホワイトは強気だった。


『それでも、わたしたちの絆には及ばない!』


 光流の手の中で氷の剣が形を変える。

 まるで岩を砕くのに特化した杭型のハンマーのようになり、光流はもう一度それを振りかぶる。


「俺たちの絆とあんたの絆! 強い方が勝つ!」

「俺は負けない! グラファイトのためにも!」


 受けて立つとばかりに男が右手を突き出す。


「砕いてみろ! 俺とグラファイトの絆を!」


 男の契約の枷に白く輝くハンマーが振り下ろされる。

 その二つが触れた瞬間、衝撃波が発生し、周囲の氷柱を薙ぎ払った。

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