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1-20 ウィルソンの霧箱

 塾で毎週行われていた「特別テスト」……それ以降も毎週のように全科目満点、一位を連発した。その度に彼は毎晩、人知れず枕を濡らした。幼い彼には最早もはや、あのとき母が言った、「必ず母に感謝する日が来る」という言葉を信じる他なかった。


 卒業を間近に控えた小学校。その授業で課された卒業文集。課されたテーマは「将来の夢」だった。クラスメイトがサッカー選手、野球選手――と、なれるはずもないだろう夢を恥ずかしげもなく記す中、彼は「医者になりたい」と書いた。


 「ニュースの特集で観た、医者が患者の命を懸命けんめいに救う姿に感銘かんめいを受けた」――等ともっともらしい理由をつけて、つらつらと。母に怒られないように、そんな思いで僅か十二歳の彼がつづった大嘘だった。


「雪渚くんですが……普段通りの実力を発揮してくれればまず合格は間違いないでしょう」


「そうですか……!良かった。先生方のお陰です」


 塾で行われた三者面談。中学受験を間近に控え、塾の講師も、母も、彼の合格を確信していた。


 ――そして、運命の日が訪れる。中学受験当日。第一志望の中学校の入学試験の日がやって来た。第一志望とは言っても彼の第一志望ではなく、母の第一志望と言うのが正確だろう。


「――では、回答はじめ!」


 試験官の一声で、僅か十二歳の受験者たちは一斉にテスト用紙を開く。めくった紙には、彼にとってはあまりに簡単な問題が羅列されていた。そのとき、彼は思ってしまった。


 ――合格しなければ、この「地獄」は終わるんじゃないか?


 ――そして、数日後。通知が自宅に郵送される。そこに記されていた「不合格」の三文字にどうしようもなく心が踊った。合格を確信していたであろう母は愕然がくぜんとし、塾の講師も態々わざわざ自宅にまで謝罪に来るほどの事態になった。


「なんで……っ!なんで……雪渚が落ちるんですか……っ!」


「本当に申し訳ございませんでした……っ!我々の……指導不足です……」


 自宅の玄関で母に土下座をする塾の講師。彼は少しだけ心地良かった。自分を中心に、大の大人が振り回されている。


 激昂する母の背後で、彼は――静かにほくそ笑んでいた。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「――せつくん!せつくん!」


「あ……天音……?」


「せつくん……!良かった……!大丈夫ですか……?凄い汗ですけど……」


「田中氏……どうしましたかな?」


 ――なんだ……?この祠に触れた瞬間……記憶が……。


「少し目眩めまいがしただけだ。御宅、『モンクル』するんだろ?」


「そ、そうですな……。田中氏、鈴木女史、家に案内しますぞ」


「ああ、頼む」


 ――そう言えば御宅にはまだ本名を言っていなかったか。


 御宅が指し示すのは、祠から歩いて一分ほどの日本家屋。御宅が木の引き戸を開けると、温かな雰囲気の、畳が敷かれた空間が俺たちを出迎えた。御宅に促され、中央に置かれたちゃぶ台のそばに腰を下ろす。


「粗茶でありますが……」


 御宅が二つの抹茶茶碗を差し出しながら、俺たちの向かいへ腰を下ろす。そして、ちゃぶ台の下から『モンクル』――カードゲームのデッキケースを取り出した。俺の隣では天音が、正座の姿勢で心配そうに俺を見つめている。


「おう、悪いな」


「さて田中氏、早速『モンクル』やりますぞ!」


「そうだな」


 デッキをシャッフルし、ルール通りに並べながら、御宅は俺に言った。


「実は田中氏に頼みがありますぞ」


「頼み?」


「小生と異能戦の手合わせをお願いしたいのですぞ」


「突然だな」


「神級異能なんてお目にかかれるとは思っていなかったですからな……。この新世界で商人をやるのならば、異能は抑えておかねば話にならんのですぞ」


「そういや俺もお前を誘いに来たんだよ」


「誘いに……?」


「単刀直入に言おう。俺たちのクラン――〈神威結社〉にお前が欲しい」


 手札からモンスターを召喚する。俺の声に合わせて隣の天音が小さく頷く。


「クランの勧誘、というわけですな……」


「諸事情があって俺はこの新世界に詳しくなくてよ。この新世界を生き抜くための仲間が必要だと考えた。まず商人……竹馬ちくば大学の公開講義に足を運んだのもそのためだ」


「そういうことだったのですな……」


「御宅……お前は竹馬大学商学部の首席で商人として既に経験も積んでいる。コミュニケーション能力や人心掌握術も心得ている。俺としてはお前を誘うのは公開講義の時点で決まっていたんだがな」


「まず自分に興味を持ってもらう――というのが小生の商人としてのモットーですからな。神級異能を持つ田中氏にそう言ってもらえるのは光栄ですぞ」


 御宅は手札からカードを場に出しながら言葉を継ぐ。


「そろそろクランに入らなければ、と考えていたところですぞ。ありがたく田中氏のクラン――〈神威結社〉へ加入させてもらいますぞ」


「お、そうか」


「――と言うのはつまらないですな?小生との異能戦――小生を倒したら加入させてもらいますぞ」


「成程。だろう」


「せつくん……お身体が優れないようですし、あまり無理をなさるのは……」


「なに、問題ない」


 ――御宅の獲得だけじゃない。さっきので確信した。この〈淡墨エリア〉で俺は、記憶を取り戻せる。


「――よし、『剣嵐白虎けんらんびゃっこビャッコベルク』でフィニッシュだ」


「ぶひっ!?負けましたぞ!」


「やるか、異能戦」


「やりますぞ!」


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 天音、御宅と共に外へ出ると、再び、白い絨毯じゅうたんと満開の寒緋桜かんひざくらが俺を出迎えた。美しい寒緋桜に囲まれた、先刻の祠の前の広場まで辿たどり着くと、俺と御宅は一定の距離を取って向かい合った。


 日本の風情を残すその集落に、似つかわしくないメイド服に身を包む天音が、少し離れた場所でその様子を静かに見守っている。冷たい風が頬をなぶる。これから始まる戦いを予感させるように空気が震えていた。


「それにしても見事な寒緋桜だな」


「祖母とこの寒緋桜は、この〈淡墨エリア〉に暮らす人々の自慢ですぞ」


「そうか……」


 ――寒緋桜。冬から早春にかけて咲く桜。


「両親を早くに亡くした小生にとって祖母は、小生の親のような存在でしたぞ。医者として多くの人の命を救った立派な人で……小生にとっても誇りですな。寒緋桜は祖母にとって、小さい頃に大好きだった人との大事な思い出だとよく聞かされましたぞ」


「大事な思い出か……」


「祖母が小さい頃に大好きだった人。その人とまた会えるように、この寒緋桜を見ればきっと私に気付いてくれると――そんな想いで満開の桜を咲かせたのですぞ」


「お婆さんはその人と会えたのか?」


「いや……残念ながら、それは叶わず、祖母はこの世を去ってしまいましたな」


「そうか……」


「おっと、暗い話してしまいましたな。異能戦でしたな」


「おう」


 ――御宅 拓生。使う異能は偉人級異能の〈霧箱ウィルソン〉。亜空間にモノを収納して持ち運ぶ異能――ここから推測できる戦闘スタイルは、モノを巧みに使った戦法か。


 黒いスキニーパンツのポケットからスリングショット――〈エフェメラリズム〉と弾を取り出す。程なくして、対峙する二人の間に、冷たい風が吹き付けた。それは、暗黙のうちに、開戦の合図となった。


「いきますぞ……!」


 御宅が、何もない虚空から突然取り出したものは――マジックハンド。その白い手が眼前まで迫る。その瞬間、視界が一気にぼやけた。


「なっ……!」


 ――眼鏡を盗られたのか……!


「度が入った眼鏡のようですな!対眼鏡使いの異能戦で眼鏡を奪うのは初歩中の初歩ですぞ!」


成程なるほど……お前そういう感じかよ……」


 〈エフェメラリズム〉を構え、銀色のパチンコ玉と一緒にゴム紐を引っ張る。手を離すと、勢い良くパチンコ玉が射出される。


 ――実はパチンコ玉は市販されている。当然パチンコ店に持ち込んで換金すれば詐欺罪で逮捕されるが、個人で入手すること自体は容易だ。


「昨晩のパチンコですな……!ほっ!」


 御宅は、奪い取った俺の茶色のカラーレンズが入った金縁の眼鏡とマジックハンドを亜空間に収納し、取り替えるように次に手に取ったのは――ブルーシート。御宅はブルーシートを両手で広げ、盾のように自身の前に張った。


 ぼすっ、という音を立てて急激にパチンコ玉が減速。そして積雪の上に落ちた。


「コポォwww神級異能相手に善戦してますぞwww」


「おいおい俺はまだ異能使ってないんだぞ。イキるなよオタクくん……」


 瞬間、俺のぼやけた視界を、萌えキャラの顔が覆う。すると、その直後、全身に強い衝撃が走った。


 ――突進タックル……!


 俺の身体が、両足を白い絨毯に着けたまま、後方にずり下がる。右手に力を込め、開いたてのひらを眼前の巨漢の腹に叩き込む。必殺の――発勁はっけい


「うぐっ……!」


「うぐっ……で済むかよ……。マジかこいつ」


 御宅は前傾姿勢で腹を抑えた後、直ぐに構えた。そして再び、虚空に手を伸ばすと、そこから掌サイズの筒を一つ取り出した。その遥か後方――先程まで御宅が立っていたであろう場所にはブルーシートが捨てられている。


「小生の突進でダウンしないどころか立ったままとは……どんな体幹してるのですかな……?」


「御宅……お前こそやるな……。正直舐めていたが期待以上だ」


 ――マジックハンドで俺の眼鏡――すなわち視力を奪い、視力が落ちて反射神経がにぶった状態の俺に、かさず巨漢を活かしてのタックル。御宅 拓生――此奴こいつは……間違いなく――強い。


「まだまだいきますぞ!」


 御宅は虚空から取り出した筒――発煙弾を、白い雪の上に投擲とうてきする。モクモクと広がる煙――それが晴れると、御宅は再び俺から一定の距離を取っており、その傍には大きな鉄製の古い大砲が設置されていた。砲口を此方こちらに向け、砲身に砲弾を込めている。


「御宅……お前……」


「マジモンの大砲ですぞ……!」


 〈エフェメラリズム〉のゴム紐をパチンコ玉と共に引っ張り射出する。ぼふっ、と音を立てて御宅の肥満体の腹に直撃した。


「――痛いですぞ!」


『掟:発砲した者は、全身に磁力を帯びる』


 不明瞭な視界の中、俺が再び〈エフェメラリズム〉のゴム紐を引っ張るのと同時に、御宅は大砲の導火線に着火した。両者のパチンコ玉と砲弾が勢い良く発射される。


 迫り来る砲弾を片手で受け止め、そのまま雪の上に下ろす。一方、パチンコ玉が腕に直撃した御宅は、まるで引き寄せられるかのように、背中から大砲の砲身に張り付いた。


「ぐぬおっ……!?なんですかな……!?」


 御宅は離れようと藻掻もがくも、強力な磁力を帯びた御宅の巨体は、鉄の砲身からは離れない。俺はそんな御宅の下へと歩み寄った。冷たい風が、勝負を見守っていた天音の白い髪を優しく撫でた。


 ――「発砲」とは「大砲や鉄砲を撃つこと」を指す。「スリングショットを発砲する」とは言わないように、今回の掟は大砲を撃った御宅にのみ適用され、罰を受けたのだ。


「田中氏……よくわかりましたな。あれが砲弾ではないと」


「ただデカいだけの鉄球だろ。お前のお婆さんが咲かせた、このエリア一帯に広がる満開の寒緋桜を消し炭にするつもりはないだろうからな」


「だとしても受け止めるとは聞いてませんぞ……。もし小生が話した祖母の話がまるっきり嘘だったらどうするつもりだったのですかな?」


「お前がさっき浮かべた涙は嘘じゃない」


「……完敗ですぞ」


「そうか……」


 満開の寒緋桜がその決着を見守っていた。ひらひらと、ひらひらと、桜色の花弁が雪の上に舞っていた。

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