レンジでホットタオルを作ると、晴翔が綺麗に理玖の体を拭いてくれた。
自分でしようとするので、理玖がタオルを奪い取って晴翔の体を拭いた。
「前は電車通勤してたんですけど、最近は車で来るようにしてて」
晴翔の運転で帰路につく。
さっき思い付いた推論を、理玖は早速ノートPCに走り書きしていた。
「もしかして、予定があった? そういう時は断ってくれていいよ」
「俺が車で来てるのは、理玖さんが倒れた時に家まで送り届けるためです。理玖さんより優先すべき予定は、俺にはないです」
顔を上げた瞬間に、間髪入れずに返事が返ってきた。
(じゃぁ、弁当を盗まれた日以降から車で来てるのかな。僕が知らないところでまで、気遣ってくれていたんだ)
嬉しいし照れくさくて、思わず目を逸らした。
「理玖さんが自分から家に誘ってくれたのに行かないとか有り得ないです。理玖さんも明日、お休みでしょ?」
世間はもうすぐGWだ。明日は最初の祝日にあたる。
大学職員は土日以外、基本は出勤だが、明日は休みだ。
「うん、そうだけど」
「泊まっても、いいですか?」
泊り、と聞いて理玖の胸がときめいた。
(ぴったりくっついて一緒に寝られる……)
にやけそうになって自分の顔を手で覆った。
そんな理玖を晴翔が、ちらちらと窺う。
「その顔は、OKで良いですか」
「……うん、いいよ」
小さな声で返事を返す。
ちらりと運転席の晴翔を窺う。とても嬉しそうな顔をしているので、良かったと思った。
(ついさっきまで、ただの職場の同僚だったのにな。関係性は一瞬でこんなにも変わるものなんだ)
とても不思議な気持ちだ。
(僕らは、恋人、で……、いいのだろうか。spouseは婚姻より強い結びつきだけど、法的な婚姻関係を結ぶカップルばかりじゃない。晴翔君と僕は、どうなんだろう。世間一般的にいう、恋人というものに、なったのかな……。その先は、結こn……)
自分の先走った思考に照れが増して、今は考えるのをやめた。
「途中、どこかに寄って、色々調達していく? 僕の部屋着じゃ小さいだろうし」
晴翔は背が高いから、理玖の服では足が10㎝は足りない。
「お泊りセットを車に積んでいるので、大丈夫ですよ。一通りは入ってます」
「え? なんで?」
普通に疑問が口から滑り落ちた。
晴翔がこの事態を想定していたとは思えない。だとしたら、他に泊まる場所や予定がある状況だ。
「もしかして、他に泊まる予定あった?」
ちょっと泣きそうな気持ちで聞いてみる。
理玖をちらりと眺めた晴翔が、信号で車を止めた。
突然、顔が近付いて、かすめ取るように口付けられた。
「そんな泣きそうな顔されたら可愛くて我慢できない。俺が他の人の家に泊まるの、嫌?」
妖艶に笑まれて、言葉に詰まる。
「……だって、先に予定があったら、申し訳ない、から……」
晴翔が理玖を、じっと見詰める。
その視線に耐えられずに、理玖は観念した。
「……僕以外の誰かと二人で過ごしている晴翔君は、想像したくない」
頭の後ろを抑えられて、さっきより深い口付けをされた。
信号が青になると、晴翔は普通に車を走らせた。
「素直じゃない理玖さんも可愛いけど、素直な理玖さんはもっと可愛い」
上機嫌で運転している晴翔をぼんやり眺めた。
(晴翔君、ずっとご機嫌だ。僕と、恋人、になって、嬉しいって思ってくれてるんだ)
胸がこそばゆくて甘く締まる。
「お泊りセットは仕事用ですよ。元々、警備員不足で男性事務が夜間警備に駆り出されていたんですけどね。昼間の警備員を増やしたら夜間の警備員が減ったとかで、二月くらいから回数が増えたんです。基本はシフトに入るんですが、急に変更とかお願いされたりするので、念のため車に積んでるんです」
「そんな仕事までしてるの。大変だね」
晴翔がくれた説明には、呆れる他ない。
言われてみれば二月くらいから、午後二時に晴翔が来ない日が増えていた気がする。
(日中の警備員は覆面警官じゃないのか。本当に、ただの噂なのかな。僕の助手といい、慶愛大は事務員に負担をかけすぎだな)
どちらにせよ、これ以上、晴翔の仕事が増えるのは困る。
理玖の助手から外されてしまう事態だけは、あってほしくない。
晴翔がニコニコと理玖に視線を向けた。
「安心、した?」
理玖に向けた晴翔の顔がイケメンで可愛すぎて眩しい。直視できないキラキラ笑顔なのに直視してしまった。目が潰れそうだ。
「半分、くらいは。晴翔君の仕事が増えて、疲労で倒れないか心配になったよ」
理玖の不安は払拭されたが、新たな不安が浮上した感じだ。
何故か晴翔が満足そうな顔で笑っている。
不思議な目を向けると、晴翔が気付いた顔をした。
「理玖さんが、何の抵抗もなく晴翔君って呼んでくれるのが、嬉しくて」
理玖の心拍が走った。
「晴翔君だって、僕の名前……」
晴翔に下の名前で呼ばれたのは、今日が初めてだ。呼ばれるたびに嬉しくて、さっきからずっと胸キュンしている。
「俺は……、心の中ではずっと理玖さんって呼んでたから、あんまり抵抗ないです」
振り返った晴翔の顔が若干照れて見える。
晴翔の照れ顔は貴重だ。それだけでも眼福なのだが。
(晴翔君も僕と同じように呼んでたんだ。しかも、ずっと、って……。ずっと、だったのか。どうしよう。キュン死しそうだ)
どれくらいずっとかわからないが、ずっとという形容は短い期間ではないだろう。
(ずっと、お互い、好きだった。僕が甘い蜜の香りに気が付いた時には、きっと、もう)
そういう気持ちで、今までの晴翔との関わりを振り返ると、違って見えてくる。
理玖はノートPCを閉じて、晴翔の左手に手を伸ばした。
「……邪魔じゃなかったら、家に着くまで、握っていたい」
正面を向いたまま、小さく呟く。
晴翔が理玖の指に指を絡めた。
「spouseになると、理玖さん、こんなに甘えてくれるんだ。幸せ過ぎて心臓止まりそう」
晴翔が嬉しそうに握る手に力を籠めた。
「心肺蘇生するから、大丈夫だよ」
握った手を持ち上げて口付ける。
晴翔が息を飲んだ。
「早く、帰りましょうね」
ナビを確認して走らせる車のスピードが、幾分か上がった気がした。