舞踏会の日は青い空が広がっていた。舞踏会の時間が近づき、空が赤から青のグラデーションを描いた頃、リリーは両親と馬車で王宮に向かった。
「リリー、くれぐれも目立たないようにするんだよ」
「わかっているわ、お父様」
「リリー、ロバート王子に近づかないようにね」
「ええ、お母さま」
アーチャー家を乗せた馬車は、ガタガタと道をはしる。流れていく景色の中でリリーはぼんやりと窓の外を眺めては、ため息をついていた。
馬車が王宮に着いた。すでに、たくさんの馬車が列をなしていて、人があふれている。リリーたちは受付をしている兵士の指示に従い、馬車を降りて舞踏会の会場に向かった。
人混みの中を進み王宮に入る。王宮の広間は、大理石で作られた壁も柱も白く輝いていて、まるで美術品のようだ。壁に掛けられた王家の肖像画の美しさに、リリーは思わずため息をもらした。
「王宮って、やっぱり素敵ね」
リリーがつぶやくと、グレアムが頷いた。
「ああ、そうだな」
リリーがあたりを見回していると、オリビアがリリーにだけ聞こえるくらいの小さな声で言った。
「リリー、きょろきょろとあたりを見ないでね。落ち着きがなくてみっともないですよ」
「ごめんなさい、お母様」
リリーはあわてて前を向いた。
大広間では令嬢たちがさざめくようにおしゃべりをしている。人混みの中、音楽が響きだした。シャンデリアの光に照らし出される色とりどりのドレスをまとった令嬢たち。令嬢をエスコートする紳士。楽団が奏でる華やかなメロディー。大きな花瓶に生けられた色とりどりの花。
ああ、なんて素敵な舞踏会だろう、とリリーはうっとりしている。毎年、舞踏会の華やかさは増している気がした。
よそ見をしていたリリーの目の前が、突然開けた。
「……あ」
「……?」
見上げた目線の先にはロバート王子がいた。
目が合ってしまった。
リリーが目線を動かし、ほかの令嬢たちの様子をうかがうと、皆ロバート王子とは目を合わせないように、うつむいているようだ。
ロバート王子を思いがけず間近で見た私は、その凛々しさにぼうっとしてしまった。
細身だがしなやかな体にまとった燕尾服から覗く手と首は、少しだけ日に焼けた健康的な淡い褐色だ。私より顔一つ分上にある、薄い青色の瞳に目が吸い寄せられる。
「なんだ? 私の顔に何かついているか?」
「……美しい瞳が」
リリーが素直な感想を述べると、ロバート王子の口元がゆがんだ。
「……面白いな、お前。そうだ! 婚約者はお前にしよう!」
「!! 嫌です!」
ロバート王子の言葉に私は反射的に答えていた。
会場のさざめくようなおしゃべりが止まり、楽団の音楽だけが鳴り響いている。
「……嫌だと?」
ロバート王子の良く響く声を聞き、リリーは我に返った。ロバート王子から目をそらすことも出来ずに固まっていると、ロバート王子は右眉を上げた。
会場は沈黙に包まれている。その静けさを破ったのは、ロバート王子の楽しそうな笑い声だった。その目は面白いおもちゃを見つけたかのように、生き生きときらめいている。
「気に入った! 今日この瞬間から、お前は私のものだ!」
リリーは立ち尽くしたまま、全身から血の気が引いて行くのを感じていた。
――なんてことなの! あれだけお父様にもお母さまにも気を付けるように言われていたというのに!
おぼつかない足取りで後ずさると、グレアムとオリビアがリリーを支えた。
「お父様……お母様……」
「リリー……仕方ない。覚悟を決めなさい」
「……え? でも……」
「王子の申し出を断れるはずがないだろう?」
「……はい」
リリーはお父様に支えてもらって、なんとか立ち続けた。
ワルツが奏でられはじめ舞踏会の会場はまた、賑やかな話し声につつまれた。
***
舞踏会が終わり、一週間が過ぎた。
あれから、かわりなく平凡な日々が続いている。
ロバート王子の「俺のものだ」という宣言は戯れだったのだろうと、リリーは安心し始めていた。
「俺のもの、なんて初めて言われたわ。ロバート王子って冗談がお好きなのね」
リリーがのんびり部屋でくつろいでいると、ドア越しに執事が私に声をかけた。
「お嬢様、贈り物が届いています」
「え?」
「広間に運んでおきました」
「……ありがとう」
「お手紙も届いております」
「ありがとう」
ドアを開け、執事から受け取った手紙を裏返す。手紙には王家の蝋印が押されている。
「え? 王宮から!?」
手紙を開けて中を見る。そこには<礼は要らない。ロバート>とだけ書かれていた。
急ぎ足で広間に向かうと、そこには彫刻や南国の鳥のはく製、ペンダントや髪飾りがところせましと並べられていた。
「どうしましょう! こんなに高価なものをこんなにたくさん……! 受け取れないわ!」
困っていると、グレアムがやってきた。贈り物の数々を見て目を丸くしている。
「これはどうしたんだい? リリー」
「ロバート王子からの贈り物です。受け取る理由がありません。お返ししなければ……」
「そうだな……。何かの間違いだろう」
グレアムは少し考えた後、私に言った。
「一緒に王宮まで返しに行こう。ロバート王子に謁見したいと手紙を書くから、返事が来るまで待ちなさい」
「はい、お父様」
グレアムはさっそく手紙を書くと、召使に王宮にそれを届けるように言った。
一週間後、ロバート王子から返事が来た。グレアムがリリーに見せた手紙には<王宮で待つ。ロバート>とだけ書かれていた。