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第19話 孝志の告白③

タカ君には6年付き合って結婚を考えていた彼女がいた。収入が安定したらと考えていたが、彼女の方が待ちきれずに他の人へと気持ちが傾いて妊娠し別れた。その彼女がこの前会った愛さんで久々に会った時には離婚をしていた。


この気持ちはなんだろうか、悲しいのか、苦しいのか、泣きたいのか分からない。頭の中がぐちゃぐちゃで言葉が出てこない。


「……そうなんだ」

やっとのことで私が絞り出した言葉はひどく掠れていた。


「愛さんのこと、今でも……」

言いかけて言葉を飲み込んだ。聞くのが怖かった。もしまだ少しでも気持ちが残っていると言われたら私はどうすればいいのだろう。


タカ君は少し間を置いて静かに言った。

「愛のことは、もう恋愛感情としては全くないよ。もちろん6年も一緒にいたから、色々な思い出はあるし大変な状況だと聞けば心配もする。でも、それは昔一緒にいた人間としての情で、今は奈々だけだよ」


タカ君の言葉は私の胸にじんわりと染み渡った。彼の真剣な眼差しが嘘偽りのないことを物語っているように感じた。それでも、心の中に巣食った小さな棘のようなものがチクチクと痛む。


「でも……私に隠していたのはどうして?心配させたくなかったから?」


「それもある。過去のことで奈々を傷つけたくなかった。それにもう終わったことだと思っていたから、わざわざ話す必要もないかなって……」


タカ君の言葉はもっともだと思った。過去は過去。今の二人の関係には関係ないのかもしれない。でも、わざわざ言うことではないと思うが、他の人を通して知ったこととで私だけが知らなかった事実にほんの少しだけ距離を感じ寂しかった。


「そっか……」

もう一度私は小さく呟いた。



「さっきも話したけどそれから4年、ずっと一人だった。誰とも付き合う気になれなかった。愛に未練があるわけじゃなくて、こんな思いするなら恋愛はもういいかなって、思ってしまったんだ」


タカ君は私の方をゆっくりと向いた。その瞳は深く悲しみを湛えているように見えた。


「そんな俺だったけど、奈々と付き合ってみようと思ったのは、奈々の明るさとか、いつも一生懸命なところとか、正直ですぐに顔に出て嘘のつけない純粋なところとか、この子なら信用できるかもって思ったんだよね。」


タカ君の言葉一つ一つが私の心に深く突き刺さった。彼の過去の痛みを知って、今、隣にいることがなんだか奇跡のように思えた。

でも、本当のところはどうしたらいいのか分からなかった。元カノ。6年。結婚。浮気。離婚。一人で子育て。まるでドラマのような展開が、タカ君の過去に確かに存在していたという事実に私はどう向き合えばいいのだろう。



沈黙が再び車内を包んだ。波の音が遠くから聞こえてくる。さっきまでの張り詰めた空気は少し和らいだもののまだ重い何かが心に残っていた。


「ごめん、隠していたことも、急にこんな話をして動揺したよね」

「…………うん。正直、ビックリしすぎて混乱している。話してほしかった気持ちもあるし、話しにくい気持ちも、あえて自分から話すことではないと思う気持ちも分かるから私もどうすればいいか迷ったと思う。……だから、話してくれてありがとう。」


そう言うと私は涙が溢れてきてボロボロと泣いていた。


「ごめん。もう、どうして奈々がそんなに泣いているんだよ。」

悲しそうな顔で苦笑するタカ君を見ているのが切ない。


「だって、だって……。その時のタカ君の気持ち考えたらすっごく辛かっただろうなって。悲しくて、苦しくて、嫌なのに誰にも言わずに抱えてきたと思ったら、なんかすっごく切なくて、今、苦しい。」

「そっか。ありがとう」

両手で涙を拭う私を見て、先ほどよりも柔らかい笑顔で頭をよしよしと撫でる。


「ごめん、今だけ甘えてもいい?」

そう言ってタカ君はゆっくりと手を伸ばして私の手を握った。いつも手を繋いでいるのに今日はとても切ない。


「……今だけじゃなくていい。頼りないかもしれないけれど、いつでも、もっともっと甘えてきて」

手を繋ぐだけでは抑えきれず、私は運転席へと身を乗り出しタカ君に抱き着いた。


最初に心の中で爆発しそうだった怒りはどこかへ消えていった。代わりに、今までタカ君が背負ってきた孤独や哀しみを考えると胸が苦しくなった。他の人にとられた悔しさ、恋人が去って行く悲しさ、そして幸せを願ったはずが別れていたことを知るなんとも言えない気持ち。この重い気持ちが目に見える形だったら、半分こして分け合いたい。アイスを半分こするようにこの気持ちも分け合って軽くしたい。一人で食べる時よりも二人で分け合うアイスの方が甘く楽しく幸せを感じるように、苦しさや哀しみも半分こして、そしてそのうち、苦しさのスペースをふたりの楽しい想い出のスペースへと変えていきたい。


今まで甘酸っぱいときめく恋愛ばかりを求めていた。一緒にいるとドキドキとときめいて胸が高鳴り、好きが爆発して苦しくなるほど相手を思う甘く楽しい恋を求めていた。

しかし、この時、楽しいだけの恋ではなくもっと色んな感情も知りたいと思った。まだ付き合ってからの期間は半年ほどで愛さんと築き上げたものには到底及ばないけれど、これからタカ君との時間をもっと濃く、深く、誰にも負けないものにしていきたいと思った。


「付き合ってくれてありがとう。」

少し震えた声で言うと私の左頬にタカ君の涙が伝う。いつもは冷静で頼りがいのあるタカ君が見せた涙。悲しいはずなのにどこか愛おしく感じ、私はその生ぬるい雫を唇で吸い取った。


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