庭に盛り上がった土が、ボロッと崩れた。
気を失っていた蛇々が目を覚ましてしまったようだ。
土の中から、濁った赤い目が蒼を睨みつけた。
「クソガキが。人間如きが調子に乗るなよ。二人纏めて生きたまま喰ってやる」
土くれの中から蛇々の腕が伸びる。
蒼は芯の体を抱え込むと、蛇々に向かって手を翳した。
霊力を放つより早く、白い影が蒼たちを庇うように現れた。
フワフワでサラサラな、大きな美しい銀髪の妖狐だった。
妖気の気配で紅だと、すぐにわかった。
「俺のモノに何をしている。これ以上、傷付ける気なら、この場で殺すぞ」
凡そ普段の紅からは想像もできない程、恐ろしい声音が響いた。
「なんだ、帰ってきたのか。今回は盗み失敗だ」
土を払い除けると、蛇々は何事もなかったように踵を返した。
「貴重そうな方は無事だ。一人死にかけてるが、もう溶けそうな人間だから、どうでもいいだろ。どうせ喰うのだから変わるまい。それより、随分と良品を仕入れたな。奴隷ではないんだろう? 番にでもするのか?」
蛇々が、ベラベラとよく話している。
流暢に話しているというよりは、怯えを隠しているように見えた。
「今はお前に構う暇はない。去れ。もし次、同じ振舞をすれば確実に殺す。手加減はしない」
紅に睨みつけられた蛇々が、あからさまに怯えた。
「そう怒るなよ。たかが人間だろ。必要なら今度、ウチの奴隷を分けてやる。お前の所の死にかけの子供と違って、生きが良いから美味いぞ」
紅がゆっくり息を吐きながら、睨む目を強めた。
慄いて後ろに下がった蛇々が、今度こそ屋敷の壁に登った。
「わかった、悪かった。だが気を付けろよ、紅。その人間を欲しがる妖怪は、きっと俺だけじゃないぞ。盗まれぬよう、精々管理するんだな」
蒼を指さしてニタリとすると、蛇々は姿を消した。
「蒼、芯!」
紅がいつもの人型の姿に戻って、蒼と芯に駆け寄った。
芯の腹の木片を見詰める。紅の目が、芯の顔に向いた。
「芯、すまなかったね。痛かったし、怖かったろう」
蒼の腕から芯の体を受け取り、膝に抱いた。
「紅、さま、おれ……、蒼を守りたかったんだ。けど、蒼に、守ってもらった。蒼は、強い、魔法使い、だった」
紅の指が芯の頬を撫で続ける。
その手に芯が手を重ねた。
「俺は、守れなかった、けど。これからは、紅様が、蒼を守ってくれる、よね?」
芯の震える手を紅が掴み直した。
「勿論、守るよ。芯の分まで、俺が守る。芯も充分、蒼を守ってくれたよ」
芯が安堵した顔で笑んだ。
「良かった……。蒼には、幸せに生きて、ほしいんだ。理研で、産まれた、bugでも、幸せになれるって、証明して、ほしいん、だ……」
芯の息が上がる。
浅い呼吸を促迫に繰り返す。
そんな芯を包むように抱いて、紅が芯の白い頬を撫で続けていた。
「芯……、芯……」
蒼は思わず芯に寄った。
紅の撫でる手に手を重ねる。
「俺は溶けて、蒼は、番になって、幸せに、なろう、な……」
流れる涙の止め方がわからない。
頷くことも出来ない。
「蒼は、泣き虫、だな。悲しくても、悲しくなくても、すぐに、泣く」
震える芯の手が伸びてきて、弱々しく蒼の涙を拭った。
「ごめん、もう泣かないから。これからは、ちゃんと笑うから。幸せになって、いっぱい笑うから。理研で産まれても幸せになれるって、証明してみせるから」
芯の口元が弱く笑んで、震えた。
「泣いても、紅さまが、涙、拭って、くれる。これからは、安心して、笑って、泣けよ。もう理研に、いた頃とは、違うだろ」
理研に居た頃より蒼の表情が増えたと芯が笑って話してくれたのはついさっき、ほんの数分前だ。
(安心したって、言ってくれた。溶けるまで、もっと遊ぶって約束したばかりなのに)
悲しくて悔しくて、蒼は項垂れた。
蒼の手から、芯の手が力なくするりと落ちた。蒼は思わず顔を上げた。
落ちた手を懸命に持ち上げて、芯が小指を出した。
「幸せに、生きるの、諦めないって、約束、な」
蒼は迷いなく芯の小指に自分の小指を絡めた。
「約束する。絶対、諦めない」
グズグズの蒼の泣き顔から、芯が紅に目を移した。
「俺、もう紅様に、溶けられる? 早く、一つに、なって、俺も幸せに、なりたい」
芯が自分から、紅に溶けたいと希望した。
それはつまり、もう、命が消える証だ。
「なれるよ、芯。いつもよりずっと気持ち悦くなって、幸せになろう」
紅の手が芯の頬を、するりと撫でた。
「良かった。気持ち悦くなって、紅様に溶けられるんだ……」
芯が嬉しそうに笑んで、目を瞑った。
紅が芯の額に口付けた。
「ありがとう、芯。俺の所に来てくれて、ここに居てくれて。最後に溶けてくれるのが芯で、良かったと思ってるよ」
紅の手が芯の胸に触れて、優しく撫でる。
芯の腰が震えて、体が紅の妖力に包まれる。
「ぁ……、温かいの……きもちぃ、溶け、る……」
芯の顔が嬉しそうに笑んだ。
紅が芯の額を強く吸い上げると、芯の体の輪郭が歪んだ。
魂が芯の体ごと紅の中に流れ込んだ。
腕の中にいた芯の姿は消えて、紅の腹の中に魂の気配を感じた。
「やっぱり芯も、美味しいね……」
そう呟いた紅は、とても悲しい顔をしていた。