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第23話 名前の契り

 黒曜が言う「名前の契り」を行うため蒼たちは、奥の間に移動した。

 紅と黒曜が向かい合って座っているのだが、何故か蒼は紅の膝の上に座らされている。


「あの、紅様。この座り方は、黒曜様に失礼ではないのですか?」


 礼儀作法的なものは、よくわからないが。

 黒曜がむっすりしているから、あまり良くないのかもしれない。


「今更、構わねぇよ。それより、蒼の価値については、気が付かなかったで通すぞ」

「そうだね。そもそも餌として仕入れた人間だし、宝石が混じっているとは思わないよね」


 確かに、紅も初めは気が付かなかったわけだから、嘘ではない。


「番になってから宝石の質に気付いたんじゃ、報せようがねぇからな。蛇々は気にすんな。盗みに入って知った事実だ。アイツも声高には話せねぇ。だが、まぁ、手は打っておくよ」


 何のかんの、黒曜は紅のために動いて、頭を捻ってくれているようだ。

 統治者が友達で良かったと思った。


「そんで? 一文字は決めたか?」


 黒曜の問いかけに、蒼は首を捻った。


「俺は決めてるけど、そっか。まだ蒼に、番のなり方、話してなかったね」

「はぁ⁉ ちゃんと話してやれよ。お前ぇは蒼に大切な話をしなすぎだ。まさか、この国の話も、全くしていねぇのか?」

「まさかぁ、少しくらいは話してるよ、ねぇ?」


 話を振られて、上手く頷けなかった。

 何をどこまで聞いていたら、黒曜が言う「話している」に該当するのか、わからない。


「えっとね、番になるには、今の名前に漢字をもう一文字足して、二文字にするんだ。番がいる証になるんだよ」

「逆に、一文字の名前なら、独り者って意味だ。だから紅は一文字なんだ。ちなみに漢字は現世から流れた文化だから、蒼が知ってる文字で問題ねぇよ」


 紅に続いて、黒曜が丁寧な説明をくれた。

 この国において、名前はとても大切だと紅が話してくれた。

 名前には色んな意味合いが含まれるのだと思った。


「そうなんですね。じゃぁ、黒曜様には番がいらっしゃるのですね」

「あぁ、俺の番も宝石の人間、赤玉せきぎょくだよ。赤は珍しくねぇから神様にも取られなかったな」


 統治者だから、宝石の人間を番に出来たのか。

 それとも、割といるものなのか。

 まだよくわからないなと思った。


「それでね、名前の漢字は、互いに贈り合うんだ。だから蒼にも、俺の名前の漢字を考えてほしいんだよね」

「えぇ⁉ 今ですか? この場でですか?」


 紅が嬉しそうに笑んでいる。

 そういう話は、早めに教えてほしい。


「だよなぁ、焦るよなぁ。蒼の反応が正しいぞ。てっきり話してあるもんだと思ってたが、紅だもんな。話しちゃいねぇか」


 黒曜が妙な納得の仕方をしている。

 前に添い寝しながら「後でちゃんと話す」と言っていた名前の話なのだろう。

 紅はこんなに早くに、契りを交わす気はなかったようだから、後で話してくれるつもりでいたのかもしれないが。

 それにしても急な話すぎる。


「蒼、すぐに決められるか?」


 黒曜の問いかけに蒼は何度も首を横に振った。


「そもそも僕、学校にも行かせてもらえてないし、漢字だって芯に教えてもらって、やっと紅様の書庫の本を読めるようになってきたばかりで」


 涙目の蒼の頬を紅が撫でた。


「蒼が知っている漢字でいいよ。難しい必要、ないからさ。何でもいいよ」

「何でもいいわけないです! 紅様の名前が、何でもいいわけないです!」


 番になったら、これから一生、その名前で呼び合うのだから、適当になんか付けたくない。


「一応な、今の名前の後ろにもう一文字、付けるんだ。紅の文字の後ろに付けて、蒼が呼びやすい漢字にしたら、いいんじゃねぇか?」


 黒曜の説明は、わかりやすくて助かるが、動転した心境はそうそう落ち着かない。

 筆を執った黒曜が、準備した白い紙に文字を書き始めた。

 一枚には「紅」と、横に並んだもう一枚には「蒼」と書いた。


「立会人が書いた文字に二人が同時に力を籠めると、名前が体に沁み込む。それで番の、名前の契りは終いだ」


 黒曜が、書いた文字を蒼に向けてくれた。


「こうして実際に見た方がイメージしやすいだろ。眺めながら考えてみろ」


 蒼は素直に頷いた。

 黒曜の優しさが沁みるなと思った。


「紅は決めてんだろ? もう書くか?」

「決めてるけど、書く前に知りたい?」


 紅に問われて、蒼は考え込んだ。


「蒼も紅様に頂いた名前だし、きっとどんなな名前でも嬉しいです」


 初めて名前を貰った瞬間は、只々紅が怖かった。

 それでも、生まれて初めて自分だけの名前をもらえたのは、嬉しかった。

 紅が蒼の髪に口付けた。


「それじゃ、俺は決めた。はい」


 紅が黒曜に向かい、人差し指を差し出した。

 指の先に小さな光が灯って、黒曜に向かい飛んでいく。

 光を受け取った黒曜が、ふっと笑んだ。


「蒼に似合いだな。紅がこんな風に思える相手に出会えて、俺は正直、ほっとしてるよ」


 黒曜が安堵した顔で文字を書き始めた。

「蒼」の文字の下に書かれた漢字は「愛」だった。


蒼愛そうあ。これしかないなって思ったんだ。蒼を愛してるし、愛おしいし、蒼はいつでも可愛いし」


 墨で書かれた名前を呆然と眺める。

 そんな蒼に気が付いて、紅の顔が強張った。


「え? 嫌だった? 他のが良い?」


 慌てる紅に、懸命に首を振った。


「嬉しくて……。こんな立派な名前、貰えるなんて。付けてくれる相手が、僕の人生に現れるなんて……」


 たった一月で、本当に人生が大きく変わったのだと思った。

 ぽたぽたと流れる涙を、紅の長い指が拭ってくれた。


「僕も、決めました。紅様に貰ってほしい名前。僕が呼びたい名前」

「じゃぁ、漢字をイメージして指先から霊力に乗せて流してみろ」


 黒曜に言われた通り、漢字をイメージする。

 指の先に灯した霊力の光を黒曜に向かって投げた。

 光を受け取った黒曜が、嬉しそうに笑んだ。


「蒼にとって、紅はそういう存在か。お前ぇも幽世こっちに来て、良かったな」


 黒曜が「紅」の字の下に書いたのは「優」という一文字だった。


紅優こうゆう、です。紅様にいただいた優しいを、これからは僕が紅様にあげたいから。紅様の名前はコウとかベニとも読むって、教えてくれたのは芯なんですよ」


 後ろの紅を振り返る。

 紅が蒼の頬を撫でた。


「そっか、芯が。やっぱり芯は、頼りになるお兄ちゃんだったね」


 蒼の頬を包んで紅の唇が降りてきた。

 柔らかな温もりが重なる。


「早く呼ばれたい。蒼に紅優って呼ばれたい。もう様って付けちゃダメだよ。できれば敬語もやめてほしい」


 話しながら、ずっとキスされて、言葉が返せない。


「んっ……でも、敬語は……んぅ」

「芯との約束の第一歩だよ。二人で幸せになるために、様付けも敬語もダメ」

「そんな風に、いわれ、たら……ぁ、んぅっ」


 ずっとキスしながら紅から妖力が流れてくる。

 気持ちが良くて、蒼からも霊力が流れ出ているのが自分でわかる。


「霊力も妖力も駄々洩れだから、そのままキスしてろ。名前、流し込んでやる」


 黒曜が二つの名前に指を向ける。

 くぃと指を上げると、紙から名前だけがするりと浮き上がった。

 互いの名前が胸の真ん中にぴたりと吸い付いて、沁み込んだ。


「ぁ……」


 紅の妖力が大量に流れ込んできたような錯覚に陥った。


(紅様が、……紅優が、沢山流れ込んでくる。いっぱい流れ込んできて、混ざる。どうしよう、溶けちゃう)


 気持ちが良くて、頭も体もフワフワする。

 彷徨う手を、いつの間にか紅優が握ってくれていた。

 ゆっくりと目を上げる。

 いつもと同じ優しい笑みが、蒼愛を見下ろしていた。


「蒼愛の霊力は、心地が良い。もっと感じていたいよ」

「僕も、もっと紅優を感じたい、混ざりたい。僕と、一つになって、紅優」


 握られた手を握り返す。

 この温もりに、ずっと酔っていたかった。

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