今日のお昼はオムライスだった。
ケチャップで狐を書いてみたかったのに、出来上がったのはよくわからない何かだった。
「今日はデザートがあるよ。白玉クリームぜんざい。蒼愛が好きな餡子系にしたよ」
思わず紅優を見上げる。
きっと目がキラキラしていると自分でもわかった。
紅優が嬉しそうに笑んだ。
自分が和菓子が好きだと知ったのも、紅優の屋敷に来てからだ。
一日一個のお願いで「お菓子が食べてみたい」とお願いしてから、三時のおやつを出してくれるようになった。
それからは時々、食事の後にもデザートが付くようになった。
「蒼愛は、どれが好き? って聞いても、全部美味しいです、としか言わなかったから。本当に好きなお菓子を見付けるの、苦労したんだよ」
紅優が困った顔で語る。
蒼愛はオムライスを飲み込んだ。
(だって、本当に全部、美味しかったから。お菓子なんて、初めて食べたから)
チョコレートなんて、甘すぎて口の中がおかしくなるんじゃないかと思った。
「餡子系のお菓子食べてる時の蒼愛は目がキラキラして顔があからさまに感動してたから、わかりやすかったけどね」
頬をツンツン突かれて、恥ずかしくなる。
(それくらい、僕を見ててくれたんだ。紅優って、やっぱり優しい。それに僕よりずっと大人だ)
千年も生きている妖狐なのだから、大人どころの話ではないが。
きっと、蒼愛だけではない。
今まで喰ってきた子供たちも、それぞれをちゃんと見て覚えているんだろう。
(なんでも先回りしてくれて、僕が快適に過ごせるように整えてくれて。家事だって……)
さっきの子狐を思い出して、蒼愛は顔をあげた。
「この家の家事は、紅優の妖術で回してるの? さっき、子狐が洗濯物干してるの、見付けた」
「そうだよ。あの子は俺の分身みたいなもの。妖力を固めてるだけだから、話したりはしないけどね」
蒼愛は、少しだけ考えた。
(家事とかしたら、体力付くんじゃないかな)
「あのね、僕も家事、やりたい。掃除とか洗濯とか、紅優の邪魔にならない範囲で良いから、やらせてほしい」
紅優が蒼愛の顔を眺めている。
「もしかして、体力付けたいとか、思ってる?」
「どうして、わかったの?」
驚き過ぎて背筋が伸びた。
紅優が楽しそうに、そんな蒼愛を眺めている。
「何となく。毎晩、可愛い蒼愛に触れてるからね」
すぃと首筋を指で撫でられて、ぞわりと甘い快感が抜ける。
「体力付けたいなら、家事よりオススメがあるよ。むしろ、そっちを頑張ってほしいかな」
首を傾げると、紅優が蒼愛の胸を突いた。
「霊力の鍛錬を、そろそろ本格的に始めようかなって思ってね。霊力を消費すると疲れるけど、基礎体力も上がるから、丁度いいよ」
蒼愛は力強く頷いた。
「やりたい! 今より、もっと力を使えるようになりたい」
自分の力で紅優を守りたい。
紅優に迷惑をかけないように、自分自身を守りたい。
「じゃ、お昼食べたら、練習してみる?」
「うん! 頑張ります!」
しっかり返事をして、蒼愛はオムライスを大きな口で頬張った。
「慌てなくていいから、ちゃんと噛んでゆっくり食べなさい。時間はまだあるから、大丈夫だよ」
「まだ?」
どこか引っ掛かる言い回しに感じて、聞き返してしまった。
紅優の表情が暗くなっている。
「恐らくなんだけど、今月の寄合に蒼愛を連れていかなきゃいけなくなると思うんだよね。それまでに、ある程度は自分の力を使えるようになっていて欲しいんだ」
紅優が溜息を吐いている。
「寄合?」
首を傾げる蒼愛に、紅優が頷いた。
「神様とのお茶会みたいなものだよ。そこで、番の御披露目をしないといけないと思うんだ」
紅優の顔が、どんどん険しくなっていく。
「紅優は、僕を御披露目したくないの?」
「当然だよ。宝石の、しかも
紅優の顔の影がどんどん暗くなっている。
蒼愛は慌てた。
「宝石だって気が付きませんでしたって話しても、ダメなの? 黒曜様は、それで通すって話していたのに」
国の統治者たる黒曜が、紅優と蒼愛が番うのを勧めたのだから、大丈夫だろうと思っていた。
「黒曜が言う通り、気が付かなかった体で話は進めてる。けどね、はいそうですかで済ませてくれる相手じゃないんだよね」
紅優の溜息が深い。
蒼愛の気持ちが余計に焦る。
「紅優が、酷い目に遭うの? 叱られちゃう? 痛かったり、もっと危険だったり、するの?」
蒼愛が咎めを受けるなら構わないが、紅優にデメリットがあるのは絶対に嫌だ。
紅優が蒼愛の髪を撫でた。
「俺よりむしろ、蒼愛が辛い目に遭うかもしれない」
「そっか、ならいいや」
紅優の言葉に安堵した。
そんな蒼愛の頬を紅優が摘まんだ。
「全然、良くないよ。蒼愛はもっと自分を大事にする意識を育てないとダメだね。番になっても、すぐには変わらないね」
紅優に困った顔をされてしまって、何も言えなくなった。
「何を要求されるか、想像は付いてるんだけどね。霊能を鍛えてほしいのも、その為なんだけど。一番、怖いのは、番を解消されることかな」
とんでもない言葉が飛び出して、蒼愛は絶句した。
あっさり解消できてしまうのなら、慌てて番になった意味がない。
「番を、解消……? そんなこと、できるの?」
「まぁ、神様だからね」
神様だから。
そんな最強な言葉を言われてしまったら、何でも可能になってしまう気がする。
「番の契りは、この国で一番、深くて重要な契りだから、いくら神様でも正当な理由なく解消は出来ないんだけど」
紅優が蒼愛をじっと見つめる。
どうしていいかわからなくて、不安しかない。
「黒曜が、宝石は六色あって蒼玉が一番希少で強いって話してたの、覚えてる?」
蒼愛は無言で頷いた。
「瑞穂国には神様が六柱いるんだけど。宝石の属性が、神様とリンクしてる。蒼玉は水神の加護を受ける。水ノ神はこの幽世の創世に関わる神で、最も高位なんだ。だから蒼玉は希少で強いんだよ」
聞けば聞くほど、自分事には思えなかった。
瑞穂国の昔話を聞いている気分だ。
「つまりね、宝石の人間は、神の力を継ぐ者って扱いで、人間でありながら妖怪より大事にされるんだ。だから見付けたら報告だし、神様に謁見も必要で、神様も近くに仕えさせたがるし、場合によっては番や神子に指名……って、蒼愛?」
紅優の話がうまく頭に入ってこなくて、呆けた。
「聞いてます。ちゃんと聞いてるんですけど、どこかの誰かの話を聞いている気分になっちゃって。とても自分の話をされていると思えなくて」
頭がフワフワして、前の癖の敬語が出てしまった。
そんな蒼愛を、紅優が胸に抱いた。
「蒼愛の話だよ。他の誰でもない、蒼愛に価値があるって話をしてるんだ。蒼愛はガラクタなんかじゃない。現世では違ったかもしれないけど、この国では誰より価値がある人間なんだよ」
価値があるなんて、考えもしなかった。
つい最近までガラクタで命の捨て方を考えていた自分に、今更神様が欲しがる価値があると言われても、理解が追い付かない。
「僕は……、紅優がいてくれたら。紅優が必要だって言ってくれたら、それでいい。他の評価なんか、いらない。わからない。紅優にだけ、欲しがってもらえたら、それでいい」
蒼愛の体を掴まえて、紅優が抱きかかえた。
隣の間に腰掛けると、膝の上に蒼愛を座らせた。
「今の蒼愛は、それじゃダメだ。自分の価値を受け入れて、向き合わなきゃ。俺と一緒に居たいって思ってくれるなら、現実から逃げないで。今の蒼愛は一人じゃない。怖くないよ」
紅優が抱き締めて、蒼愛の手を握る。
小さく震える手を、熱が包んだ。
(そっか、僕、怖かったんだ。急に価値があるとか言われて、怖くなったんだ)
脳がキャパオーバーを起こすような大きな評価に、怖くなって心が逃げた。
どうしたらいいか、わからなくなった。
自分の体が震えているのすら、紅優が手を握ってくれるまで気が付かなかった。
(紅優は僕より僕を理解してくれてる。僕を見て、知ってくれてる)
そう思ったら、手の震えが収まってきた。
紅優の温もりで気持ちも落ち着いてきた。
「どうして僕は、宝石なのかな?」
ぽそりと、素朴な疑問が零れた。
紅優が蒼愛の顔を覗き込んだ。
「僕は理研で作られた人間で、霊元だって移植の人工物で、失敗作なのに、どうしてこの国では宝石なのかな」
もし理研が狙って宝石を作ったのなら、blunderにはしなかったろう。
仮に幽世に売るにしても、餌ではなく宝石として売った方が値が張るはずだ。
「多分だけど、霊元が閉じていたせいじゃないかな」
紅優の言葉に蒼愛は顔を上げた。
「ここに来た時の蒼愛は霊元が閉じていた。だから理研が気が付かなかった可能性もあるけど。思うに、蒼愛は幽世に来てから宝石になったんじゃないかな」
「え……? 紅優の所に来て、から?」
紅優が頷いた。
「出会った頃の蒼愛は、霊元が閉じた状態なのに、放出できない大量の霊力を体に蓄えていた。普通はね、霊元が閉じてると霊力も絞られて漏れ出たりしないんだ。閉じているのに溢れちゃうくらいの霊力を作れるほど霊元が強かったって証拠だから、元々、才能はあったんだよ」
そんな風に説明されると、理解はできる。
受け入れられるかは別の話だが、紅優が話してくれると、素直にそうなんだと思える。
「俺が蒼愛の魂の色に惚れたって話したの、ちゃんと覚えてる?」
「覚えてる。すごく、嬉しかったから」
紅優が微笑んで蒼愛の頬を撫でた。
「蒼愛の魂の色はね、どんどん綺麗になってる。初めて会った時も綺麗だったけど、今はもっと綺麗だ。蒼愛の霊元や霊能は、魂の強さにも影響を受けていると思うんだ。だからね、蒼愛は自分で自分を磨いて、宝石にしたんだよ。蒼愛は原石だったんだ」
紅優が、いつもするように蒼愛の髪を撫でる。
蒼愛は背筋を伸ばして紅優に向き合った。
「だったら、僕を宝石にしてくれたのは、紅優だ。磨いてくれたのは、紅優だよ。僕の魂の色を褒めてくれて、綺麗にしてくれたのは、紅優だから」
紅優や芯や、ニコや色。ここでの出会い総てが、今の自分を作ってくれている。
中でも一番、蒼愛の魂を綺麗にしてくれたのは、紅優だ。
撫でる手を摑まえて、強く握る。
紅優の手の甲に、口付けた。
「紅優が宝石にしてくれたのなら、誇らしいって思う」
ガラクタだった自分に価値をくれたのが紅優なら、今の自分を受け入れられる。
自分自身を誇らしいと感じられる。
「僕は、紅優に相応しい番に、なれてる?」
紅優が蒼愛の瞼に口付けた。
「蒼愛は出会った時から俺の番候補だったよ。蒼愛に会わなかったら、俺はきっと、二度と番を持たなかったから。蒼愛じゃなきゃ、嫌なんだ。蒼愛だから、番になったんだよ」
いつもよりずっと真剣な、紅優の本当の声を聞けた気がした。
(最初からずっと相応しいって、言ってくれてるように、聞こえる)
蒼愛は恥ずかしくて俯いた。
(僕なんかって思うのは、選んでくれた紅優に失礼だ。今の僕は、紅優の番なんだから。恥ずかしくない僕でいなきゃ。もっとちゃんと自信、持たなきゃ)
自分をもっと知って、自信を持ちたい。
紅優に相応しい自分で生きていたい。
生まれて初めて、そう考えた。