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28.ありがとうの相手

 昼食を終えた蒼愛は庭に降りた。

 縁側に座る紅優に向かい合って立つ。


「まずは、霊力を放出する練習をしよう。体の外に弾き出す感覚なんだけど、出来そう?」


 自分の体を見回しながら、蒼愛は頷いた。


「多分、出来ると思う」


 自分の内側に流れる霊力を感じながら、腹に力を入れて、外側に弾き出す。

 強い圧が蒼愛を中心に円状に放出した。地面に砂埃が舞った。


「うん、良いね。霊力も練られていて滑らかだ。もしかして、練習してた?」

「紅優の妖力と僕の霊力を混ぜたらもっと強い力になるかなって思って。このやり方が正しいかは、わからないんだけど」


 部屋で一人の時などに、実は練習していた。

 照れくさくて、小さく俯く。

 紅優が微笑んだ。


「大丈夫、ちゃんと混ざってるし、よく練られてる。これからも続けようね。蒼愛が言ったように妖力と霊力が混ざっていたほうが強くなるし、霊元に集中する程、霊力が練られて更に強度を増す」

「わかった」


 紅優が蒼愛の胸に手を当てた。


「次は閉じる練習。霊力が流れ出る一方にならないように、留めるんだ。霊元が枯れると人は死んでしまうから、開きっぱなしにしないようにね。自分を内側に隠すようにイメージして」


 蒼は言われた通りにイメージを始めた。

 霊力が霊元に戻って、閉じていく。自分が消えていくような気がした。


「そうそう、そんな感じ。霊元を閉じれば気配を消せる。蒼愛の多すぎる霊力は、妖怪にすぐに見つかるけど、こんな風に閉じれば、自分を隠せる。身を守るのに、大事だよ」


 霊力の気配を消せれば、蛇々の時のような襲撃を受けても、逃げられるし身を隠せる。


(僕が僕を守ることが、紅優の安心にも繋がるんだ。自分をちゃんと守らなきゃ)


 そう思ったら、気合が入った。


「わかった。ちゃんと覚える」


 蒼愛の顔を眺める紅優が満足そうに頷いた。


「蒼愛は覚えが良いね。真面目で一生懸命な性格が、こういうところで活きるよね」

「真面目とかではないけど、夢中になるとのめり込んだりは、するかも」


 紅優に性格を褒められると、やっぱりまだ恥ずかしい。


「術者に向いた性格だし、術者気質だよ。やっぱり蒼愛は霊能を扱うのに向いてるよ」


 蒼愛の体を少し話すと、紅優がまた縁側に戻った。


「それじゃ、実際に術を使ってみよう。蒼愛は四つの属性が使えるけど、どれが一番使いやすい?」


 自分の掌を眺めながら、霊力を感じて、考える。


「水、かな。あと、火が使いやすいよ」

「やっぱり、そうだよね」


 紅優が息を吐きながら複雑な表情をした。


「え? ダメだった?」


 慌てる蒼愛に、紅優が首を横に振る。


「いや、いいんだ。蒼玉の蒼愛が、水と親和性が高いのは当然なんだ。むしろ、火とは相性が良くないのに、火の使い勝手がいいって言ってくれて嬉しいんだよ。俺の妖力がちゃんと混ざっている証拠だからね」


 そういえば、蛇々が「妖狐に習ったのか?」と聞いていたのを思い出した。


「紅優は、火を使うのが得意なの?」

「そうだね。基本的には、炎を使うよ」


 サラサラフワフワだった銀髪の妖狐姿の紅優が炎を使う姿は、きっと綺麗だろうと思った。


(僕が使える力の中で、攻撃の威力が一番強いのは、きっと火だ)


 蒼愛は自分の手に霊力を集中した。

 霊力が紅優の妖力と混ざって、手の中で炎になっていく。


(イメージか。格好良くて綺麗な紅優のイメージで)


 両手に作った炎にさらに霊力を乗せて、炎を大きな妖狐の姿に作り上げた。

 真っ赤な炎は紫色を帯びて燃え上がる。

 屋根にまで届きそうな妖狐の炎を見詰めて、紅優が呆気に取られていた。


「大きな紅優を作ってみたよ。蛇々を追い払ってくれた時の紅優は、とっても綺麗だったから」


 立ち上がった紅優が蒼愛の炎に手を伸ばした。


「ダメだよ、紅優!」


 咄嗟に炎を消して、紅優にしがみ付いた。


「僕の炎は、蛇々を焼いた炎だから、紅優も火傷しちゃうよ」


 しがみ付いた蒼愛を見下ろして、紅優が我に返った。


「……あぁ、そうだね。綺麗な炎だったから、触れたくなっちゃった。ごめんね」


 蒼愛の頭を撫でる紅優の手つきが、ぎこちない。


「紅優、どうしたの?」


 見上げる蒼愛の額に、紅優が口付けた。


「こんなに大きくて強い炎を最初から作れると思わなかったから、驚いたんだ。やっぱり蒼愛は天才だし、努力家だね」


 紅優が縁側に腰を下ろした。


「火の術は問題ないね。それじゃ、水の術を見せて」


 紅優がいつも通りに笑んだ。

 さっきまでの呆然とした様子はなくなっていた。


(どうしたんだろう。炎を見た時の紅優、いつもの紅優じゃなかった。ぼんやりして、まるで別の何かを見ていたような)


 紅優の心が、どこかに行ってしまいそうで、怖くなった。


「蒼愛? どうしたの?」


 紅優に声を掛けられて、顔を上げる。


「ううん、何でもない」


 どうしてあんな顔をしていたのかを聞くのは、今は怖かった。


 蒼愛は両掌の上に水の塊を作った。

 小さな塊を少しずつ大きくしていく。


「水はね、癒しの力なんだ。これを体に当てて傷を治したり、血を止めたりできるよ。もっと上手に出来るようになったら、飲んで病気を治せる水にしたいんだ」


 猫くらいの大きさになった水の塊を、紅優に手渡す。

 受け取った紅優が水を揺らしながら、観察していた。


「芯の体の傷が止血されていたのは、この水の力だったんだね。もっと大きな塊も作れるの?」

「作れるよ。紅優が入れるくらいなら、出来ると思う」


 紅優が息を飲んだ。


「い、入れたりしないよ。紅優は怪我してないから。僕の水の中に入っても、息はできるし溺れたりしないよ」


 紅優の表情が引き攣って見えて、蒼愛は弁明した。

 紅優がクスリと笑んだ。


「違うよ。さすが蒼愛は蒼玉だなって思ったんだ。とりわけ水の力が強いけど、火も水も、初めてでこれだけ完成度が高い術を使える術者は、現世にだって、そうはいないよ」


 紅優の言葉に、何故か不安になった。


(紅優に蒼玉って言われると、なんだか遠くに離れてしまうみたいで、嫌だな)


 何となく、蒼愛は紅優の手を握った。

 その手を握り返して、紅優が持っていた水の塊を指で弾いた。

 弾かれた水が庭の土に降り落ちて沁み込んだ。


「あとは風と土だね。どんな術なの?」

「えっとね、風はね」


 蒼愛は後ろを振り返った。

 少し離れた場所の木を見付けて、腕を伸ばした。

 狙いを定めて、指の先から風を飛ばす。

 離れた木の枝が切れて、ぱたりと落ちた。


「こんな風に、切れるんだけどね。本当は足に風を集めて、飛んで移動できるようにしたいんだ」


 紅優が感心した顔をした。


「風の刃でも十分、威力はあるけど。風にのって移動できるのは、良いね。逃げるのにも便利だ」

「今は、飛んで移動しちゃうと、きっとそれだけで霊力をいっぱい使っちゃうから、他に何もできなくなっちゃいそうかなって」


 どの技にどのくらい霊力が必要かは、何となくだが体感でわかった。


「そうだね。水や火は相性がいいから少ない霊力で大きな力が使えるけど、風はそこまでじゃないから、飛んで移動はもう少し訓練して、霊力量を増やさないといけないね」


 紅優の説明は納得だった。


(言われてみれば風は、水や火より上手には使えない気がする)


 それが相性の問題だったとは、知らなかった。


「土は、何ができるの?」


 紅優に促されて、蒼愛は足下に手を向けた。

 土がボコボコと盛り上がって、土の壁ができた。


「結界をイメージしたんだけど、土の壁になっちゃった。蛇々に襲われた時は、とにかく動きを止めたくて、蛇々の体に土を絡ませて固めたんだ。強く締めたから一度は気を失ったんだけど、すぐに起きちゃった」


 真面目な顔で、紅優が蒼愛を振り返った。


「あの時、庭の土が盛り上がっていたのは蛇々じゃなくて、蒼愛のせいだったの?」

「うん、そう。お庭を汚しちゃって、ごめんなさい」


 いつも綺麗に整っている日本庭園風の庭の土をぐちゃぐちゃにしてしまった。


「そんなの全然、怒ってないよ。あの蛇々が気を失うほど蒼愛の術にやられるなんて」


 紅優が、まるで独り言のように呟いた。


「土なら蛇の方が強いはずなんだ。属性じゃない蒼愛の術の方が勝ったんだよ」


 紅優が考える顔で黙り込んでしまった。

 蒼愛は不安な気持ちで、そんな紅優を眺めていた。


「……どの属性も思ったより完成度が高くて、正直驚いてるよ。蒼愛は、一つ一つの術に対して、かなり具体的なイメージがあるね。何か参考にしたの?」


 紅優の顔が真剣で、本当に驚いてるんだと思った。


「えっと、理研に居た頃に読んでいた本でね。『四人の魔法使い』って大好きな本があったんだ。本の中の魔法使いが火と水と風と土を使うんだけど、それを参考にしたよ」


 理研に置いてあった本の中でも蒼愛が大好きだった一冊だ。

 日記帳のような硬い表紙の小さな本で、手書きで書かれていた。

 そういう本が、理研には数冊置いてあった。


「なるほど、そっか。現世の本か」


 蒼愛の話を聞いて、紅が笑った。

 どこか安堵したような顔に見えて、蒼愛は胸を撫でおろした。


「手書きの本だったから、きっと理研の誰かが書いた本なんだ。名前も書いてあったけど、理研の子の名前って、僕はあんまり覚えていないから……」


 そこまで話して、蒼愛は言葉を止めた。


(知らなかった、あの時は。だって僕はあの時、書いた人に興味なんかなかったから)


 あの時は知らなかった、今は知っている名前。


『伊吹保輔』


 手書きの本の最後のページには、奥付のようにタイトルと著者の名前が書いてあった。


(あの頃も、今も、僕はこんなに保輔に救ってもらってる。もう会えないから、御礼なんか言えないのに、今になって保輔がどれだけ助けてくれていたか、気が付いた)


「蒼愛?」


 名前を呼ばれて、紅優を振り返る。

 紅優の手を握って、向き合った。


「紅優、僕……。紅優に出会ってから、気付いたこと、たくさんあるんだ。理研で、ずっと死ぬことばっかり考えてた時でも、本を読んでる時は、楽しかった。頭の中の辛い今を、全部忘れられて、楽だったんだ」

「うん」


 紅優が静かに頷いて、蒼愛の話を聞いてくれる。


「誰かと仲良くなったり、名前を覚えたりしたら、お別れが辛いから。いなくなっちゃったら悲しいから。そういうの、なるべく減らしたくて、感じたくなくて。だから、一人でずっと本を読んでたんだ」

「うん……」


 理研にいた、あの頃は、そんな風には考えていなかった。 

 後ろ向きで、自分の本音を隠して誤魔化して、感じないようにして、死んだように生きていた。


「だけど、芯は僕を覚えてくれてた。理研で、声をかけてくれてた子は、僕の魂の色を綺麗だと言ってくれた。僕が大好きだった本を書いてたのも、その子だった」


 紅優が息を飲んだ。

 蒼愛は紅優の手を握った。


「ここに来てから、保輔の言葉、たくさん思い出したんだ。保輔は僕が気が付かないうちに、僕をたくさん助けてくれてた。理研に居た頃も、ここに来てからも。保輔の本が、僕に力の使い方を教えてくれた。もう会えないけど、ありがとうって言いたい」


 ぽろぽろ零れた涙を、紅優の指が拭う。


「紅優、ありがとう。僕に色んなこと、思い出させてくれて、ありがとう」

「ありがとうの相手は、俺でいいの?」


 見上げる顔は悲し気に笑んで見えた。


「芯が保輔の名前を教えてくれた。紅優が保輔の言葉を思い出させてくれた。保輔に素直にありがとうって、僕が今言えるのは、紅優のお陰だから」


 自分から紅優に抱き付く。

 紅優が抱き返して、包み込んでくれた。


「俺も保輔に、ありがとうって言わなきゃだね。大切な蒼愛を守ってくれた。俺より先に蒼愛の魂の色に気が付いていた人間がいたのは、少し悔しいな」


 紅優の語り口が優しくて、それほど悔しそうには聞こえない。


「保輔の言葉を思い出したから、紅優に魂の色が綺麗って言われた時も、素直に受け入れられたんだと思う。それに今は、紅優に言ってもらうのが、一番うれしいよ」


 紅優の頬に口付ける。

 恥ずかしくて、肩に顔を埋めた。

 やんわり顎を掴まえられて、顔が上がる。


「口説き上手の次は、誘い上手になったね、蒼愛」


 唇に紅優の唇が重なる。

 いつもより熱くて、離れたくない。


「……ぴったり、くっ付いていても、いい?」


 紅優の首に絡まるように縋り付く。

 もっと紅優の熱を感じていたかった。


「ダメなんて、いう訳ないでしょ。俺はいつだって、蒼愛とくっ付いてたいよ」


 唇を重ねたまま、紅優が蒼愛を抱いて立ち上がった。

 まだお日様は高いけど、薄暗い閨で熱を交わしていたかった。

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