帰り道、リーゼロッテ君とは少し距離があった。
彼女が近寄ってくるのを感じる。
「あー! 支部長!」
後ろからのアメリア嬢の声に慌ててリーゼロッテ君が離れた。
「おや、奇遇ですね、アメリア嬢」
振り返り、子どもが泣き女性がひきつると言われる微笑を浮かべる。
「もしかして、怒ってます?」
アメリア嬢は眉を下げ、やや萎縮した表情で私に問いかけてくる。
「なぜ、怒らなければならないのですかな?」
アメリア嬢は肩をすくめ、顔をうつむけてしまう。
「支部長、私はお付き合いも長くなりましたので理解できますけども……もう少し言葉遣いを考慮してください」
リーゼロッテ君にたしなめられた。
「え、あれ、リーゼロッテさん⁉」
アメリア嬢が顔を上げ、隣に立つリーゼロッテ君を見る。
「……気合い、入ってますね……」
アメリア嬢のつぶやきを無視するかのようにじっと私を見るリーゼロッテ君。私は首を小さく左右に振って少し息を吐き、アメリア嬢に向き直る。
「すまなかった、アメリア嬢。私はどうも怖く見えるようでね。実際にはそんなに怖くはないつもりなんですが」
帽子を取って胸に抱え、頭を下げる。
「あ、いえ、そんな、えと、きょ、恐縮です」
アメリア嬢はリーゼロッテ君から私に視線を移し、慌てた様子で言葉を紡ぐ。
「ところで支部長……今日はデートですか?」
アメリア嬢がおずおずといった感じで聞いてきた。
「デート?」
「いやだって、その、リーゼロッテさんのその……」
アメリア嬢の言葉にリーゼロッテ君に意識を向けた。
じっと見つめる。
赤くなってもじもじしている。
いつもの凛とした立ち姿は美しいが、恥じらうリーゼロッテ君は美しいというより、かわいい。
やはり姪っ子のようなものだな、と一人納得する。
「男女が二人で出歩くことをデートと称するならばそうでしょうね」
その言葉にリーゼロッテ君が呆然とした表情の後、少し膨れる。そのリーゼロッテ君を見たアメリア嬢は笑顔になる。
「なるほど、なんとなくですけど支部長の言葉の癖がわかった気がします」
しばらくリーゼロッテ君は私を睨んだあと、大きくため息を吐き出した。
「どうして、こう、なのかしら。それは私もですけども」
「ふふふ、抜け駆けしようとするからです」
アメリア嬢の言葉にリーゼロッテ君が視線のターゲットを私から彼女に切り替えた。
「アメリア! あなたねえ」
「聞こえませーん」
抜け駆けとは穏やかではないが、今の状態の女性の会話に割り込めるだけの力量はない。とりあえず嵐が過ぎ去るまでぼーっと待つことにする。
しばらくアメリア嬢とリーゼロッテ君の二人で静かながらも迫力のある話し合いが続く。二人はちらちらとこちらを見ながらときおりため息を織り交ぜての長い会議を行っていた。
しばらくすると肩を落としたリーゼロッテ君と満面の笑みのアメリア嬢がやってきた。
「というわけで、晩ごはん一緒に行きましょう」
「なにが『というわけ』なのですかな?」
「だってリーゼロッテさんとお昼食べたんですよね?」
「なにが『だって』なのかがよくわかりませんが、そうですね」
「ずーるーいー!」
額に右手をやり、大きなため息を返す。
「アメリア嬢、ずるいというのは良い言葉ではないですよ。あなたもそろそろお年頃、そういう言動は控えたほうがいいでしょう」
「……支部長、お父さんみたい」
アメリア嬢の鋭い言葉が私の心を切り裂く。お父さん、か。
「なるほど。年齢的には父親でもおかしくはないですね。とはいえ、そんな経験はしたことはないですが」
「え?」
アメリア嬢がぽかんとした顔で私とリーゼロッテ君を交互に見る。
「……なによ」
リーゼロッテ君が低い声でアメリア嬢に告げる。
「そっかー、そっかー、それならいいです。わかりました。今日の晩ごはん、支部長はどうするんですか?」
「いつもなら酔いどれ通りの適当な店で過ごすところですが、もし仮に君たちと夕食をともにするというのならば、さすがに連れて行くわけにもいかないので少し困りますね」
「え?」
「私が料理をするとでも?」
アメリア嬢とリーゼロッテ君はお互いを見、そしてため息。
「支部長、そんな生活していたら早死します。リーゼロッテさんもどうしてこう」
「私は秘書でしかありませんから」
「ふーん……じゃあいいんですね」
「だめです」
「だからかわいいって言われるんですよ」
リーゼロッテ君がかわいいということは強く同意する。
「あの、支部長……?」
困惑に赤面を混ぜた器用な表情でリーゼロッテ君が私を見る。首をかしげて彼女を見返すと、彼女はしばらく逡巡した後こう告げた。
「そうはっきり言われると、照れます」
どうやら声に出ていたらしい。一方のアメリア嬢はとてもきれいに膨れていた。
「わたしはどうですか?」
たしか彼女は十五歳だったか。ギルドに入って三年目で受付嬢とはなかなか優秀だ。
「かわいいですよ、アメリア嬢」
しかし膨れは治らず。
「なんでわたしには丁寧語で『嬢』なんですかー? リーゼロッテさんは『君』だし……その、口調も」
「付き合いの長さでしょうね。彼女は」
「わー!」
そこにリーゼロッテ君が割り込んできた。慌てる彼女はとてもレアだ。
「とても不満です」
アメリア嬢が膨れた状態で宣言する。
「不満と言われましても」
「そうそれ! わたしもリーゼロッテさんと同じ扱いを要求します! 君と敬語なしで!」
「……アメリア君、これでいいかね?」
満面の笑みのアメリア嬢……君がそこにいた。代わりにリーゼロッテ君が膨らんだ。どうしろというのだ。
困ったことに二人は酔いどれ通りについてくるという。伽藍堂に向かうことにした。
だんだんと暗くなってくる頃、美女二人を連れた私を見て、ほとんどの人間は引いて道を空けてくる。
「おうおうおっさん、いい身分だなー」
まだ夜になる前だというのに、出来上がっている男が私に絡んできた。
チェインメイルにブレストプレート。腰を守るフォールドとキューリット、腰にはブロードソード。典型的な軽戦士装備の冒険者に見える。だが我が支部では見かけたことのない男だ。おそらくはこの街が稼げると聞いてやってきたのだろう。
「それはどうも。で、私になんの用ですかな?」
「いやさ、かわいい子をこっちにも回してくんねえかなってことでよ、怪我したくねえんなら素直に」
メガネを外し、リーゼロッテ君に渡す。帽子を取ったところでアメリア君が手を出したので渡す。
「素直に、なんですかな? 流れ者殿」
「な、てめえ! ジェンスの疾風エルヴィン様に舐めた口聞きやがって」
「ジェンス、ね……困ったものですな。リーゼロッテ君、明日朝一番の仕事ができました。書簡をよろしく」
「かしこまりました」
「なあにやってんだ、お前ら」
伽藍堂からのっそりとケヴィン殿が出てきた。
「あ、ケヴィンの兄貴!」
「あ、しぶちょーだー、こんばんは!」
後ろからドロテー嬢がやってくる。
エルヴィンと名乗った男は私とドロテー嬢を交互に見る。
「え、支部長? はい?」
「ケヴィン殿、このジェンスの疾風とかいう冒険者と知り合いですか?」
「あ゙? ジェンスの疾風? お前またそんな事言ってるのか!」
ケヴィン殿はガツンと拳骨をエルヴィンに落とした。エルヴィンは頭を抱えてしゃがみ込む。
「兄貴の拳骨は洒落にならねえんだよ!」
「お前の兄貴分になった記憶はない!」
「あと、このおっさん……」
「おっさん言うなバカタレ!」
ケヴィン殿が再び拳骨を落とす。
「ヴァードの冒険者ギルド支部長だよ」
「え゙……」
エルヴィンは絶句している。私の外見は人相の悪いおっさんだから仕方がないところはある。
「だいたい質の良いもの着てるだろうが! だからお前はダメなんだよ!」
「あー、そのへんで。ケヴィン殿もまあ、ねえ」
私が小さなため息とともに制止に入ると、ケヴィン殿は苦笑いを返してきた。
「すまねえ。あんときは生活がかかってたからよ」
「リーダーの責務ですね。分かります」
ジト目でこちらを見るリーゼロッテ君。なんとなく言いたいことはわかる。背中に冷たいものを感じながらも話を続ける。
「では、ジェンスの疾風殿に関しては預けます。適当に、お願いしますよ」
「それは、どういう意味の『適当』なんだ?」
「世間一般の適当ではない適当で」
「おーお、おっかないねえ」
「ええ、私は怖いらしいですよ」
私の笑顔にドロテー嬢がビクンとしてケヴィン殿の後ろに隠れる。ケヴィン殿は笑顔を返し、右手を出してくる。
「感謝しますよ、支部長。アレについては任せておいてください」
ケヴィン殿は顎を振ってエルヴィンを指した。
「おい、バカ! 行くぞ!」
「い、行くって、どこですか」
「練兵場だ。酒抜いた上で鍛え直す……あ、支部長。すみませんが支払いと中に残ってる奴らに伝言をお願いします」
数枚の金貨を投げてよこしてきた。
「多すぎませんかね?」
「詫びみたいなもんですよ。あと、ジェンスの印象が上がればいいかなっていう下心も込みですがね」
「それを言ったら意味がないのでは?」
「違えねえ」
ケヴィン殿は呵呵と笑うとエルヴィンの首根っこを捕まえて去っていった。
「しぶちょー、ごめんなさい」
残っていたドロテー嬢が頭を下げる。しゃがみ込み、彼女の視線に合わせる。
「なにが?」
「つい、怖くて隠れてしまいました」
「仕方がないと思いますよ。私はそのように見えるし、またそのように見えることはとても都合が良い仕事をしています」
ポンポンと彼女の頭を撫でる。軽く耳に触れるとドロテー嬢は目を閉じて少し顔を上げた。しばらくそうしているとドロテー嬢はゆっくりと目を開けて私を見つめる。
「あのね、しぶちょー。耳はとても大切。触っていいのは恋人だけ」
「知らないとはいえ、失礼しました。申し訳ない」
慌てて手を引っ込め、頭を下げる。
「なんてね、うそー」
ドロテー嬢はそう告げるとぱっと走り出してしまう。
「え、あ、え?」
「またねーしぶちょー!」
ドロテー嬢は振り返り、手を振ってそう言うとケヴィン殿を追いかけていった。
後ろでリーゼロッテ君とアメリア君のダブルため息。
「お互い、苦労しそうですね、先輩」
「苦労しそう、じゃないわよ。苦労するのよ」
「……そうですか、そうですよね」
伽藍堂に入り、ホルガー殿にケヴィン殿の行き先を伝え、エルヴィンの支払いを終える。釣りはホルガー殿に託した。
「変な邪魔は入ったが……飲むとしようか」
「はーい」
アメリア君は元気に返事をしたが、リーゼロッテ君はじっと私を見てからため息。一気にグラスの白ワインを飲み干すと手を上げ給仕を呼び、ボトルを要求した。
「あー……うちはワインボトル出してねえんですよ。自家製なんでね。デカンタでいいなら出しますよ」
厨房から人の良さそうな恰幅のいい男が出てきた。伽藍堂主人エリアスことアンセルモ・コロストラ。調査部の再調査の結果、いろいろなことが見えてきている。
ハビエル師と同じギレン連合王国モラティノス領出身。モラティノス領ノエの領主ヴァレリアノ・コロストラ辺境伯の三男。出来の良い長男次男に比べ格段に落ちるというのは学校での評価だが、ノエでの領民の評価は逆。おそらくは切れ者であり、調査のためにヴァードにやってきたのだろう。
幸いにして学校では同時期に通ってはおらず、当時の私とはだいぶ外見が異なるために学校に残る伝聞からハワード・カーターにたどり着けるとは思えないが、要注意、だ。
アンセルモは私に気がつくと丁寧な礼をする。
「これはこれは、ヴォルフラム支部長。毎度ご贔屓にしていただき、ありがとうございます」
「ここの酒に料理は最高ですからな。特にあのエール、深みのある味わいでここのエールを飲んだら他のエールはなかなか厳しく感じますな」
「ありがとうございます。手前どもの自慢の品でございます」
笑顔を浮かべるが、目は笑っていない。彼は商売人ではなく、戦士だ。
「迷惑をかけるが、デカンタで出してもらえるかね。あとは適当に見繕ってくれればいい。伽藍堂の料理は信頼している」
アンセルモは再び礼をし、爽やかな柑橘系の香りを残して立ち去った。
「あれ、いい香りがする」
アメリア君が鼻をひくつかせる。
「そうだな」
私は返事を返したが、おそらくはあれは香水。料理人が使うものではない。やはり彼は貴族の息子なのだ。