矢のようだった。
もの凄いスピードで地面を走り抜けていく。
その間に、あーちゃんの姿が変わっていった。
ドーベルマンのようだったあーちゃんは、あっという間に毛並みのいい、人の背丈の倍以上はある、巨大な狼となった。
ジャンプして、空中でアリサを受け止めると、襟を咥えて、着地した。
また、威嚇するつもりなのか、大きく顎を開いた。
「や、ヤバい……!」
「アリサ! もう、間に合いません」
アリサが、あーちゃんの首にしがみついた。
背中に飛び乗る。
あーちゃんが、途中で
アリサが、こちらを振り返った。
「夕里菜ちゃん! 逃げて!」
——え……逃げて?
どういう意味だろう。
戸惑ったが、アリサの言うことに従ったほうがいいのだろう。
あーちゃんを追いかけるようにして、走りはじめた。
『助力のために、
体が、ふわりと浮き上がるような感覚に包まれる。
「鞘です! 夕里菜さん、鞘を掴んでくださいませ!」
郁歌の声に、反射的に夕里菜は小剣を手にした。
鞘の中程を鷲づかみにする。
「そのまま、思い切って飛び込んで! 戦技が利いているから、大丈夫です!」
夕里菜は横目で、漿石竜を見た。
大きく、開かれた顎のなかで、火花が散り、いくつもの星のような煌めきが見えた。
胸騒ぎのようなものを覚えた。
危険だ、と体が夕里菜に訴えかけている。
頭を真っ白にして、夕里菜は大きく、飛んだ。
受け身も何もなく、地面を蹴る。
と同時に、轟音がした。
地面が震え、何も聞こえなくなる。
夕里菜の背中——その、すぐそばを、暗黒の奔流が走り抜けていった。
風圧が、覆い被さってくる。
と同時に、体がぐるぐると回転した。
目眩を引き越し、悲鳴をあげた。
どのくらい、そうやって回っていたのだろう。
数秒なのだろうが、すり鉢状の底を一方から一方の端まで、転がり続けていたような感覚だ。
ようやく、回転が止まった。
瞬きをして、それから、起き上がってみた。
体を動かしてみるが、痛みはどこにもなかった。
あれだけ、激しく地面に叩きつけられ、肌のあちこちを擦られたはずなのに、まったく傷もない。
郁歌がかけてくれた魔法と防具、指輪や剣の鞘のお陰なのだろうか。
周囲を見渡す。
そして、夕里菜は漿石竜の足元からまっすぐ、硬い岩盤の上を抉られたように、溝のようなものが彫られていることに、気づいた。
たぶん——あれが、漿石竜の攻撃だったのだろう。
ふたりに言われ、逃げていなかったら、夕里菜はもう、この世界から消え去っていたのかもしれない。
あーちゃんが、夕里菜のところまで、駆けてきた。
アリサと郁歌が、夕里菜の側に立つ。
「いい加減、決めるよ」
「アリサにお任せしますわ」
アリサが、頷く。
数歩、前に出て、槍を大きく、振りかぶった。
槍の柄の端が地面にくっつきそうになるぐらい、背中を反らした。
「これで——終わりっ!」
槍の先端が、赤く輝き出す。
『砕け散れっ!
アリサが叫ぶのと同時に、槍を投げつけた。
真紅に光る軌跡を暗い空間に刻みつけながら、槍が宙を飛翔していく。
槍が投げつけられた——というよりも、意思を持って、空を駆けているみたいだった。
空間を揺らし、槍は一直線ではなく、複雑に回転したり、垂直に上昇したり、または、地面にくっつきそうなぐらい、低空を飛翔していった。
——槍が、歌声をあげている……。
郁歌の歌とは、まったく違う歌だ。
槍が咆哮し、悦びの声をあげている。
そして、槍は高く、伸び上がると、穂先を下に向けて、一気に漿石竜に迫った。
あっという間だった。
槍は漿石竜の頭蓋骨を、完全に粉砕した。
頭部を破壊されると、漿石竜は、ばらばらに分解されていった。
骨や石などの繋ぎ目が解かれ、雨のように、地面に降り落ちる。
音を響かせながら、岩盤の上で跳ね、転がっていく。
槍が、勝ちどきをあげているのだろう。
今度は、さっきよりも、大きな”歌声”のようなもので、周囲が充たされていった。
槍は、とても夕里菜の目では追えないスピードで赤い残像を残しながら、空中を駆け、そして、アリサの手のなかに収まった。
凄まじい、戦いぶりだ。
魔剣や妖刀があるのなら、アリサのそれは、魔槍と呼ぶべきなのではないだろうか。
「お見事。というか、これまでの、
アリサが、苦笑した。
「まぁね。この『
郁歌はそれ以上、何も言わずに、夕里菜を呼び寄せた。
あーちゃんは、さっきまではライオンほどの大きな姿になっていたのだが、今は最初に出会った頃と同じ、トイプードルとなり、アリサの頭にちょこん、と乗っている。
アリサと郁歌と並び、夕里菜は漿石竜が横たわっていた辺りを、眺めた。
石と骨、爪や牙などが散乱していたが、眺めているうちに、だんだんと黒く染まり、地面へと飲み込まれていった。
地面が液状化して、沈んでいくようだった。
そして、最後に桜色の球状のものが、残された。
それだけは、地面に飲み込まれず、薄く輝きながら、浮かんでいた。
「さぁ、夕里菜ちゃん……」
アリサに促されて、夕里菜はその球状のものへと、近づいていった。
大きさは、握り拳くらいだった。
透き通っていて、宝石みたい……。
真珠のようにも、見える。
「これが……
夕里菜が手を差し出すと、掌のなかに収まった。
肌触りは、すべすべとしていて、ほんのりと暖かい。
体温よりも、わずかに高いくらいだろう。
「よかった……夕里菜ちゃん。それじゃ、またね」
「また、お目にかかりましょう」
——え……。
振り返ろうとするが、既に夕里菜は自分が声を発することが出来なくなっていることに、気づいた。
視野が揺らぎ、アリサや郁歌が闇のなかに溶け込んでいってしまう。
肌感覚も喪失し、意識が遠のいていった。
眠気が増す……。
夕里菜は、息をゆっくりと、吐き出した。
——あぁ、これで、夢から覚めることが出来るのだろうか……。
思いながら、夕里菜はそっと、目を閉ざした。
【以下次回】