あれだけうめき声やらで騒がしかった倉庫が、鎮まり返っている。
集まっている視線が喉に来ている気がして、
飲まされているような連想をされてる気がして、
飲み込めずに貯まる口ん中の唾液が、かえって精液のように感じてしまう。
「私と真逆……そんな人が」
「いいよな、お前は」
自分を勝手に重ねてくるような目。
それが、とても不快だ。
だって俺は知っている、聞いたことがある。
「女の子は、思春期になると女の子を好きになる時期が一度は来るらしいじゃないか」
「それは……場合によるんじゃない?」
あまりにもしょうもない、と言いたげ。
「逆に聞くが、男にそんな噂がないのはなんでだ?」
黒瀬は何も答えない、答えられる訳がない。
「その沈黙が何よりの答えだな、一緒じゃないどころか……」
俺のが不幸、そう言おうとした。
が済んで、喉まで出かかったところで思いとどまった。
「性期逃れがサキュバスなのは100歩譲って良い、2年の俺を上書きするほどの力?」
はぁ……そもそも大の大人が、孤独で助けてくれる人もいない子供に何マウントとってんだ。
情けねぇ。
そんな事を思っているとようやく気付いたのか、学校中に響き渡るほどのサイレンが鳴る。
すぐに警察が駆けつけ、制圧されるだろう青髪は、動けないながらも答え合わせをしたそうに喋りかけてくる。
「なろうよろしく、学校2周目ってことも考えたが、サキュバスの雄なんて噂話は聞いたこともない」
周りを見てみろ、この惨劇を生み出したお前が大人しいタイプでもないだろ、って含みのある顔。キモいな。
なんでわざわざ、答えないといけないんだ? 面倒くさい。
俺だって、やろうと思ったらお前らの記憶ぐらい消せるが?
そうしたら記憶喪失が大量にいる中で警察が変な疑いを持ってきそうで、面倒だからしないだけだが?
「とするなら、成長期に引っかからないほどの野郎が急成長したとしか考えられない」
立てるか、そう言って差し伸べた手を震えながら掴んで立ち上がった黒瀬は。
命を狙ったにも関わらず、全く眼中にない青髪の前へ立つ。
「実在、すんだな。散々好き勝手しやがったクソ女どもぶち犯せる代物がよっ!」
意気揚々と明後日の話をする彼に歯を食い縛り、強烈なビンタをお見舞いした。
「人を、人を殺そうとしたってのに、こんな……こんな時すら自分自分でッ。
人の命を過程程度にしか」
横転した青髪は頬を赤くしながらも、動じるようなそぶりを見せるどころか、睨み返す。
「はっ、ははっ、人の命? 人の命を大切にしてた結果、見下され、奴隷扱いされてこの様だよッ!!」
今にも殴りかかりそうに叫び、身体は今にも動こうとしているのか微動する。
「我慢して、我慢して、その先に何がある?
他者の善意に縋ってるだけのくせして、凄いって勘違いする馬鹿に調子乗らせるだけだろうがッ!!」
未来を見ていた彼が、今度は過去の鬱憤を晴らすように喚く。
結局、彼女を見ることなんてもうないんだろうな。
「散々、インキュバスを隠そうとしたのだって悪意が怖かったんだろ?
結局、優しさが人を人扱いしない雑魚をつけあがらせるってことにも気づけないってんなら、殺せば良かったよッ!!」
彼にとって黒瀬は隠せていた・我慢できていた過去の自分でしかなく、彼は過去を殺したいぐらいに変えたいと思っているんだから。
「——そこまでだ」
どう言ったところで分かち合えない無駄話を切り上げようか。そう思っていたところ、ちょうどいいところに警察が来た。
1人も逃さないと万里の長城のように築き上げられた盾の壁。
ただでさえ威圧的な巨漢たちの身体はヘルメットにタクティカルベスト&ボディーアーマーを身につけ。
もはや子供が見たら、オーガかサイクロプスと思って泣くレベル。
それだけで充分、非日常。
だが、それはあくまで派出所の前を通れば、まだ見慣れた装備で普通。
「これは……酷い、有様だな」
いつもとの違いは一つ。
全員が真っ黒なサングラスで目元を隠していること。
だが、その一つがあまりにも大きい。
「メン・イン・ブラックか、マトリックスかよ。公務にオタク出すのもほどほどにしなきゃ」
たかがサングラス、されどサングラス。
俺たち淫魔の魅了は対象の視界に発光する魔法陣が入らなきゃ発動しない、だからこそ弱まってしまう。
光の三原色と違い。
色の三原色において、黒色とはすなわちあらゆる光を吸収する物質で出来ていることに他ならないのだから。
この学校、普段は油断させておいて完全に対淫魔用制圧部隊が駐在してやがるのか。
「国民の税金で買われた用具たちが、めちゃくちゃだ。首謀者は誰だ」
隊長と思わしき男が倉庫に入り、転がる拳銃を一見した後に俺たちへ問いかけ。
続けて入ってきた部下たちは迅速に青髪を地面へ押し付け、拘束した。
「そ、そこの男が銃とか持って、襲って殺そうとしたのよッ!」
「近づくな、喚くな」
近づいてくる黒瀬が訴えを淡々と聞き。
静止させた隊長は、手錠をかけられた青髪を連れていけと手でサインを送る。
「あっはははッ、ッぺ!
そうさ、俺が一年の女を操ってッ? 社会から蔑まされてきた野郎どもも操ってやったん——ッ」
青髪は唾を吐き捨てながら叫んだセリフに、黒瀬の眉が歪む。
けれど、彼女が否定する前に。
隊長が青髪の髪に足を押し付け、何度も擦り付けたことでタイミングが逃げた。
こいつ……自分1人の犠牲で逃げるつもりか?
中途半端に隠そうとせず、真実も混ぜて告白して信じられるレベルに落とし込んで。
「被害者も犯人と言い、犯人も強要された様子がない」
事件はもう終わったはずの空間に。
妙な気持ち悪さだけを感じていた俺は、ただ隊長の顔を見ていた。
いくつも突発的なことが起きて、後回しにしていた違和感がある。
どうしてただ生徒が銃を持っている。
どうして警察が来ても、青髪の表情に陰りがない。
「はッ……?! ちょっと待ってこいつらも——はぅぁ」
ふむ、と考えるそぶりをしていた隊長へ抗議しようと歩み寄った黒瀬。
どうして……どうして、どうしてどうしてどうして。
頭の中が沸騰したお湯に沸く気泡の如く、疑問が弾け続け。
————黒瀬が歩き出した瞬間、奴の頬が上がった?
特大な気泡がそれまでの疑問を吸収し、炸裂する。
気づいたら背後から黒瀬の首に腕を回し、口に指を入れ、発声しようと蠢く舌を押さえつけていた。
「銃を渡された猿みたいに力を振りかざす中、身の程をわきまえたのもいたか」
果物系な甘い香りが髪から香る中、びっくりしている彼女を無視する。
「こいつを留置所へ、怪我人は病院へ」
褒めたあとに何事もなかったように部下たちへ命令し。
連れて行かれる青髪を横目に、隊長は今だに微動だにしない取り巻きを見て。
唯一、大きく踵を鳴らした。
圧力。
言葉ではなく、純粋な圧力だけによる意思疎通……いや、命令。
「魅了を解け、じゃないと何されるか分かったもんじゃない」
黒瀬に小声で耳打ちすると、身悶えしながら反抗を訴えてくる。
嫌だろうとやるしかない。
そういう意味も込め、さらに拘束していた腕へ力を込めると渋々分かってくれたようで。
俺が目元の力を抜いて魔力供給を断った男子生徒より少し遅れ、女子生徒も動き出す。
「こ、ここ……どこ?」
「けっ、けいさつ……? なにかあったんですか」
まじ、か。
魅了を解いた途端、揃いも揃って状況が分からない様子。
被害者みたいに警察へビビってる様子からして、嘘臭さはない。
俺のかけた魅了は身体だけ拘束するもので、脳機能までは関与しない単純なもの。
だから青髪の魅了が残っている可能性はあるとはいえ、後処理の魅了まで用意しているなんて。
これが警察が来た時の必死のなさの理由の一つか、納得したよ。
「っく……お、俺ら、何してたんだ」
記憶が永久的か、一時的にか。使い捨ての駒なら前者が可能性高い。
そして記憶が無くなっている中には当然、佐藤も含まれていて。
警察が運び込んだストレッチャーの上に横たわり、弾を打ち込まれた出血部位を押さえていたが、
「ッい?! ッ俺の……羽、羽がっ」
寝っ転がったことで背中の痛みに気付き。
自分で切り捨てたはずの羽に、腕で顔を隠すほどのショックを受けていた。
逃げられた。
逃げられた、が納得しないとこちらが不利になる。
そもそも魅了で記憶を変えられるのだから、民主主義よろしく俺らを犯人にすれば良かったのになぜしなかった?
銃まで握って指紋たっぷりの俺がイレギュラーなのはしょうがない。
だけど、黒瀬を犯人だとすり替えることは簡単だったはず。
いや……つまり、そういうことか。
「怪我が大したことない者は体育館へ!」
「あの、聴取とか、するんですか」
「大丈夫です。毎年毎年、入学式もしてないのに問題が起きるのが通例なので」
鼻から血を流す者、大怪我しているかもしれない者もいる中、取り巻きが質問すると手を叩いて早く散れと警察は急かす。
通例?
銃を持ち込んだ、それも銀の弾丸を使用する専用にカスタムされた物だぞ。そんな訳ねぇっだろ。
もはや……彼らにとって事件の大小を感じる感じない以前に、感覚が麻痺するレベルな日常的に問題が発生していて。
そこにつけ込んで